パンディット (密偵)
パンディット(英語: pundit, pandit[注 2])は、19世紀後半の英領インドでイギリスのためにインドの北方地域での探検・踏査に従事した現地出身者。秘密裏に測量を行う訓練を施され調査を行った。
インド大三角測量とパンディット
編集19世紀の地理学上の一大壮挙にインド大三角測量と呼ばれるイギリス領インド帝国で行われた測量事業があった。当時、イギリスはインド北方の地理情報も求めていた。これは、単に地理学上の関心だけが背景にあった訳ではなく、それに加えてロシア帝国が中央アジアへその支配を拡げつつあり、やがて当時イギリスの植民地下にあったインドの富へもその触手を伸ばしてくるのではないかというイギリスのロシアに対する"恐れ"があった。当時、イギリス人もロシア人もそれぞれアジアでの覇権拡大を図ろうとしていた。その為この地域の地理的な情報は、いわゆる「グレート・ゲーム」という意味において喉から手が出るほど重要な情報だった。
しかしながら、一部の地域ではこれらの調査は不可能と考えられた。というのも、インドが国境を接したいくつかの国、特にチベットは、イギリス人の調査隊はおろか西洋人が入国することすら許されない情勢にあったからだった。この調査の隊長を務めたトーマス・ジョージ・モントゴメリーは、1860年代にこの問題の解決策としてシッキムといったインド北辺の国境地域の出身者を測量調査員として訓練してその地域の調査に差し向けるというアイデアに思い至った。現地出身者の密偵であれば現地で聖者として敬われるチベット仏教の僧侶(ラマ僧)や交易商人に扮することでヨーロッパ人よりも疑われなくて済んだ。これらの現地出身の調査要員はパンディットと呼ばれた[注 2]。
その最たる人物、キントゥプ[注 1]は、当時はまだ太平洋に流れ込んでいるのか、あるいはインド洋に流れ込んでいるのか分かっていなかったヤルンツァンポ川が、インド洋のベンガル湾に流れ込むガンジス河の支流ブラマプトラ川の上流部であることを確認した最初の人物となった[6][7]。
調査方法
編集周囲に不審がられないで済む数々の測量手法が編み出された。パンディットは1マイルを正確に2000歩で歩くよう歩測の特訓を受けた[8][9]。その際、歩を数え上げるのに、現地のヒンドゥー教徒やチベット仏教徒が使うマーラーとも呼ばれる数珠に少し細工を施し用いた。通常は108個の珠が連なって出来ているところその数珠は実は100個の珠から成り[9]、さらに10個毎に珠のサイズが僅かに大きい[10][11] という代物で、100歩毎に1つの珠をつま繰ることで歩数を誤りなく数え上げることができた[8][9]。また、チベット仏教徒の巡礼は、「オム・マニ・ペメ・フム」とマントラを唱えながら回すマニ車―中にはお経が納められている―を手にしているが、パンディットはお経の代わりに歩測や観測で得たデータをコッソリと書き付けておくための巻紙をマニ車の中に仕込んでいた[8][9]。
パンディットのナイン・シン・ラワットはまた、その道中で何かしら興味を抱いた他の旅人が話し掛けようとうっかり近づいてくると、祈りに耽る巡礼が如くその場で不意に歩みを巡らせ、そいった手合いをかわすという術を用いた。ほとんどの場合、このテクニックでこの手の連中を上手く撒くことができた。
また、彼らは観察データを詩に換え道中暗唱することでそれを忘れないようにするテクニックも使った。パンディットには測量技術について広範な訓練が施された。例えば、六分儀の使用方法、水を沸かしてその沸点から標高を割り出す方法、それらに加え天体観測の仕方[注 3]も習得した。さらに、パンディットは医療の訓練も受けた。これらの用心や周囲を欺く術にもかかわらずパンディットのうちの幾人かはその正体が露見し突き返されたり、あるいは捕まって拷問を受け、終には処刑される者もいた。しかしながら、彼らの調査行によってヒマラヤ、チベットやその周辺地域の驚くほど正確な地図がもたらされた。
著名なパンディット
編集文学におけるパンディット
編集- Kipling, Rudyard (1901). Kim. New York: Doubleday, Page & Company. OCLC 236914(ラドヤード・キップリング、『少年キム』も参照[注 4]。)[注 5]
- パンディットの訓練が描写される。
- 陳舜臣『パンディット』オール讀物1987年5月号初出。『異人館周辺』所収[12]、文芸春秋、1990年。ISBN 4163116508(文庫版 1993年。ISBN 416715014X)
脚注
編集注釈
編集- ^ a b c キントゥプ(今枝ほか 2004、薬師 2006)の他に表記ゆれとして、キンタップ(宮持 1988、諏訪 2006)、キントゥップ(金子 1993)とも。
- ^ a b 元は、サンスクリットあるいはヒンディー語のपण्डित(paṇḍitá)で「学識のある人」の意[1][2]。英語では転じてマスメディアにおける評論家、専門家、あるいはコメンテーターの意味を持つ[3][4][5]。「パンディット」、あるいは「パンディット (曖昧さ回避)」を参照。
- ^ 観測対象がなんであれ、太陽・月・星の高度からその場所の緯度を決定した。
- ^ 日本語訳書は、宮西豊逸の1940年の『印度の放浪兒』(全国書誌番号:46032355、NCID BN1082411X)以降、複数ある。
- ^ 大桃陶子 (2008)は、『キム』において"パンディット"が象徴する文学上の意味について吟味している。
- ^ 冒頭部分が兵庫文学館の兵庫県ゆかりの作家を紹介するサイトに引用され読むことができる[13]。
出典
編集- ^ 『ジーニアス英和大辞典』2001年。ISBN 978-4-469-04131-6
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『パンディット』 - コトバンク
- ^ Punditの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書
- ^ Punditの意味・使い方|英辞郎 on the WEB:アルク
- ^ インドの言葉から来たイギリス英語のスラング・俗語の使い方と例文を紹介!|イギリス英語を勉強する為の専門サイト ブリティッシュ英語.COM
- ^ Burrard 1915.
