フェルナンド2世 (ブラガンサ公)
フェルナンド2世(Fernando II, Duque de Bragança, 1430年 - 1483年6月22日)は、ポルトガルの貴族、第3代ブラガンサ公。
フェルナンド2世 Fernando II | |
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第3代ブラガンサ公 | |
在位 | 1478年 - 1483年 |
出生 |
1430年 ポルトガル王国 |
死去 |
1483年6月22日 ポルトガル王国、エヴォラ |
配偶者 | レオノール・デ・メネゼス |
イザベル・デ・ヴィゼウ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブラガンサ家 |
父親 | 第2代ブラガンサ公フェルナンド1世 |
母親 | ジョアナ・デ・カストロ |
生涯
編集第2代ブラガンサ公フェルナンド1世とその妻ジョアナ・デ・カストロ(1410年頃 - 1470年)の間の長男として生まれた。フェルナンドは従叔父にあたるポルトガル王アフォンソ5世に深く信頼されており、国王のモロッコ遠征にはいつも随行していた。アフォンソ5世は忠誠の見返りとして、1464年にフェルナンドをギマランイス伯爵位を与え、1475年にはギマランイス公爵に陞爵させた。フェルナンドは1478年、父の死と同時に、イベリア半島で最も裕福かつ権勢を誇る貴族家門、ブラガンサ公爵家の家督を継いだ。
アフォンソ5世はカスティーリャ王エンリケ4世の一人娘フアナ・ラ・ベルトラネーハを2番目の妻に迎え、イサベル1世女王の陣営との間で第二次カスティーリャ継承戦争を引き起こしたが、フェルナンドはトロの戦いにおいて、王妃フアナの警護責任者を務めた。
ところが1481年、ジョアン2世が王位を継ぐと情勢が変わった。ジョアン2世は王権の強化を目指し、父王を支えてきた国内の大貴族層を滅ぼすことを決意した。大貴族の筆頭だったフェルナンドは真っ先に標的となり、1483年に謀反の罪を着せられてエヴォラで処刑された。翌1484年には、義弟のヴィゼウ公ディオゴも同様の罪を着せられ処刑されている。ブラガンサ公爵家は所領を没収され、カスティーリャに亡命することを余儀なくされた。
子女
編集1447年に初代ヴィラ・レアル侯爵ペドロ・デ・メネゼスの娘レオノール(1452年没)と結婚したが、子供のないまま死別した。1472年にヴィゼウ公フェルナンド王子の娘で又従妹にあたるイザベル(1459年 - 1521年)と再婚し、間に6人の子供をもうけた。
脚注
編集参考文献
編集- Nobreza de Portugal e do Brasil – Vol. II, pages 440/442. Published by Zairol Lda., Lisbon 1989.
関連項目
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