ハートランドヒリュ日本競走馬。2012年現在、日本中央競馬会 (JRA) におけるサラブレッド系種の最多出走記録を持つ。

ハートランドヒリュ
現役期間 1998 - 2006年
欧字表記 Heartland Hiryu
品種 サラブレッド系種
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1996年4月11日
死没 2006年3月22日(10歳没)
抹消日 2006年3月22日
ランドヒリュウ
サラ系テルノワカクサ
母の父 パーソロン
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 能登一男
馬主 豊田稔
調教師 清水久雄栗東
河内洋(栗東)
競走成績
生涯成績 127戦4勝[1]
獲得賞金 1億3308万4000円
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来歴

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2歳(現表記、以下同じ)の1998年12月に[2]阪神競馬場でデビューし(8着)[3]、初勝利は翌1999年4月の未勝利戦で、8戦目での勝ち上がりだった[3]。それ以後も月1 - 3回のペースで休むことなく出走を重ね、通算4勝を挙げた。レース間隔は最大でも中6週(4回)で、連闘での出走も3回あり、デビュー以来いちども出走しなかったは2002年11月と2005年7月のみであった。

2004年4月25日に100回目の出走を果たす[4]2005年10月23日に122回目の出走となり、オートダービーが保持していたJRAの(サラブレッド系)最多出走回数の記録に並び[5]、2005年11月13日京都競馬場で行われたドンカスターカップ1000万円以下)への出走により、記録を43年ぶりに更新した[3]

10歳を迎えた2006年も現役を続け、出走回数は127回に上った[1][2][6]。当初より本馬を管理してきた清水久雄が2月いっぱいで調教師勇退した[7]ため、3月1日付けで河内洋厩舎に移籍[6]。当時のJRAのアラブ系種最多出走記録はトキノヒカリの128回であり[1][2][6][注 1]、順調にいけばサラブレッド系・アラブ系を通じたJRAの平地競走最多出走記録[注 2]を更新する見込みであったが、3月22日の調教中に急性心不全のため死亡[1][2][6]。3月12日に中京競馬場で行われた遠州灘特別が最後の競走となった[2][6]

競走成績

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年別成績

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2003年3月の名鉄杯(中京競馬場)を最後に勝利から遠ざかった[3]ものの、121戦目となった2005年9月のHTB賞(札幌競馬場)では追い込んで[8]単勝11番人気ながら3着となる[8][3]など、展開や馬場状態が向けばまだまだ走れるところを見せていた。2005年以降に出走した17戦はすべてハンデ戦で、負担重量もすべてで50キログラムであった。

年齢 出走
回数
1着 2着 3着 4着 5着 6着
以下
獲得賞金
(円)
1998 2歳 2 0 0 0 0 0 2 0
1999 3歳 19 1 1 2 3 2 10 15,930,000
2000 4歳 20 2 6 5 2 2 3 52,597,000
2001 5歳 16 0 0 0 3 3 10 9,550,000
2002 6歳 19 0 1 1 3 1 13 15,913,000
2003 7歳 19 1 2 1 1 0 14 32,548,000
2004 8歳 15 0 0 0 0 0 15 0
2005 9歳 14 0 0 1 0 2 11 6,546,000
2006 10歳 3 0 0 0 0 0 3 0
通算成績 127 4 10 10 12 10 81 133,084,000
107 3 10 8 9 6 71 117,754,000
ダート 20 1 0 2 3 4 10 15,330,000

競馬場別成績

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2006年時点で中央競馬を開催していた10競馬場のうち、函館競馬場中山競馬場新潟競馬場での出走はなかった。

競馬場 出走
回数
1着 2着 3着 4着 5着 6着
以下
獲得賞金
(円)
京都 44 1 3 1 3 3 33 30,979,000
阪神 31 2 2 1 3 3 20 30,948,000
中京 28 1 4 2 3 1 17 46,961,000
札幌 15 0 0 2 2 3 8 12,496,000
小倉 6 0 1 3 1 0 1 9,800,000
福島 2 0 0 1 0 0 1 1,900,000
東京 1 0 0 0 0 0 1 0

対戦した競走馬

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生涯127戦、格上挑戦を一度もしたことはなかったが、同じ競走を走った馬の中では、

の8頭がGI/J・GI優勝馬に出世し、さらに37頭の平地重賞(GII10頭・GIII/JpnIII27頭、地方交流重賞含む)優勝馬と、3頭の障害重賞優勝馬がいる(2007年7月29日現在)。

本馬と同じ1996年以降に生まれたオース(1996年生)、スキャターザゴールド(1997年生)の産駒に先着したことものべ3回(2頭)ある。

血統表

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ハートランドヒリュ血統ネヴァーベンド系ナスルーラ系) / My Babu5×4=9.375%、*プリメロ・Avena5×5=6.25%(母内) (血統表の出典)

ランドヒリュウ 1982
鹿毛 北海道浦河町
父の父
*ブレイヴェストローマン
Bravest Roman 1972
鹿毛 アメリカ
Never Bend 1960 Nasrullah
Lalun
Roman Song 1955 Roman
Quiz Song
父の母
*ナッシングライムド
Nothing Rhymed 1970
鹿毛 イギリス
Emerson 1958 Coaraze
Empenosa
Martinetta 1965 Ballymoss
Martica

テルノワカクサ 1982
鹿毛 北海道浦河町
*パーソロン
Partholon 1960
鹿毛 アイルランド
Milesian 1953 My Babu
Oatflake
Paleo 1953 Pharis
Calonice
母の母
ハッピーベレン 1968
鹿毛 北海道浦河町
*チャイナロック
China Rock 1953
Rockefella
May Wong
ナンバイチバンヒメ 1959 トビサクラ
トップフライト (サラ系 - バイカ系)

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時の地方競馬の最多出走記録はウズシオタローの250回[2]地方競馬全国協会 (NAR) の競走馬成績書が整備された1969年以前の参考記録としては、春木競馬に所属していたコガネマル(アラブ系)の476回(平地・障害での合計)、ばんえい競馬ではトヨタカの374回がある。
    →参照:NAR「ヒカルサザンクロス応援サイト」
  2. ^ JRAで1968年まで行われていた繋駕速歩競走では、ビージーキングの271回という記録がある[2]

出典

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  1. ^ a b c d 中央競馬を振り返る”. 競馬ニホン (2006年3月). 2013年5月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g News「JRAサラ最多出走、ハートランドヒリュが調教中に死亡」”. 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2006年3月22日). 2013年5月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e netkeiba ニュース「ハートランドヒリュ、JRA最多出走記録を更新」”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2005年11月13日). 2013年5月23日閲覧。
  4. ^ 史上7頭目の100戦目出走”. スポーツニッポン (2004年4月26日). 2004年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月23日閲覧。
  5. ^ ハートランド最多出走タイ記録/京都12R”. 日刊スポーツ (2005年10月24日). 2005年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月23日閲覧。
  6. ^ a b c d e JRA最多出走目前ハートランドが急死”. 日刊スポーツ (2006年3月23日). 2006年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月23日閲覧。
  7. ^ 清水久師が2月で勇退”. 日刊スポーツ (2006年1月22日). 2009年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月23日閲覧。
  8. ^ a b News「【HTB賞】(札幌)〜コンドルクエスト 快勝」”. 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2005年9月25日). 2013年5月23日閲覧。
  9. ^ a b c 牧太郎 (2005年7月6日). “牧太郎のおけら街道トキの声「待ってるぞ!最多出走と1000万馬券」”. スポーツニッポン. 2013年5月23日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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