ノート:国鉄103系電車/過去ログ1

最新のコメント:1 か月前 | トピック:最終7ユニットについて | 投稿者:Yumoriy

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ラインカラーの件

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異論があったようですが、特に改変を伴っていないようですが、ラインカラーについては地下鉄網が整備されてラインカラーを意識し出すより早く、101系・103系において採用されたラインカラーは特徴的であり、路線で述べるべきという面はあっても、やはり軽量全金属車体の新性能電車に明るいボディカラーが採用されたということとも強く結びつきがあるので、ここで述べることに大きな違和感はないとも思われる。指摘の意図するところはわからないが、一応意見を述べておきます。--以上の署名のないコメントは、219.108.125.92会話/Whois)さんが 2004-01-03 06:01:09 (UTC) に投稿したものです。

ラインカラーの発想自体は、101系の増備がなされていた時点で始まっていたことで、これを記すならまだ書かれてはいないが「国鉄101系電車」の項目の方が適切ではないかと考えたが故です。103系の登場した1963年の時点では、新型車両に関する限り、黒・茶・暗緑色を用いる古典的な考え方は国鉄・私鉄ともに廃れていたように思われます(国鉄の機関車や寝台車は新車でもまだ茶色でしたが)。
塗装色の記述を移しましたが、ラインカラーについてはご指摘の通り、101系の斬新な塗装色に始まることをきちんと書くべきと思います。肝心の記事が無いので、101系あるいはラインカラー(一覧でなく定義から始まる記事)に反映させることをToDoとして置きます(他の方が着手されても勿論よいわけですが)。--sphl 15:27 2004年1月5日 (UTC)
sphlさん。ラインカラーという記事はありますよ。但し、2番目の定義ですが。--220.144.137.177 15:40 2004年1月5日 (UTC)
はい。それは知っていましたが、「ラインカラー (鉄道)」で切り出しておいたほうがいいかなと思っていました。--sphl 15:54 2004年1月5日 (UTC)
ラインカラーの項目を手直ししてみました。 --Tokacyan 2005年7月26日 (火) 15:55 (UTC)
  情報 上記2005年(平成17年)7月26日付投稿で報告されている「手直し」は、主ページ「#車両塗装」節の2005年7月26日 15:29:15 (UTC)の版での編集差分/2587196を指しています。
なお、当セクションに収録されている2004年(平成16年)1月5日付投稿までの投稿の履歴は、「ノート:国鉄103系電車」ではなく、過去ログサブページ《ノート:国鉄103系電車/削除》の履歴ページに存在しています。これは、その前年の2003年(平成15年)12月19日付で実施された旧記事「国鉄103系電車」の削除依頼ログ(削除跡地「国鉄103系電車」へ当記事「国鉄103系」を改名移動するための削除依頼。ログ:2003-12-19 19:49:25 (UTC)の版差分/133445、参照:Wikipedia:削除記録/過去ログ 2003年12月を翌2004年1月30日付で当ノートページのサブページとして保存する際に、過去ログ化のためのノートページの移動が同時におこなわれた差分/184971差分/2188439ためです。--Yumoriy会話2024年9月20日 (金) 14:29 (UTC)

地下鉄乗入れ車1000番台と1200番台の色の記述は

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地下鉄乗入れ車のうち、1000番台と1200番台の色の記述が省略されているのは何故なんですか? --61.119.46.98 2006年11月24日 (金) 03:37 (UTC)

中央西線の103系と章立て

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見切り発車ですいません。確か、中央西線でも103系が動いていた記憶があり追記しましたが、正確なところが分からず一応、「走っていたよ」的に記載しましたが、いかがなものでしょうか? また、ちょっとごちゃごちゃしてきましたので、章立てをしたいのですが、細かな形式で章立てをするべきでしょうか? --220.144.133.197 14:51 2004年2月23日 (UTC)

「関連項目」要りませんよね?

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現在、関連項目として多くの車種が書いていますけど、本文に吸収できる分は書いて吸収し、あとは削除したほうが良いと思いますが、どうでしょうか。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両#無意味なほど多い?関連項目に議論の場を作りました。--Taisyo 2005年5月16日 (月) 11:57 (UTC)

各項目の記述について 

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車両解説、塗色、現状解説の項目に、現時点での運用の経緯などが加筆される傾向があり、ごちゃごちゃしてきましたので、整理しました。 現状についての加筆は、JR化後の欄に入れていただいたほうがよいと思います。--Tokacyan 2006年1月15日 (日) 07:11 (UTC)

1200番台について

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入替車についての記述を何度も消す方がいますが、迷惑なのでお止め下さい。--山本輝雄 2006年3月21日 (火) 15:45 (UTC)

