プロジェクト‐ノート:鉄道/車両/車両に関しての批評掲載の是非

最新のコメント:18 年前 | トピック:「車両の批評は必要なのか?」について | 投稿者:Sinaoka


「車両の批評は必要なのか?」について

ノート:国鉄201系電車にも書きましたが、国鉄201系電車記事内で車両に対する批評を書かれている方がいますが、ああいった個人的批評は百科事典に必要なものでしょうか?利用者の1人は「批判されるべき点を隠していては誰の為にもならない。しかも、噂を書くのではなくそれを否定しているのであるから、不要とは思えない。」と言っているのですが…。219.122.35.121 2006年3月26日 (日) 16:03 (UTC)返信

噂を否定されているのであっても、だからと言って百科事典にそれを記述するのはどうかと思いますが…(削除したら見事に差し戻されたが)、それはともかく、こう言った個人的主観や批評が鉄道記事(車両に限らず)に最近増えだしつつあるのか気になりますね。--目蒲東急之介 2006年3月26日 (日) 19:06 (UTC)返信

私も必要ないと考えています。国鉄205系電車のノートにも書きましたが、百科事典の記事については多面的視野に基づいて記述をされるべきかと思います。 たとえば、「利用者からの苦情が耐えない」「~ような声もある」「~な見方をされる」などの記述が最近多く見られますが、そのような記述の多くは「誰が」「どのような視点で」という記述があいまいであったり、記述されていないことが多いです。 鉄道車両、路線は不特定多数の人が利用されるものですから、意見、感想もそれぞれの利用者からみればさまざまです。 どうしても主観的表現をいれる必要があるのであれば、「誰が」「どのような視点(あるいは場面)で」という部分を明確にして記述をする必要があると考えますし、その「誰が」が明確にされていれば、その項目の必要性についても議論がしやすくなると思います。 具体的には、「学生の利用者を中心に~」「○○新聞○○版にて特集が組まれ~」「○○氏は自身の著でこのように指摘しているなど~」という表現を加える必要があると思いますし、そのような記述のない主観的表現については、削除の対象にしてしまってもいいのではないかと思います。 私自身も、そのようなあいまいな表現であったり、事実と確認することが困難な記述を発見した場合、理由を明確に示した上で記事の修正や削除を行ったりしていましたが、最近はそのまま差し戻されてしまうケースも見受けられます。 議論の余地があるテーマではないかと思います--Tokacyan 2006年5月2日 (火) 06:03 (UTC)返信

当方も国鉄201系電車から来ました.上で皆さまが挙げたポイントに全面的に賛成です.自分もピク2006年4月号の一部記事を執筆する際,「とにかく裏の取れないことは書かない」ことに留意しましたし,出版物ではそれが当然と思います.ウィキの内容のレベルを出版物のそれと同等に保ちたいなら,主観的な表現は削除対象にするべきでしょう.残念ながら国鉄201系電車においてはこの常識ともいえるコンセプトを理解されない方がいるようです. 一ユーザーの自分がこのコンセプトに則って編集してもRevertされるのは目に見えています(だって,逆切れしてるだけで全くディベートになっていないのですから)し,Revert合戦するほどこちらも時間があるわけではないので,ここはより高い権限をお持ちの管理者さまのご意見をお聞きしたいところです.--Sinaoka 2006年6月4日 (日) 13:13 (UTC)返信

この件に関しましては、私も広く意見を求めたいので、私のページに意見を述べました。それをお読みになった上で、疑問点や反論をお持ちになった方は、私のページの所定の欄に書き込んでいただけますようお願い致します。差し支えないようでしたら、そこで話し合いましょう。東トウ 2006年6月5日 (月) 15:32 (UTC)返信

