ホアキン・ソローリャ
ホアキン・ソローリャ・イ・バスティダ(Joaquín Sorolla y Bastida、1863年2月27日 - 1923年8月10日)は、スペインの画家。「ソローリャ」は「ソロージャ」とも表記される。バレンシア出身[1]。肖像画・風景画・社会的な絵画・歴史画の壮大な作品が特徴だった。典型的な画風として、故郷の明るい日差しの下の人々と風景の素朴な表現と、太陽に照らされた水が挙げられる[2]。
ホアキン・ソローリャ Joaquín Sorolla | |
---|---|
ホアキン・ソローリャ・イ・バスティダ | |
生誕 |
ホアキン・ソローリャ・イ・バスティダ 1863年2月27日 スペイン・バレンシア |
死没 |
1923年8月10日(60歳没) スペイン・マドリード |
国籍 | スペイン |
著名な実績 | 絵画、風景画 |
運動・動向 | 印象派、ルミニズム |
マドリードのサラマンカ区にあるソローリャ美術館には、彼の作品が展示されている。この美術館の建物は、1910年に建てられた彼の自邸兼アトリエを当時のまま使用している[1]。
略歴
編集バレンシアで生まれた。2歳の時、両親がコレラで亡くなり、姉と母親の妹の家族に育てられた。叔母の夫は錠前の職人で、ソローリャは工芸学校で学んだが、学校の校長が絵の才能を認め、バレンシアの王立美術学校(Real Academia de Bellas Artes de San Carlos de Valencia)で学べるように親戚を説得してくれた。美術学校を卒業し、兵役を終えた後、マドリードに出て、プラド美術館の巨匠の作品を模写して修行した。バレンシアの展覧会で評価され、1885年に州から奨学金を得て、ローマに留学し、ローマにスペイン政府が作った美術学校(Academia de España en Roma)でプラディージャ・オルティス(Francisco Pradilla Ortiz)に学んだ。同じ年パリを訪れ、フランスの印象派の画家の影響を受けることになった。結婚し、イタリアで活動した後、1889年にマドリードに戻ると、すぐに人気のある画家になり、多くの展覧会で賞を得た。
1893年からパリのフランス芸術家協会の展覧会へも出展を始め、何度か賞をとり、作品はフランス政府に買い上げられた。1900年のパリ万国博覧会の展覧会に出展し入賞し、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した。1909年にはアメリカでも展覧会を開き成功し、ニューヨークの博物館「The Hispanic Society of America」の壁画も描いた。また多くの重要な人物の肖像画を描いたことでも知られている。
ギャラリー
編集脚注
編集外部リンク
編集- Museo Sorolla ←英語表記もあり。