ペレコープ
ペレコープ(ウクライナ語: Перекоп、ロシア語: Перекоп、クリミア・タタール語: Ор Къапы、ギリシア語: Τάφρος)は、ウクライナ本土とクリミア半島を結ぶペレコープ地峡にある村[1][2]。オル・カピ要塞がある場所として知られる。ロシアの2014年クリミア連邦管区国勢調査によると、人口はロシア人403人、クリミア・タタール人213人、ウクライナ人187人など合計919人[2]。ロシア語で перекоп とは、文字通りに「遮断溝」「横溝」を意味する廃語あるいは方言語彙である[3]。
ペレコープ Перекоп Ор Къапы | |
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村 | |
ペレコープの位置を示す地図 | |
クリミア半島におけるペレコープの位置 | |
座標: 北緯46度9分42秒 東経33度41分34秒 / 北緯46.16167度 東経33.69278度座標: 北緯46度9分42秒 東経33度41分34秒 / 北緯46.16167度 東経33.69278度 | |
国 | ウクライナ(法令上) ロシア(事実上) |
連邦管区 | 南部連邦管区(事実上) |
共和国 | クリミア自治共和国(法令上)[1] クリミア共和国(事実上)[2] |
都市ラーダ・管区 | アルミャーンシク都市ラーダ(法令上) アルミャンスク都市管区(事実上)[2] |
村ラーダ | スヴォーロヴェ村ラーダ(法令上)[1] |
標高 | 5 m |
人口(2015) | |
• 計 | 919人 |
等時帯 | MSK(事実上)(UTC+4) |
郵便番号 | 96011 |
市外局番 | +380-6567 |
気候区分 | 温暖湿潤気候 |
歴史
編集古代ではタフロス(Τάφρος)というギリシャの集落であり、ペレコープ地峡を通る溝が防御線となっていたが、15世紀から16世紀にはクリミア・ハン国のメングリ1世ギレイとその息子サヒーブ1世ギレイが新しい溝と防壁を作り、オル・カピ要塞を築き上げた[4]。
オーストリア・ロシア・トルコ戦争中の1736年にブルクハルト・クリストフ・フォン・ミュンニヒ元帥によって強襲、占領され、1738年にはピョートル・ラッシが要塞を再び占領した上で爆破して、溝の大半を破壊した[4]。要塞は1754年にクリム・ギレイによって再建されたが、ペレコープのギリシャ人とアルメニア人住民はペレコープから3マイル南のところで新しい集落(現アルミャーンシクにあたる)を建設した[4]。ペレコープは露土戦争中の1771年にロシア軍に占領された後、クリミア半島全体とともに1783年にロシア帝国に併合された[4]。
ロシア内戦中の1920年のペレコープ=チョーンガル作戦では白軍のピョートル・ヴラーンゲリがクリミア半島から追い出されたが、同時にペレコープの町もほとんど破壊され、その12年後にはソビエト連邦がペレコープから32キロメートル南のところにクラスノペレコプスクを建設した。
第二次世界大戦中、ペレコープはクリミア戦役により、ドイツ国防軍によって1941年9月27日から1943年11月1日に占領された。1941年のドイツ軍による占領と1943年のソ連軍による再占領は、いずれもクリミア半島をウクライナから切り離すことを目的としていた。
脚注
編集- ^ a b c “Автономна Республіка Крим: 3. Ради і населені пункти Автономної Республіки Крим: а) міські ради міст республіканського Автономної Республіки Крим значення” (DOC). Офіційний портал Верховної Ради України. Верховна Рада України (2019年2月1日). 2019年2月10日閲覧。
- ^ a b c d Russian Federal State Statistics Service (2014年). “Таблица 1.3. Численность населения Крымского федерального округа, городских округов, муниципальных районов, городских и сельских поселений” [Table 1.3. Population of Crimean Federal District, Its Urban Okrugs, Municipal Districts, Urban and Rural Settlements] (ロシア語). Федеральное статистическое наблюдение «Перепись населения в Крымском федеральном округе». ("Population Census in Crimean Federal District" Federal Statistical Examination). Russian Federal State Statistics Service. January 4, 2016閲覧。
- ^ 井桁貞義 編『コンサイス露和辞典〈第5版〉』三省堂、2003年。ISBN 978-4-385-12118-5
- ^ a b c d Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 138.