ひとつ建議をしておきたいと思います。まず、プラス評価を書くことについては、私は何の問題もないと考えています。たとえば、新幹線0系電車の概要節部をご覧ください。多少は主観や主観寄りな表現(「~という意見も多い」)が入っているとしても、それが否定しようない、プラス方向の評価であれば誰も異議を唱えないのです(ここは一つのポイントです)。
問題はマイナス評価です。鉄道分野についても、全ての方が嫌っているものなどというものは稀で、誰か彼かが思い入れを持っているものです(例外は必ずあります。例えば盗り鉄など)。好き嫌いは人の自由ですが、それを百科事典に持ち込むのは違いますし、ウィキペディアの理念とも相容れません。そういった内容をどうしても書きたいのであれば、自サイトやブログに書くべきです。もちろん、好きなものを悪く書かれて良い気がする人はいません。
とげのある書き方・主観が入っている書き方(「~という意見が多い」式)などは、私が気付いたものではリバートしたりするのではなく、編集対応でとげを抜き、主観を極力排した記述に書き換えてしまうようにしています。面倒でも、後のことを考えればそうした方が良いでしょう。書いた人も、人格ができた人であれば、その編集対応を見て態度を変えてくれるかもしれません。他の分野でも、否定的な記述が歓迎されないのは同じ事です。
もの作りやメンテナンスに携わったことのない人は、ものを貶して書いたときに自分が相対的に偉くなったように感じるものです。しかし実際には、自分の地位を貶めていることや、自分は百科事典を書いていること、そして閲覧者のために書くという一番大事なことを忘れてしまっています。すべての記事の執筆者には、アカウントであれIPであれ、説明責任があります。
内容に関係のある書籍・雑誌、特に関係者が事実について発言した箇所のような点は、その事項(書名、ページ数)を参照事項として併記した方が良いです(英語版やドイツ語版などでは、揉めた箇所でなくても"references"として参考文献が列挙され、参考箇所についてはページ番号も記されています)。さらに、たとえ同じ書籍の同じ文章からでも、周辺事情を組み合わせることで、貶す・誉めるの二通りの書き方が導き出せます(言うほど簡単ではありません)が、その場合は問題点を書きつつも、周辺事情について触れる文章にして、極力誉める方の文章に改修した方が良いでしょう。また、記事に文章がないとしても、閲覧者の益になる文献については == 参考文献 == という節を切って、そこに列挙した方が良いでしょう。新聞報道(交通新聞含む)、ウェブ上でのニュース(報道関連会社運営のもの)もソースとなり得ます。
ここにおられる方は大丈夫だと思うのですが、ウィキペディアは「誰かが記事を書く」のではなく「みんなで記事を育てていく」ということだけは、どうかお忘れなきようお願いします。最後に、一度読んだことがあるという方も、ぜひいま一度中立的な観点をお読み下さい。以上、長くなってしまい本当に申し訳ありませんでしたが、以後の議論のご参考になりますと幸いです。--Diagraph01 2006年6月6日 (火) 15:57 (UTC) - 下線部を加筆 --Diagraph01 2006年6月7日 (水) 21:58 (UTC)返信
偉いね、他人の記述をばっさばっさ切り捨てて、自分が上位に立ったように実感しているベテランに再考して欲しいね・・・「みんなで記事を育てていく」。

Diagraph01さま,ご提案の建議拝読しました.先日ノート:国鉄201系電車にもウィキの公式見解であるところのWikipedia:ウィキペディアは何でないかに触れましたが,今回のご建議はこの公式見解にも沿った,とても良いものと思います.当方は賛同させていただきたく思います. そのうえで質問・・・ (1)このような建議を,当プロジェクト(鉄道関係,という意味です)におけるローカルな付則,みたいにする事は可能なのでしょうか. (2)先日自分のウェブサイトにも少々記したのですが,日本の鉄出版界ではあまり参考文献を明確にリストアップしない傾向がありますが,個人的にはもっと明確に参考文献は挙げたほうが良いのではと(読者への便宜,過去の文献関係者への礼儀)思っております.日本語のウィキでは参考文献に関する公式見解はあるのでしょうか. --Sinaoka 2006年6月7日 (水) 03:00 (UTC)返信

