ブリリアント (駆逐艦)
艦歴 | |
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発注 | 1929年3月22日 |
起工 | 1929年7月8日 |
進水 | 1930年10月9日 |
就役 | 1931年2月21日 |
退役 | 1945年11月 |
その後 | 1948年4月にスクラップとして売却 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 1,360トン |
全長 | 98.5 m (323 ft) |
全幅 | 9.83 m (32.3 ft) |
吃水 | 3.73 m (12.2 ft) |
機関 | |
最大速 | 35.25ノット (65 km/h) |
乗員 | 138名 |
兵装 | 4.7インチ砲4門 2ポンド対空砲2門 21インチ魚雷発射管8門 |
艦歴
編集1929年3月22日発注。1929年7月8日起工。1930年10月9日進水。1931年2月21日竣工。
第二次世界大戦前は第4駆逐艦戦隊に所属し、最初は地中海に配備され次いで本国艦隊に移った。第二次世界大戦開始時は第19駆逐艦戦隊に所属しドーバーに配備されていた。1939年9月12日、ドーバーで防波堤に衝突し損傷。1940年5月15日、今度は駆逐艦「ボーリアス」と衝突した。修理後、第1駆逐艦戦隊に編入。
1940年7月25日、ドイツSボートによる船団攻撃を阻止するため、「ブリリアント」と「ボーリアス」はドーバーから出撃。Sボートとの戦闘後帰投中に爆撃を受け2隻とも損傷した。修理後本国艦隊に所属。
その後、大西洋での船団護衛などに従事。
「ブリリアント」と重巡洋艦「ロンドン」はシエラレオネ・ブラジル間で1941年6月4日にドイツのタンカー「Esso Hamburg」を、6月5日に「Egerland」を捕捉[1]。両船とも自沈した[2]。
1942年11月にトーチ作戦に参加。11月8日にフランス海軍のシャモア級通報艦「ラ・シュルプリーズ」を撃沈。
1943年に第13駆逐艦戦隊、1944年には第1駆逐艦戦隊所属となる。1945年1月、イギリス海峡でカナダのコルベット「Lindsay」と衝突。
1948年解体。
脚注
編集参考文献
編集- John English, Amazon to Ivanhoe, World Ship Society, 1993, ISBN 0-905617-64-9
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2