プレーベン・エルケーア・ラルセン
プレーベン・エルケーア・ラルセン(Preben Elkjær Larsen, 1957年9月11日 -)はデンマーク出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。屈強な身体を活かしたドリブル突破と左足のシュートが特徴の選手で、「ゴールケア」や「野牛」などの愛称で呼ばれた[1][2]。1984年にはバロンドールの投票で第3位、1985年には2位となった[3]。
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名前 | ||||||
愛称 | ゴールケア (Golkjaer)[1]、野牛[2] | |||||
ラテン文字 | Preben Elkjær Larsen | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | デンマーク | |||||
生年月日 | 1957年9月11日(67歳) | |||||
出身地 | フレゼリクスボー | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
フレドリクスボアBK | ||||||
19??-1976 | バンローズIF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1976 | バンローズIF | 15 | (7) | |||
1977-1978 | 1.FCケルン | 9 | (1) | |||
1978-1984 | KSCロケレン | 190 | (98) | |||
1984-1988 | エラス・ヴェローナFC | 130 | (48) | |||
1988-1989 | ヴェイレBK | 28 | (8) | |||
代表歴 | ||||||
1975-1976 | デンマーク U-19 | 11 | (6) | |||
1976-1989 | デンマーク U-21 | 9 | (9) | |||
1977-1988 | デンマーク | 69 | (38) | |||
監督歴 | ||||||
1995-1996 | シルケボーIF | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集1977年、デンマークのVanløse IFからドイツ・ブンデスリーガ1部の1.FCケルンに移籍した。奥寺康彦とのポジション争いなどもあり主力に定着できず、1年半後にベルギーのジュピラー・プロ・リーグに属するKSCロケレンへ移籍[2] した。ロケレンで頭角を現し、「ロケレンの狂人」の異名を得た[4]。
1984年、UEFA欧州選手権1984後に、レアルマドリードやACミランとの争奪戦を制し、セリエAのエラス・ヴェローナFCが獲得した[5]。ここでハンス=ペーター・ブリーゲルらと共にリーグ戦初優勝に導いた[2][4]。このシーズンのユヴェントス戦では、ユヴェントスDFのタックルによりスパイクが脱げたが、それでもゴールを決め、このゴールはキャリアを代表する印象深い得点の一つとなった[5]。またこのゴールにより、シンデレラというニックネームも付けられた[5]。
1998年に当時デンマーク・スーペルリーガに属していたヴェイレBKに移籍し、1990年に引退した。
代表
編集デンマーク代表としては1977年6月22日に行われたフィンランド代表戦でデビュー[6]。1980年代中盤にはミカエル・ラウドルップと2トップを組み、1984年にフランスで開催されたUEFA欧州選手権1984では2得点をあげてベスト4進出、1986年にメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップでは欧州予選で単独トップとなる8ゴールを決め予選突破に貢献すると、本大会でもグループリーグ第2戦のウルグアイ代表戦においてハットトリックを決めるなど4得点をあげて決勝トーナメント進出に貢献した[2][6]。なお、ワールドカップではベスト16でスペイン代表と対戦し1-5と大敗を喫したが、自身はこの大会で評価を高めた[2]。
その後、1988年に西ドイツで開催されたUEFA欧州選手権1988に出場し、同年6月14日に行われたグループリーグの西ドイツ代表戦を最後に代表から退いた[6]。デンマーク代表での通算成績は国際Aマッチ69試合出場38得点[6]。
引退後
編集引退後、1995年から1996年までデンマーク・スーペルリーガ所属のシルケボーIFで監督を務めた[7]。
その後は解説者に転身し、ブライアン・ラウドルップらと共にUEFAチャンピオンズリーグの解説を務めている[8]。
人物
編集プロ選手らしかぬ行動が話題を呼び人気のある選手であった。ヘビー・スモーカーであり、スピードカーの愛好家であった。スピード狂であり、自ら乗用車を街中で運転してもとてつもないスピードを出すことで知られていた。ハンス=ペーター・ブリーゲルはラルセンとのドライブ後に「(彼の運転を)生き延びることができて良かった」と発言している。このようなドライビング技術から「クレージーホース」とのニックネームでも知られていた。
タイトル
編集クラブ
編集- ドイツ・ブンデスリーガ:1回 (1977-78)
- ドイツカップ:2回 (1976-77, 1977-78)
- セリエA:1回 (1984-85)
個人
編集- デンマーク年間最優秀選手:1回 (1984)
- アディダス・ブロンズボール賞:1回 (1986)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 98位(ワールドサッカー誌選出 1999)
- デンマークサッカー殿堂: (2010)[9]。
脚注
編集- ^ a b “ATTENTI ALL' UOMO VENUTO DAL NORD”. la Repubblica.it (1984年8月26日). 2016年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e f 週刊サッカーマガジン 編『サッカーマルチ大辞典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、108-109頁。ISBN 978-4583038803。
- ^ Ballon d’Or Winners-liveabout.com
- ^ a b “Das dänische Enfant Terrible Preben Elkjaer Larsen im Interview”. 11 Freunde (2012年12月16日). 2016年9月29日閲覧。
- ^ a b c “Elkjaer nella leggenda della Serie A: il goal senza scarpa in Verona-Juventus '84”. GOAL (2022年10月14日). 2023年8月29日閲覧。
- ^ a b c d “Preben Elkjer-Larsen - Goals in International Matches”. The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. 2016年9月29日閲覧。
- ^ “Silkeborg IF » Manager history”. worldfootball.net. 2016年9月29日閲覧。
- ^ “Jes Dorph: Mobbes af nye kolleger”. SE og HØR (2012年9月3日). 2016年9月29日閲覧。
- ^ “Landsholdsdatabasen spiller information”. DBU. 2016年9月29日閲覧。