寝不足状態で書いてしまいましたので、建議に記述抜けがありました。下線部が加筆部となります。また、ご質問についてお答えしたいと思います。
(1)についてですが、私が書いたものはあくまで叩き台です。これをお使いになるのであれば、相当のブラッシュアップが必要かと思います。ただ、コミュニティの理解と十分な合意が得られれば、「分野の指針」(強制力を持たないものの、守った方が円滑になる事項)に改修することは可能でしょう。詳しくはWikipedia:ウィキプロジェクトをご覧ください。また、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクトにおいて、「プロジェクトごとにある一定のルールについて強制力を持たせることができるかどうか」という点が複数の視点で議論されています。私見では、その分野の執筆者が全員プロジェクトに目を通しているわけではないことが容易に想像できますので、分野の指針が設定されたり、仮に一定のルールに強制力が持たされたとしても、いきなりそれに沿って書き換えたりコメント依頼を出したりするのではなく、いったん(利用者ノートや当該記事ノートなどで)誘導や周知活動が必要になるであろう、という点について注意が必要かと考えます。そのこと自体は面倒なのですが、本来不要なフレーミングを避けるためと、記事の質的向上に役立てるためであれば、努力する価値があると思っています。
(2)については、Wikipedia:出典を明記するというガイドラインがあります。方針ではありませんので強制力はありませんが、推奨されています。記述スタイルはWikipedia:レイアウトの指針#参考文献に(簡単ですが)触れられています。過去に自分が書いたものがスタイルに沿っていないので、冷や汗をかいているところです。
建議に少し書きましたが、諸外国の大きめの記事では、references(参考文献)がかなり充実しています。閲覧者への便宜や、先人に対する礼節という面も確実にありますが、執筆者間の相互理解と信頼醸成にも資するでしょう。たとえば、全てではありませんが、英語版の秀逸記事はたくさんの人の手が入っているだけあって、レファレンス元・先の部分を編集画面で読むと、執筆スタイルの参考になるものが多いです。--Diagraph01 2006年6月7日 (水) 21:58 (UTC)返信

ご教示くださり,有り難うございました.あくまで1執筆者として,これからも微力ながらお手伝いさせていただきたく思います.よろしくお願いいたします.--Sinaoka 2006年6月9日 (金) 02:32 (UTC)返信