私見を述べさせていただきます。103系の場合、入換車のみならず、インドネシア譲渡車等についてもいえることですが、車籍の有無という監督官庁の事務手続き的な問題と、現車の動向といった実際的な問題を比較したとき、後者について詳述したほうがより資料的価値は高まると考えます。Wikipediaがあくまで百科事典である以上、こうした題材を扱うにしても趣味的、主観的、あるいは感情的記述よりも、客観的かつ可能な限り普遍的な資料性を求められるはずであり、そこから考えるに“国鉄・JRの車籍を失った後の動向”についての記述が無いのは、むしろ本文の資料価値をいたずらに下げることにしかならないのではないか、と思います。これは103系に限らず、鉄道車輌をこの場で扱う場合に普遍的に言えることではないでしょうか。--ひぐらし 2006年3月30日 (木) 10:50 ]]
その後もしつこく削除される状態が続いております。何とかならないでしょうか? また、あの方は画像も頻繁に削除しているようです(これは103系以外のページでも見られます)。 --山本輝雄 2006年4月5日 (水) 11:39 (UTC)
あの方かどうかは知らないですがまた画像が消えていましたよ。--219.164.83.34 2006年5月4日 (木) 11:22 (UTC)

成立までの誤解について

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2006-05-02に主ページの「#成立までに至る誤解」節が除去されました(特別:差分/5543127)。--Yumoriy会話

成立までの誤解の記述は概要の項目などですでに説明されているようですので、必要ないと判断させていただいたのですが、もし現行の記述を生かすのであれば概要の欄に追記する程度で充分であるとおもいます。また誤解ということですが、何を持って誤解とされているのもよくわかりません。そもそも誤解という表現も主観的過ぎるように感じるのですが、いかがでしょうか? --Tokacyan 2006年4月26日 (水) 17:21 (UTC)

モーター音がうるさいというのは事実ですので、コメントアウトを外しました。他の箇所についても一部私論の様な部分はありますが、「山手線用の車両ではない」という記述は必要だと思いますし、「仮称105系」の話も本当であれば載せるべきでしょう。
それよりも、車両解説が貧弱なのが気になります。「形式」の項目を追加しましたが、他にも書く事は色々とあると思います。例えば、3000番台や車両塗装の項目に含まれている運用のされかたや置き換えの話を独立させるというのはどうでしょうか?(実際、113系の項目で私がその様に整理しました) --山本輝雄 2006年5月3日 (水) 14:32 (UTC)
その「仮称105系」ですが、もしかして4ドアセミクロスシートの計画されていた通勤型電車のことでしょうか(当然だが現役の105系とはまったく関係なし)? --219.164.83.34 2006年5月4日 (木) 11:29 (UTC)

モーター音がうるさいという事象ですが、東海道線立花駅の近くに住んでいて、ずっと沿線で高速運転する103系の音と共に育ちましたが音のうるささというのは全く無かったです。高架線や、それに準ずるところ、もしくはモーターのタイプ別の特徴という可能性はないのでしょうか? 仮に線区等による特徴であれば、その旨注釈が必要かと思います。--永尾信幸 2006年6月5日 (月) 07:59 (UTC)

地域や周辺の環境などにもよるのではないでしょうか? 専門家ではないから詳細は不明ですがね…。--目蒲東急之介 2006年6月24日 (土) 13:49 (UTC)

形式の紹介順序等の疑問点などなど

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M車から紹介する事が多いかと思うのですが、Wikipediaではクハから紹介されてるケースが多いように思います。 103系ならMc-M'c-M-M'-Tc-T-T'順が良く使われるかな?と思うのですが、現在の並び順は何か一定の法則でもあるのでしょうか? 出現順かな?とも思ったのですが違うようですし。

あと、Mc車の解説で3両・5両はMc車が無いとできないので、現在も多数残ってるとありますが、常磐快速や東西線乗り入れではTcMM'MM'cにて5両を組成し3両も川越線・筑肥線でTcMM'cの編成がありましたので、3両・5両は必ずしもクモハ103を必要としません。必ず必要とするのは2両編成の場合だけだと思います。 現在3両編成で走ってるのは、広島区の3本、羽衣線用1本、筑肥線くらいだと思いますが、他のクモハ103組み込み編成は日根野区・奈良区ともに4両編成が多いです。 4両編成であればTcMM'Tcという編成で代用できますので、短編成にしたいからクモハ103が残っているのでなく、単に車両の需給上の理由という気がしますがいかがでしょうか? --永尾信幸 2006年6月5日 (月) 08:13 (UTC)

と記憶基本性能欄で、方向幕の説明のところで103系は「列車種別」も出せるようになったとありますが、103系が誕生した時の布幕には101系同様「行先」しか記載されてなはずです。
片町線で101系が快速に使われた時など「快速」と表示していたように記憶しておりますし、列車種別が出せるかどうかは車両本来の性能ではなく方向幕のレイアウトの問題だと思われますので、この点については削除したいと思いますがいかがでしょうか? --永尾信幸 2006年6月5日 (月) 08:53 (UTC)

しばらく前に、Mc-M'c-M-M'-Tc-T-T'の順に書き換えたのですが、いつの間にか元に戻っております。先頭車から並べる習慣がWikipediaにはあるのでしょうか。そうでなければ、制御電動車-中間電動車-制御車-付随車に順序を入れ替えます。--Naniwa 2006年6月22日 (木) 02:08 (UTC)

