フランシス・デーヴィス・ミレー

アメリカ合衆国の画家

フランシス・デーヴィス・ミレー(Francis Davis Millet、1848年11月3日[1]1912年4月15日)はアメリカ合衆国の画家、文筆家である。タイタニック号に一等船客として乗船しており、タイタニック号沈没事故で犠牲となった乗客の一人である。

フランシス・デーヴィス・ミレー
Francis Davis Millet
George Du Maurierによる肖像画
生誕 1848年11月3日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国、Mattapoisett
死没 1912年4月15日
タイタニック号沈没事故
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略歴

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マサチューセッツ州プリマス郡のMattapoisettに生まれた[2]南北戦争が始まると16歳で、マサチューセッツ州連隊に加わり、最初、鼓手として、その後軍医を務めた父親の助手として働いた。

ハーバード大学で学んだ後、ボストンの新聞「Boston Courier」の記者、編集者として働いた。この頃、イラストレーターのD.C.ファブロニウス(Dominique C. Fabronius :1828-1894)から絵を学んだ。

絵に本格的に取り組むようになり、1871年にベルギー、アントウェルペン王立美術アカデミーに入学し、ジョゼフ・ヴァン・レリウス(Joseph van Lerius)やニケーズ・ド・ケイゼル(Nicaise de Keyser)に学んだ。1873年のウィーン万国博覧会に有力な実業家でマサチューセッツ州連隊の将校だったチャールズ・フランシス・アダムズの秘書として同行した。

 
ニューヨークで壁画を制作するミレー

1876年にボストンに戻り、工芸家のジョン・ラファージとともに、建設されたボストンのトリニティ教会の装飾の仕事をした。1876年のフィラデルフィア万国博覧会の宣伝の責任者として働いた。1877年に露土戦争が始まると、ニューヨーク・ヘラルドデイリー・ニューズ、The Graphicの特派員として、バルカンで活動し、負傷者の救援などの勇敢な行動でロシア、ルーマニアから賞せられた[3][4] 。ヨーロッパでの活動の中で、しばしばヨーロッパを旅した作家のマーク・トウェインと友人になり、1879年にパリでミレーが結婚した時、トウェインも出席した。

1880年に米国芸術家協会(Society of American Artists)の会員になり、 1885年に ニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた。ニューヨークのメトロポリタン美術館やワシントンのナショナル・ギャラリーの理事を務めた。1876年に設立されたボストン美術館の創立メンバーの一人でもあった。

1912年4月10日フランスのシェルブール港で、処女航海のタイタニックに乗り込み、4月14日の北大西洋上での沈没事故の犠牲となった。遺体はケーブル敷設船マッケイ=ベネット号によって回収された[5]。1913年にワシントンに、ともに犠牲になった友人のジャーナリストで陸軍武官のアーチバルド・バットとミレーを記念して、バット=ミレー・メモリアル・ファウンテンが作られた。

著作

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  • "The Danube from the Black Forest to the Black Sea", Alfred Parsonsと共著. Publisher: Harper & brothers New York, 1893(1893)
  • "The Capillary Crime and Other Stories", Publisher: Harper & brothers, New York,(1892)
  • "The Expedition to the Philippines", Publisher: Harper & brothers New York and London (1899)
  • "Count Leo Tolstoy": Sebastopol.(翻訳) Frank D. Millet. (序文) William Dean Howells. Publisher: Harper & Brothers New York, Published 1887

作品

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参考文献

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  1. ^ Millet, Francis Davis (November 3, 1864), Civil war diary, includes partial transcripts (diary entry), Smithsonian Institution, オリジナルのSeptember 1, 2016時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20160901083517/http://www.aaa.si.edu/collections/container/viewer/-Civil-War-Diary-in-four-parts-includes-partial-transcripts--266516 January 28, 2013閲覧。 .
  2. ^ Moore, Charles (1933). “Millet, Francis Davis”. In Malone, Dumas. Dictionary of American Biography. 12 (McCrady-Millington). New York: Charles Scribner's Sons. pp. 644–646. https://archive.org/stream/dictionaryofamer12amer#page/644/mode/2up July 21, 2018閲覧。 
  3. ^ Forbes, Archibald (1895). Memories and Studies of War and Peace (2nd ed.). London, Paris & Melbourne: Cassell and Company Limited. pp. 17, 22, 234–235, 269. https://archive.org/stream/memoriesstudieso01forb#page/17/mode/1up 27 July 2018閲覧。 
  4. ^ Thomas, Frederick Moy, ed (1904). Fifty Years of Fleet Street being the Life and Letters of John Richard Robinson (1 ed.). London: Macmillan. pp. 187. https://archive.org/stream/fiftyyearsofflee00thomiala#page/187/mode/2up 16 August 2018閲覧。 
  5. ^ Wilson, Scott. Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons, 3d ed.: 2 (Kindle Location 32543). McFarland & Company, Inc., Publishers. Kindle Edition.

関連書籍

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  • Brown, Glenn, ed. (1912). The American Federation of Arts: Francis Davis Millet Memorial Meeting. Washington: Gibson Bros. p. 62. Retrieved July 13, 2009.
  • Mechlin, Leila (December 1909). "A Decorator of Public Buildings: The Work of Francis D. Millet". The World's Work: A History of Our Time. XIX: 12378–86. Retrieved July 10, 2009.