Diagraph01様の建議を拝見した上で熟考すべく、暫く冷却期間をとっておりました。Diagraph01様のおっしゃることは十分に筋の通った建設的なものであると思いますし、鉄道のカテゴリに留まらず、全てのカテゴリにおいて当てはまると思います。但し、諸手を上げて賛成とまではいかないのも事実です。蒸し返すようで恐縮ですが、以下にその理由を述べます。
これは他の皆様に対しても申し上げたいことですが、根拠があやふやな情報というものの中には、「正しいという根拠はないが、間違っているという根拠もまた存在しない」というものが多くあります。こう書くと「そんな曖昧なものは百科事典に載せるな!」という反論がくるでしょうが、それらの指摘が間違っているか正しいかを云々する以前に、指摘が出ていることは事実です。火のない所に煙は立ちませんから、なぜこのような批判が出てきたのか、なぜ広まっているのかを考える必要があるでしょう(この前提となっている私の意見については、東トウに書きましたので、そちらをお読みください)。根拠が薄いからといって、安易にデマや中傷と決め付けるのは如何なものでしょうか。例えば、「テレビゲームが脳を壊す」という理論は20年以上前から数々の学者が指摘していますが、実は万人を納得させられるだけのはっきりとした因果関係や証拠は未だに見つかっていません。ですが、「テレビゲームが脳を壊す」という理論があることは事実です。したがってこの理論の存在を書かないわけにはいきません。それと同じことなのです(最も、「201系はオールステンレス車体である」等といった、誰が見ても聞いてもきっぱりウソだと100%断言できるものについては、この限りではありません)。
また、百科事典と専門書(学術論文・解説書も含む)は似て非なるものであることに留意する必要があるでしょう。歴史教科書に全ての歴史が記されていないのと同じように、百科事典は、その事物を理解する上での、いわばごく初歩的な入門書に過ぎません。ですから、厳密性及び客観性に拘泥しすぎるのは必ずしも適切とはいえません(断っておきますが、厳密性や客観性が全く必要ないわけではありません)。専門家や有識者の意見に留まらず、ある事物に対しての様々な見方や切り口を提示するという意味で、先に上げた、いわば「グレーゾーン」の指摘も載せる価値があると思うのです。そうした上で、Sinaoka様やその他多くの方がお持ちになっている資料を列記して、「201系についてより詳しくお調べになりたい方は、以下の資料を参照してください」と書くのが宜しいのではないでしょうか。ここでもまた「そんな曖昧なものは百科事典に載せるな!」という反論がくるでしょうが、ウィキペディアは紙の百科事典とは違い、限られた編集者だけの視点からだけではなく、それこそ極論すれば世界中の方々の手によって作り上げられていくものです。そして専門家や有識者は万能ではありません。「グレーゾーン」を記載しておけば、「これは、実はこういう理由があったからこういう結果になった」等というように、専門家や有識者が見落としがちな面を(ネットを通じて提供された情報によって)補填するといったことも可能なのです。こうした面を考慮せず、根拠が提示できないからといってその情報を載せないのは、結果的には物事の本質を歪めることになるのではないでしょうか。長くなりましたが、お読みになった上で意見を述べて頂けましたら幸いです。東トウ 2006年6月19日 (月) 16:11 (UTC)返信

まずはじめに,東トウさまはご自身の変わらぬお考えを最低3ヶ月繰り返してお書きになっています.自分を含めて複数の参加者がそのお考えがウィキペディアの基本方針に大きく反している事を繰り返して指摘していますが,それについての返答が全くありません.以下かなり長くなってしまいましたが,このような経緯を鑑み,過去に指摘されたものも含めて基本的な事柄に対しての返答を敢えて執拗に問うている事を,予めご了承ください.

*「指摘が出ていることは事実です。火のない所に煙は立ちませんから~」と明記できるのであれば,その出処も当然明記できるはずですが,それをいつになってもされないのはなぜですか? 繰り返しになりますが,『出処が明記できないような内容』は,『単なるあなたの個人的なお考え』と何ら違わないと思いますが?この問いに対してのお答えを,ご提示ください.その際,あまりにかけ離れた内容の例を延々と持ち出して議論の本質をぼやかしてしまうのは,好ましくないとあらかじめ申し添えます.無関係な喩えは持ち出さずに,簡潔な文章で真正面からお答えください.

*Diagraph01さまが書かれた建議の内容はWikipedia:基本方針とガイドラインに完全に沿ったものです.一方で東トウさまがお書きになった意見はWikipedia:基本方針とガイドラインとはまったく相容れないものです.どちらが正しいとか言うつもりはありません.しかし,このように明文化されたWikipedia:基本方針とガイドラインをもつウィキのノート上で,その基本方針に大きく反する自説を繰り返し書かれることには強い違和感を持っています.ウィキペディアは議論をする場でもなく,鉄道プロジェクトの各ページはウィキの基本方針の良し悪しを評価する場でもありません. もしプロジェクトに上げられた建議に対して不満があり,コミュニティの支持を得たいのであれば,まずWikipedia:基本方針とガイドラインを十二分に理解したうえで,それに沿った対案を作るべきではないですか? もしそれが不可能なのであれば,私たち一編集者にはDiagraph01さまがあげられた建議に従ってプロジェクトに取り組む以外に選択肢はないのではないですか?

