ハインリヒ1世 (アイレンブルク伯)
ハインリヒ1世(Heinrich I., 1070年頃 - 1103年)は、ヴェッティン家のアイレンブルク伯、マイセン辺境伯(在位:1089年 - 1103年)。
ハインリヒ1世 Heinrich I. | |
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マイセン辺境伯 | |
在位 | 1089年 - 1103年 |
称号 | アイレンブルク伯 |
出生 |
1070年頃 |
死去 |
1103年 |
配偶者 | ゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイク |
子女 | ハインリヒ2世 |
家名 | ヴェッティン家 |
父親 | 下ラウジッツ辺境伯デド1世 |
母親 | アデール・ド・ルーヴァン |
生涯
編集下ラウジッツ辺境伯デド1世と2度目の妻アデール・ド・ルーヴァン(オーラミュンデ=マイセン辺境伯オットーの未亡人)との息子として生まれた(Annalista Saxoの記述による)。同名の息子との区別のため、年長のハインリヒ(der Ältere)と呼ばれる。
1075年の父の死後、オストマルク辺境伯とラウジッツ辺境伯を継いだ。1089年にはマイセン辺境伯に封ぜられ、この地を治めた初めてのヴェッティン家の人間となった。1103年に急死、妻でマイセン辺境伯エクベルト1世の娘ゲルトルートとの一人息子ハインリヒ2世(年若のハインリヒ)が後を継いだ。
しかし、従弟のコンラートはこれを認めず、ハインリヒ2世と対立していった。
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