ヘニッジ・レッグ (1845年生)

オナラブルヘニッジ・レッグ大佐(Colonel The Honourable Heneage Legge、1845年7月3日 - 1911年11月1日[1])は、イギリスの軍人保守党政治家

レッグは、第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグの5男であり、父の後妻であった母オナラブル・フランシス (the Honourable Frances) は、第5代バリントン子爵ジョージ・バリントン (George Barrington, 5th Viscount Barrington) の娘であった。第5代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグは異母兄であり、オーガスタス・レッグ師 (the Right Reverend Augustus Legge) は兄である[1]

レッグは、コールドストリームガーズ大尉となり、第9クイーンズ・ロイヤル槍騎兵連隊9th Queen's Royal Lancers:現在の第9/12ロイヤル槍騎兵連隊 9th/12th Royal Lancers の前身のひとつ)で大佐となった[1]1900年イギリス総選挙 (United Kingdom general election, 1900) において、セント・ジョージズ・ハノーバー・スクエア選挙区 (St George's Hanover Square) から庶民院議員に選出された[2]。レッグは、1906年1月の総選挙 (United Kingdom general election, 1906) でも再選されたが[2]1906年6月11日に(名目的な役職である)チルターン・ハンドレッズ執事 (Steward of the Chiltern Hundreds) に就任する形をとり、事実上辞任した[3][4]

レッグは1911年11月1日に、未婚のまま66歳で死去した[1]

出典・脚注

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  1. ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 590.
  2. ^ a b Craig, F. W. S. [in 英語] (1989) [1974]. British parliamentary election results 1885–1918 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 40. ISBN 0-900178-27-2
  3. ^ Department of Information Services (14 January 2010). "Appointments to the Chiltern Hundreds and Manor of Northstead Stewardships since 1850" (PDF) (英語). House of Commons Library. 2010年8月13日閲覧
  4. ^ イギリスの庶民院は、議員の自発的な辞職を認めていないため、君主の意向により別途の名目的な職に就くことを理由として議員の職を解くという手続きをとる。「en:Resignation from the British House of Commons」を参照。

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ジョージ・ゴッシェン
セント・ジョージズ・ハノーバー・スクエア選挙区英語版
選出庶民院議員

1900年 - 1906年
次代
アルフレッド・リトルトン閣下英語版