パーシャンパンチ
パーシャンパンチ(Persian Punch、1993年 - 2004年)はアイルランドで生まれ、イギリスで調教を受けたサラブレッドの競走馬である。長距離の競走を得意とするステイヤーで、長く活躍し人気を博した。
パーシャンパンチ | |
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ジェフ・スミスの勝負服 | |
欧字表記 | Persian Punch |
品種 | サラブレッド |
性別 | 騸 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1993年4月13日 |
死没 | 2004年4月28日(11歳没) |
父 | Persian Heights |
母 | Rum Cay |
母の父 | Our Native |
生国 | アイルランド |
生産者 | アドストック・マナー・スタッド |
馬主 | ジェフ・スミス |
調教師 | デヴィッド・エルズワース(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 63戦20勝 |
獲得賞金 | 100万8785ポンド(ポンド換算) |
経歴
編集イギリス、イングランド、ウィルトシャー州のデヴィッド・エルズワース調教師のウィッツバリーマナーレーシングステーブルという厩舎で調教を受けた。厩舎はデザートオーキッドで知られる。厩務員はデリック・ブラウン。馬主ジェフ・スミスはリトルトンスタッドを所有し、ロックソングやチーフシンガーの勝負服[1]で知られる。
63戦して20勝、19の競走で入着[2]したものの、グループ1競走には勝てず、入着止まりであったが、パターンレース[3]13勝はアルドロス、アカテナンゴ、ブリガディアジェラードに並ぶヨーロッパタイ記録である。10歳時には、イギリス長距離三冠競走であるグッドウッドカップとドンカスターカップを優勝したものの、緒戦のアスコットゴールドカップはミスターディノスの2着で「準三冠」となった。ジョッキークラブカップ、ヘンリー2世ステークスはともに3勝している。
2001年と2003年にはカルティエ賞最優秀ステイヤーを受賞した。
しかし2004年4月28日、アスコット競馬場のサガロステークスの競走中に心臓麻痺で死亡した。当時11歳。
死後パーシャンパンチ記念基金が設立され、フィリップ・ブラッカー作による等身大の青銅像はパーシャンパンチ最後の勝利となった記念日(10月18日)に公開された。
競走成績
編集一部不明。
- 1996年(3歳)6戦3勝
- 1997年(4歳)8戦2勝。ヘンリー2世ステークス(英G3)
- 1998年(5歳)6戦3勝。サガロステークス(英G3)、ヘンリー2世ステークス(英G3)、ロンズデールステークス(英G3)
- 1999年(6歳)6戦1勝
- 2000年(7歳)9戦3勝。ヘンリー2世ステークス(英G3)、ケルゴルレイ賞(仏G2)、ジョッキークラブカップ(英G3)
- 2001年(8歳)7戦2勝。グッドウッドカップ(英G2)、ロンズデールステークス(英G3)
- 2002年(9歳)10戦2勝。ジョッキークラブカップ(英G3)
- 2003年(10歳)9戦4勝。グッドウッドカップ(英G2)、ドンカスターカップ(英G2)、ジョッキークラブカップ(英G3)
- 2004年(11歳)1戦0勝
血統表
編集パーシャンパンチの血統ボールドルーラー系 / Relance4×5=9.38%、Nasrullah5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父 Persian Heights 1985 栗毛 |
父の父 Persian Lad1975 栗毛 |
Bold Lad (IRE) | Bold Ruler | |
Barn Pride | ||||
Relkarunner | Relko | |||
Running Blue | ||||
父の母 Ready and Willing1971 鹿毛 |
Reliance | Tantieme | ||
Relance | ||||
No Saint | Narrator | |||
Vellada | ||||
母 Rum Cay 1985 栗毛 |
Our Native 1970 鹿毛 |
Exclusive Native | Raise a Native | |
Exclusive | ||||
Our Jackie | Crafty Admiral | |||
Mohduma | ||||
母の母 Oraston1978 栗毛 |
Morston | Ragusa | ||
Windmill Girl | ||||
Orange Cap | Red God | |||
Hymette F-No.3-n |
脚注
編集外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 JBISサーチ、Racing Post