*ウィキの基本方針やガイドラインと相容れない内容は「他でやれば」よろしいのではないでしょうか?(ホームページや掲示板のような他媒体も多数用意されています.) ところで,そのWikipedia:基本方針とガイドラインをお読みになったことはおありですか? *ウィキペディアの基本方針やガイドラインそのものについても批判をされているようですが,その様な議論はこのようなローカルな場でなく,Wikipedia:基本方針とガイドラインなどの公の場でなさってください.その結果ウィキの基本方針やガイドラインが修正なり何なりされるまで,それらに対するあなたの個人的な批判意見はここ(鉄道プロジェクト)には書くべきでないとも思われますが? これらの問いについても,簡潔な文章で真正面からお答えください.

当方は『あなたの自説の宣伝』に対してこれ以上のコメントをする立場にはありません. 当方がする事は(1)ウィキペディアに自分が知るところの『裏付けのある正しい情報』を提供し続けること,(2)ウィキペディアの一編集者としてウィキの基本方針やガイドラインに明確に沿うように内容を編集し続けること,それだけです. その上であなたのコメントを拝読しますと,ノート:国鉄201系電車への6月3日付のもの以来内容に変化は無いようです.自分も含めてさまざまな『事実』『公式見解』を引用してコメント差し上げているにもかかわらず,示した矛盾点には全く向き合わないまま『変わらぬ自説』の宣伝だけを続けられています.そのこと自体 Wikipedia:ウィキペディアは何でないかにも明記されている「1.いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません。」に抵触していませんか?ノート上ですので問題は無いのだと思いますが・・・・.

それでは,あなたが書きたいことをウィキのコミュニティのコンセンサスを得られるようにするにはどうしたらよいかですが・・・『単なるあなたの個人的なお考え』を,どうしてもウィキペディアに残したいのでしたら,以下のいずれかのステップを踏んでください. (1)内容をまとめて,「記事」としてメディアに投稿する(鉄道雑誌も記事投稿を受け付けていますね).そして雑誌記事として出版された時点ではじめて『あなたの記事』をウィキペディアに引用してください. (2)公式見解Wikipedia:基本方針とガイドラインを変えて,『あなたの個人的な考え』でもウィキに投稿できるように,議論を始めてください.

上記の(1)のオプションでは,雑誌編集部などの第3者の査読が入ることによって『あなたの個人的な考え』は『一般大衆からある程度のコンセンサスを得た考え』へと昇華することが出来,ウィキの基本方針やガイドラインにも沿うことになります.手間も時間もかかりますが,それはあなたの責任で行なうことです.頑張ってください.

一方の(2)のオプションでは,ウィキの本質が変わることになります.このレベルの議論はここの様なローカルな場でされるべきではなく,またその提案を受け入れるかどうかもウィキのコミュニティ次第でしょう.

上記の(1)あるいは(2)をされないままで,ウィキの基本方針やガイドラインから逸脱した内容を投稿される(もしくはコメントアウトをはずす)場合,自分のような一投稿者としては理由をつけて修正し続けることしか出来ません.

ウィキペディアがネット上での唯一の媒体ではありません.ホームページ,ブログ,掲示板,目的に応じた媒体が既に用意されています. ウィキペディアは『百科事典』です.基本方針やガイドラインも明確に提示されています.それらに従うのが,一執筆者としての最低限のルールじゃないですか?

長文失礼いたしました.管理者さま,もし当方の理解が違っているようでしたらよろしくご指摘ください.--Sinaoka 2006年6月22日 (木) 00:30 (UTC)返信

その後の当方の調査によって150.90.148.23東トウによる自作自演であることが判明しております.コメント依頼の項に詳細を記しておきましたのでご参照ください.--Sinaoka 2006年7月20日 (木) 02:26 (UTC)返信

国鉄103系電車でも、主観というか、過剰表現がありますね…。「モーター音が向島ニュータウン」云々とか…。よってその過剰表現を削除しました。ノート:国鉄103系電車でも言おうかどうか検討中です。-221.191.208.121 2006年6月24日 (土) 12:35 (UTC)返信

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