ベネショフ - チェスカー・リーパ線

ベネショフ - チェスカー・リーパ線チェコ語: Železniční trať Benešov nad Ploučnicí – Česká Lípa)はチェコ共和国ウースチー州ベネショフとリベレツ州チェスカー・リーパを結ぶ単線鉄道で、最初にボヘミア北部鉄道(ドイツ語: Böhmische Nordbahn, BNB)により開業・運営された。

ベネショフ - チェスカー・リーパ線
基本情報
 チェコ
所在地 ウースチー州リベレツ州
路線番号 086
開業 1872年7月14日
運営者 チェコ鉄道
路線諸元
路線距離 20 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 単線
最高速度 70 km/h
線路等級 C4 (2006)
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
ジェチーン方面
BHF
0.2 ベネショフ(プローチニツェ) 195 m
ABZgl
081号線
hKRZWae
プローチニツェ川
TUNNEL1
フランチシュコフトンネル(362 m)
BHF
3.0 フランチシュコフ(プローチニツェ) 220 m
HST
6.8 スタリーシャホフ 240 m
STR+GRZq
ウースチー州 / リベレツ州
HST
8.4 ジャンドフ 240 m
BHF
9.5 ホルニーポリツェ 240 m
BHF
13.2 ストルジュニツェ 245 m
HST
19.2 チェスカー・リーパ・ホリーヴルフ 250 m
ABZg+l
イェドロヴァー方面
WBRÜCKE1
プローチニツェ川
STR exSTR+l
旧ジェテニツェ - リベレツ線
BHF exSTR
20.4 チェスカー・リーパ 250 m
ABZg+l STRr
ABZgl
KRZu
ジェテニツェ - チェスカー・リーパ線
SBRÜCKE
国道I/9
ABZgl
B-E線CL-L線

歴史

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1865年10月にオーストリア商工省はBNBの創業者たちに建設・運営許可を与えて、ベンゼン(現在ベネショフ)とボヘミア・ライパ(現在チェスカー・リーパ)を結ぶプローチニツェ川沿線区間も第1条に含まれた[1]。1869年にはこの路線を除いたほかの路線はすでに運営されていた。オーストリア政府はアウシヒ(現在ウースティー・ナド・ラベム)とライパ間を直接連結するために、BNBに建設を催促した。工事は1870年初に始まり、およそ20 km区間は1872年7月14日に開通された[2][3]

1908年にBNBは国有化されてこの路線は他のBNB路線とともにオーストリア帝国鉄道(k.k. österreichische Staatsbahnen, kkStB)の路線網に編入された。

第一次世界大戦の終戦後、この路線は新生のチェコスロバキア国鉄(Československé státní dráhy, ČSD)に引き受けられた。1938年秋にズデーテン事態が発生して、ナチスドイツによるズデーテン併合の結果、ドイツ国営鉄道がその地方の路線を引き受けた。第二次世界大戦の終戦後、この路線はチェコスロバキア国鉄に復帰した。

1993年1月1日にチェコスロバキアの分離により、この路線はチェコ鉄道(České dráhy, ČD)の路線網に組み入れられた。2022年12月時刻表改正の時にイタリア国鉄系列のレンダーバーン (Länderbahn) が普通列車系統を引き受けた[4]

運行形態

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ベネショフ - スタリーシャホフ間ではウースチー州運輸連合(Doprava Ústeckého Kraje, DÚK)の運賃制が適用される[5]。ジャンドフ - チェスカー・リーパ間運賃制はリベレツ州総合運輸システム(Integrovaný dopravní systém Libereckého kraje, IDOL)により運営される[6]

  • 快速列車(R): ジェチーン - ベネショフ - チェスカー・リーパ - ヤビオネー - リベレツ。120分ごと。
  • 普通列車(L 2): ジェチーン - ベネショフ - フランチシュコフ - スタリーシャホフ - ジャンドフ - ホルニーポリツェ - ストルジュニツェ - ストルジュニツェ - チェスカー・リーパ - ミモニ - ヤビオネー - クジジャニ - リベレツ。120分ごと。イタリア国鉄系列レンダーバーン運用[7]。使用車両はデジロクラシック

参考文献

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  • Siegfried Bufe; Heribert Schröpfer (1991) (ドイツ語). Eisenbahnen im Sudetenland. Egglham: Bufe-Fachbuchverlag. ISBN 3-922138-42-X 
  • Ignaz Konta (1898). Österreichischer Eisenbahnbeamten-Verein. ed (ドイツ語). Geschichte der Eisenbahnen Oesterreichs vom Jahre 1867 bis zur Gegenwart. Geschichte der Eisenbahnen der Oesterreichisch-Ungarischen Monarchie. Band 1.2. Wien / Teschen / Leipzig: Karl Prochaska. pp. 1–426. https://archive.org/details/geschichtedereis12aust/page/n9/mode/2up 
  • Helga Kuhne (2009) (ドイツ語). Eisenbahndirektion Dresden 1869-1993. Berlin: Neddermeyer. ISBN 978-3-941712-05-8 
  • Pavel Schreier (2009) (チェコ語). Příběhy z dějin našich drah. Praha: Mladá fronta. ISBN 978-80-204-1505-9 

外部リンク

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脚注

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  1. ^ (ドイツ語) Reichis-Gesetz-Blatt: Concessionsurkunde wom 6. October 1865. Wien: Kaiserlich-königliche Hof- und Druckerei. (1866). pp. 73, 74. https://alex.onb.ac.at/cgi-content/alex?aid=rgb&datum=18660004&seite=00000073 
  2. ^ “Officielle und Privat-Anzeigen: Verein Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 84): p. 834. (1872年7月17日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934041?page=854,855 
  3. ^ I. Konta, 1898, Band 1.2, pp. 130, 131
  4. ^ Fahrplanwechsel am 11. Dezember 2022: Linie L2 zwischen Liberec und Dĕčin geht in Betrieb” (ドイツ語). Die Länderbahn GmbH, Regentalbahn GmbH (2022年12月7日). 2024年3月22日閲覧。
  5. ^ Mapy veřejné dopravy v Kraji: Železniční linky v DÚK” (チェコ語). Ústeký kraj. 2024年7月24日閲覧。
  6. ^ Tarifní mapy a schémata: Mapa tarifních zón s platností od 1. 1. 2024” (チェコ語). Integrovaná doprava Libereckého kraje. 2024年7月27日閲覧。
  7. ^ Fahrplan und Änderungen: L2 Liberec – Česká Lípa hl.n. – Děčín hl.n.” (ドイツ語). Länderbahn GmbH DLB. 2024年7月27日閲覧。