- ^ Bhattacharya 2019.
- ^ a b c Sale 2009.
- ^ a b c d Davis 2012.
- ^ Waller 1990.
- ^ 薬師 2006, p.132
- ^ パンディットの著者・刊行日 Weblio辞書
- ^ 兵庫文学館 > 兵庫県ゆかりの作家 > 陳舜臣 パンディット
- この記事の翻訳元の原文は、次のサイトより許可を得てコピーされたものを元にしている。
- Discoverers Web: The Pundits - ウェイバックマシン(2005年11月9日アーカイブ分)
参考文献
編集- Burrard, S. G. (1915). “The Identity of the Sanpo and Dihang Rivers”. Bulletin of the American Geographical Society (American Geographical Society) 47 (4): 249 - 264. JSTOR 201464.
- Allen, Charles (1982) (英語). A Mountain In Tibet: The Search for Mount Kailas and the Sources of the Great Rivers of Asia. André Deutsch Limited. ISBN 0233972811
- Hopkirk, Peter (1983-01-01) (英語). Trespassers on the Roof of the World: The Secret Exploration of Tibet (hardcover). Tarcher. pp. 274. ISBN 978-0874772579
- ピーター・ホップカーク『チベットの潜入者たち : ラサ一番乗りをめざして』今枝由郎、鈴木佐知子、武田真理子訳、白水社、2004年。ISBN 4560030448。
- Waller, Derek J. (1990) (英語). The Pundits: British Exploration of Tibet & Central Asia (hardcover). University Press of Kentucky. ISBN 081311666X (Paperback, 2004, ISBN 0813191009)
- デレック・ウォーラー『パンディット : チベット中央アジアにおける英国測量史の一側面』諏訪順一訳、日本山書の会、2006年。NCID BB01146159。
- 金子民雄『東ヒマラヤ探検史 : ナムチャバルワの麓「幻の滝」をめざして』連合出版、1993年。ISBN 4897720974。 NCID BN0907948X。
- 薬師義美『大ヒマラヤ探検史 : インド測量局とその密偵たち』白水社、2006年。ISBN 4560030464。 NCID BA78224655。
- 大桃陶子「移動と監禁、解放とその限界 : キプリング作品における少年の成長について」『言語社会』第2巻、一橋大学大学院言語社会研究科、2008年3月31日、326-339頁、doi:10.15057/16488。
- Sale, Richard (2009) (英語). Mapping the Himalayas: Michael Ward and the Pundit Legacy (hardcover). ISBN 0953863182. OCLC 977948301
- 南井英弘 (2015, p. 219)には上記のSale (2009)を引用してパンディットの訓練の様子について日本語抄訳が載せられている。
- 薬師義美「ネパールに関係する「外邦図」(インド測量局調製)について」『外邦図研究ニューズレター』第7号、大阪大学大学院文学研究科人文地理学教室外邦図研究グループ、2010年3月、33-39頁。
- Davis, Wade (2012) (英語). Into the Silence : The Great War, Mallory, and the Conquest of Everest. New York: Vintage Books. pp. 49. ISBN 9780375708152. OCLC 773021726
- 南井英弘「6~70歳代で登ったチベット、ネパールの山々 : 失敗例を中心に」『ヒマラヤ学誌』第16号、京都大学ヒマラヤ研究会; 京都大学ブータン友好プログラム; 京都大学霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院、2015年3月28日、213-223頁、doi:10.14989/HSM.16.213。
- Bhattacharya, Parimal (2019年5月20日). “The fate of a Lepcha spy who was sent to Tibet to survey the Yarlung Tsangpo (or the Brahmaputra)” (英語). scroll.in 2020年5月17日閲覧。
- インドの英字紙ウェブサイト"scroll.in"による次の書籍の抜粋紹介の記事
- Bhattacharya, Parimal (2019-02-10) (英語). Bells of Shangri-La: Scholars, Spies, Invaders in Tibet. New Delhi: Speaking Tiger Books. pp. 270. ISBN 9388874072. OCLC 1090685859
関連項目
編集外部リンク
編集- Clements R. Markham, 1878: A Memoir on the Indian Surveys. Catalog Record: A memoir on the Indian surveys | HathiTrust Digital Library
- 新疆、チベット、雲南、ビルマにおける大国間のグレート・ゲーム – 教育と研究の未来(紀伊國屋書店営業総本部)
- Extract from Peter Hopkirk (1983) Trespassers on the Roof of the World
- В. Летов: «Большая игра» на Памире. Как русские офицеры отбирали «крышу мира» у Британии
- ツァンポー探検小史(ヤルツァンポ) < まるかく新聞 - 角幡唯介
- 『世界を魅了するチベット: 「少年キム」からリチャード・ギアまで』p.35 - 石濱裕美子 - Google ブックス(三和書籍、2010年、ISBN 4862510779)
- イギリスの中国の中央アジアにおける探検 < IDP イギリスコレクション - ウェイバックマシン(2019年11月2日アーカイブ分)
- 日本の測量史 高山低山
- The explorer, spy & Master Ji_Pundit Nain Singh Rawat - ウェイバックマシン(2020年9月25日アーカイブ分)
- The Spies Who Mapped Great Swathes of South Asia by Foot - Atlas Obscura
- パンディット 第7章 「温和なベンガルの頑健な息子」 | シルクロード日誌