ベタニア・デラクルス・デペーニャ(Bethania De la Cruz De Peña, 1987年5月13日 - )は、ドミニカ共和国の女子バレーボール選手。ドミニカ共和国代表

ベタニア・デラクルス
Bethania De la Cruz
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
生年月日 (1987-05-13) 1987年5月13日(37歳)
出身地 ドミニカ共和国の旗 首都地区サントドミンゴ
ラテン文字 Bethania De la Cruz
身長 188cm
体重 58kg
選手情報
所属 アメリカ合衆国の旗 アスリーツ・アンリミテッド
愛称 ベティ
ポジション OH
利き手
スパイク 322cm
ブロック 305cm
獲得メダル
女子 バレーボール
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
パンアメリカン競技大会
2015
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来歴

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2004年ドミニカ代表に初選出される。2007年からスタメンに定着し、同年のワールドカップでは、スコア部門で5位、ブロック部門で7位の成績を修めた。2007-08シーズンはVプレミアリーグ東レアローズでプレー。チームの初優勝に貢献し、自身もベスト6に選ばれた。2008-09シーズンから韓国のGSカルテックスに移籍しレギュラーラウンド1位、同シーズン準優勝を果たす原動力となった。また、2009日韓トップマッチで古巣の東レと対戦した。

産休でしばらく代表からは外れていたが、2010年世界選手権で1年ぶりに代表に復帰した。2011年の北中米選手権で準優勝し大会MVPに選出された。同年11月のワールドカップに出場し、ベストスコアラーとベストサーバーに輝いた。

2011-12シーズンは日本のデンソーエアリービーズに所属した[1](2012年4月に退団[2])。2011/12Vプレミアリーグでは得点王、ベスト6賞を受賞した。

2012年2月5日の久光戦で1試合54得点(アタック49点、ブロック2点、サーブ3点)をマークした。これはマデライネ・モンターニョが2011年11月に韓国Vリーグで遂げた記録にならぶ当時の世界最高記録であった[3][4]

2012年5月のロンドン五輪北中米大陸予選で優勝し、同年7-8月開催のロンドンオリンピックに出場した(チームは準々決勝進出)。2012-13シーズンにGSカルテックスに再加入した。

2013年より代表チームの主将を務め、モントルーバレーマスターズで3位入賞、北中米選手権2位、グラチャンではチームを牽引する活躍を見せた。

2014年6月のパンアメリカンカップで優勝し、ベストウィングスパイカー賞に輝いた。同年9-10月の世界選手権では過去最高の6位入賞を果たす原動力となった。2014-15シーズンはトルコリーグの強豪エジザージュバシュ・ヴィトラに移籍し、世界クラブ選手権に出場した。

2021年東京オリンピックにも出場し、準々決勝進出の最後の椅子をかけた日本戦での勝利に貢献し、チームは2大会ぶりの準々決勝進出を果たした[5]

2024年、アメリカの新しいバレーボールリーグであるプロ・バレーボール・フェデレーション(PVF)のオマハ・スーパーノーヴァズ英語版でプレーする[6]

球歴

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受賞歴

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所属クラブ

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脚注

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  1. ^ デンソー公式サイト - 「デラクルス・ベタニア選手」入団のお知らせ Archived 2011年11月27日, at the Wayback Machine.
  2. ^ デンソー公式サイト - デラクルス・ベタニア選手 退団のお知らせ(2012.4.10)
  3. ^ FIVB. “Dominican De la Cruz ties scoring record with 54 points”. 2012年4月8日閲覧。
  4. ^ 2013年2月にニコル・フォーセットが55得点をあげ、記録を塗り替えている。
  5. ^ 結果 - 女子予選ラウンド - プールA JPN VS DOM”. 東京オリンピック2020 (2021年8月2日). 2021年9月1日閲覧。
  6. ^ Omaha Supernovas” (英語). Pro Volleyball Federation. 2024年2月14日閲覧。
  7. ^ 日本バレーボール協会. “火の鳥NIPPON、オリンピック切符は持ち越し ‐イタリアが連覇、2位アメリカ、3位は中国で閉幕‐”. 2012年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月18日閲覧。
  8. ^ Vリーグ機構. “プレミアリーグ女子レギュラーラウンド結果”. 2012年3月5日閲覧。

外部リンク

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