フランソワーズ・アルディ
フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy、1944年1月17日 - 2024年6月11日)は、フランスの歌手、シンガーソングライター、女優。
フランソワーズ・アルディ Françoise Hardy | |
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1966年 | |
基本情報 | |
生誕 | 1944年1月17日 |
出身地 | フランス、パリ |
死没 | 2024年6月11日(80歳没) |
ジャンル | フレンチ・ポップス、シャンソン、ボサノヴァ |
職業 | シンガーソングライター、俳優 |
担当楽器 | 歌唱 |
活動期間 | 1961年~? |
レーベル | ヴォーグ |
共同作業者 | ジャック・デュトロン |
公式サイト |
francoise-hardy |
1960年代にイエイエスタイルで登場して以来、世界の女性アーティストに大きな影響を与えてきた[1]。夫はミュージシャンで俳優でもあるジャック・デュトロン。
来歴
編集彼女は、パリ9区ドマル通り界隈で生まれた。1962年に「男の子と女の子(Tous Les Garçons Et Les Filles)」でデビューした。1960年代には歌手、女優として活躍。フランス語圏の人気にとどまらず、特にイギリスで人気が上昇した[1][2]。人気に伴い、ジャン=リュック・ゴダール監督の『男性・女性』、1966年のアメリカ映画『グラン・プリ』など数作の映画に出演した[1]。
1968年、アメリカのマーガレット・ホワイティングがオリジナルの「It Hurts to Say Goodbye」[3]にフランス語詞がついた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」を発表した。この曲はアメリカ人のアーノルド・ゴーランドとジャック・ゴールドが書いた曲が原曲であり、マーガレット・ホワイティングの1966年のアルバムに収録されている。同曲のフランス語歌詞を担当したのがセルジュ・ゲンスブールだった。以来ゲンスブールおよびゲンスブールの妻だったジェーン・バーキンと親しくなった。同曲は1967年に、アメリカのヴェラ・リン、カナダのジネット・リンもカバーしている。「さよならを教えて」は日本では5年後の1973年にヒットした。なおゲンスブールは「Kiss me Hardy」という曲も書いている。1960年代後半からはジョニ・ミッチェル的なシンガーソングライター・スタイルに転向し、シンガーソングライターとして、より自身の内面を表現するようになった。
1986年の日本映画『道』(東映配給、蔵原惟繕監督)の主題歌「道」を歌っている。1988年に引退宣言を行い、占星術師に転進していたが、1990年代初頭に2曲発表しカムバック。1994年には当時人気絶頂のイギリスのロックバンド、ブラーのデーモン・アルバーンの熱心な誘いによりシングルTo The Endでデュエットした[1]。
2003年にはバーキンのアルバムRendez-vousにSuranéeで参加し、バーキンとデュエットしている。2006年にはゲンスブールへのトリビュートアルバムMonsieur Gainsbourg RevisitedにRequiem for a jerkで参加している(このときの名義は「Faultine, Brian Molko & Françoise Hardy」)。2004年のアルバムTant de belle chose(『永遠の愛の誓い』)は「21世紀のゲンスブール」と呼ばれるバンジャマン・ビオレがプロデュースした。
ユッスー・ンドゥールのIl n'y a pas d'amour heureuxはジョルジュ・ブラッサンスのカバー,アルディもカバーしている。レスリー・ファイストのL'amour ne dura pas toujoursはアルディのカバーである。
日本では1979年にTBSのテレビドラマ『沿線地図』でMa jeunesse fout l'camp(原題「私の青春は逃げて行く」、邦題「もう森へなんか行かない」1967年)、「私の騎士 Si mi caballero」(1971年)が使用され、ドラマの中で繰り返し流されたことから話題を呼び、ベスト盤「もう森へなんか行かない」が発売された。
また荒井由実が三木聖子、石川ひとみに提供した「まちぶせ」は「さよならを教えて」のオマージュとも言われる[4]。また、西島三重子もアルディのファンとされている。
ギャラリー
編集ディスコグラフィ
編集アルバム
編集- Tous les garçons et les filles『男の子と女の子』 (1962)
- Le Premier Bonheur du jour『青春のブルース』 (1963)
- Mon amie la rose『バラのほほえみ」 (1964)
- L'Amitié (1965)
- In English (1966)
- La maison où j'ai grandi (1966)
- Ma jeunesse fout le camp...『もう森へなんか行かない』 (1967)
- En anglais (1968)
- Comment te dire adieu『さよならを教えて』 (1968)
- One-Nine-Seven-Zero(1969)
- Soleil (1970)
- La Question (1971)
- If You Listen (1972)
- Et si je m'en vais avant toi (1972)
- Message personnel (1973)
- Entr'acte (1974)
- Star (1977)
- Musique saoule (1978)
- Gin tonic (1980)
- À suivre...(魔法をとめないで)(1981)
- Quelqu'un qui s'en va(時の旅人たちへ) (1982)
- Décalages (デカラージュ) WEA/Flarenasch (1990 EPIC・ソニー)(1988)
- Le Danger (ル・ダンジェ~危険な香り) EMI/Virgin France (1997 東芝EMI/Virgin)(1996)
- Clair-obscur (日本未発売) Virgin France (2000)
- Tant de belles choses (永遠の愛の誓い) EMI/Virgin (2004)
- Parenthèses (括弧) EMI/Virgin (日本未発売)(2006)
- La Pluie sans parapluie (傘なしで雨) EMI/Virgin (日本未発売)(2010)
- L'Amour fou (ラムールフー) EMI/Virgin (日本未発売)(2012)
- Personne d'autre (誰もいない) Parlophone (日本未発売)(2018)
コンピレーション・アルバム
編集- 1965: Le Palmarès Françoise Hardy
- 1967: Françoise Hardy
- 1969: International Stars
- 1970: Françoise
- 1983: Les Grands succès de Françoise Hardy
- 1993: Les Années Flarenasch (1980 – 1990)
- 1995: L’intégrale Disques Vogue 1962/1967
- 1999: Les Années Vogue 1962-1967
- 2002: Messages personnels
- 2007: 100 chansons
ボックス・セット
編集- 1983: Françoise Hardy
- 2009: La Collection 62 - 66
- 2013: Message personnel (40e anniversaire)
日本のテレビ番組出演
編集- ミュージックフェア(フジテレビ、1974年5月7日)
関連項目
編集- シルヴィ・バルタン
- ミッシェル・ポルナレフ
- フランス・ギャル
- パンタロン・ルック - アンドレ・クレージュ
- パコ・ラバンヌ (fr:Paco Rabanne) - 上記クレージュと共にアルディを広告塔(ミューズ)に起用し、70年代のフランスのファッショントレンドに影響を与えたファッションデザイナー[6]。
- 『沿線地図』- 1979年、TBS系列の山田太一脚本のテレビドラマ。「もう森へなんか行かない」をテーマ曲として使用。
脚注
編集- ^ a b c d Tour de Françoise: A writer catches up with 1960s icon Françoise Hardy デイリー・メール、2011年11月26日
- ^ "Falling for Francoise" BBC
- ^ “Cover versions of It Hurts to Say Goodbye by Margaret Whiting”. 07 April閲覧。
- ^ さよならを教えて(曲)/年代流行
- ^ "Françoise Hardy, icône de la culture pop, est morte". Le Monde (フランス語). Groupe Le Monde Entertainment. 2024年6月11日. 2024年6月12日閲覧。
- ^ やっぱりパリが好き! ELLE ジャポン 2016年10月増刊トラベルサイズ