この手の項目を最初に作ったのは私ですが、私の考えとして、編成を組む上で重要な順に並べるのが良いと思っています。つまり、制御車は必ず無ければならない上103系の「顔」なので最も上に来ますし、中間電動車は電車を動かす上で必要なのでその次に、逆に付随車は短編成では必要ないので下の方にしています。制御電動車も2連などでは重要ですが、103系では少数派なので中間電動車の次にしました。
但し、これは103系や113系だけで、301系など編成内に必ず制御電動車が入る場合は制御電動車-中間電動車-付随車-制御車と実際の編成の組み方を基準にしています(但し、サハ301は改造車と言う事で一番最後にされてしまいましたが)。--山本輝雄 2006年6月22日 (木) 13:07 (UTC)

昔からの風習で、編成順を優先するよりも、
(1)制御電動車-中間電動車-制御車-付随車
(2)M車はM'車より先に出す
(3)優等車、普通車、食堂車、郵便車、荷物車の順に並べる、寝台車は座席車に優先する、合造車はより上位の順位を優先する
の順に表記しています。
(1)は、モーターのある車を優先する、次に運転台のある車を優先する、(2)は主制御器装備車を優先する、(3)は等級順に客の乗る車、公文書、荷物の順なのでしょう。
この風習は、両端は電動車、中間電動車なんて存在しない時代以来のものですから。JR以降の新造車に適用するのは疑問ですが。
と、いうことで、編集合戦にならない限り、入れ替えますが。--Naniwa 2006年6月23日 (金) 01:43 (UTC)

昔からの風習とありますが、私はあまり賛成できません。見難いです。その様な風習を知らない人の為にも分かりやすくするのが良いと思いますが。
見難いついでに聞きたいのですが、文章が長すぎるので幾つかを別項目に移管できないでしょうか? 例えば「常磐快速線に於けるサハ103と短い編成の関係」を常磐快速線の項目に転記したり、1200番台の紹介を301系と完全に統合させるなどといった事が考えられます。「国鉄103系3000番台電車」というページを作って3000番台、3500番台を1つの独立した記事にするのも国鉄72系電車との記事重複も解消出来ていいかもしれません(恐らく反対されるでしょうけど)。
全然関係ないことですがNaniwaさんと永尾信幸さんて同一人物ですか? --山本輝雄 2006年6月23日 (金) 15:03 (UTC)

165系、485系は、私が書く前から、電動車優先で並べられています。457系も、先達に準じて、クモハから構成しております。101系、153系、201系は形式別になっていません。
電気車研究会、交友社、ジェー・ア-ル・アールの各社の配置表もこの順序です。確証は持てませんが、国鉄がこの順序で発表したのでは、ないですか。私の意見は、電車なのに、クハから書くほうが奇妙です。

記事重複の件ですが、165,169系からのクハ455への改造など、両方の項で取り扱っています。改造前、改造後の両方で取り扱う現状でいいのではないですか。

それから、私と永尾氏は別人です。彼のサイトをご覧になってください。--Naniwa 2006年6月24日 (土) 02:29 (UTC)

やはり「国鉄103系3000番台電車」は無理でしたか。別にこれはダメもとで書いた事なので別にいいのですが、他の分はどうでしょうか? 特に103系1200番代は301系の「車歴」を書く上で便利なので移管したいものです。元々301系の増備車という存在ですし。
形式解説ですが、あなたが挙げられた中で201系以外は基本的にノータッチなのでよく知りませんでした。ただ、165系や101系は301系の様に編成の片側または両側に制御電動車が来る編成構成なので私としては電動車優先で良いと思います。
しかし、201系や203系の様なそもそも制御電動車が無い系列では突然モハ201から始まるような事になってしまい、逆に奇妙な事になってしまいます。このあたり、どう思われますか?
別人でしたか。失礼しました。--山本輝雄 2006年6月24日 (土) 13:44 (UTC)

提案:1000,1200,1500番台を103系から301系へ

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2006-06-26に当記事「国鉄103系電車」の一部(「#1200番台」節)が「国鉄301系電車」へ転記されました(特別:差分/6362251特別:差分/6362467)。後掲《#1200番台を戻しませんか?》も参照。--Yumoriy会話

 103系の項の容量がかなり大きくなっていますので、1000,1200,1500の各番台を301系に統合し  て、「国鉄の地下鉄乗り入れ用電車」としてしまう方法もあるとは思います。
 485系の場合はクモハ485は全て改造車です。というわけで、モハ485から始まっています。もし、 485系の後継車が1980年代初頭に登場し、短編成化が行われること無く、廃車されていれば、201系 や203系のようになっていたでしょう。
 幸い、103系には制御電動車もありますし、関東でも最後までクモハ103先頭の編成でしたし。
 納得できないようならば、統一フォーマットを構成するなど、第三者に相談するのもひとつの方法で はないでしょうか。
--Naniwa 2006年6月25日 (日) 10:24 (UTC)

そうですね。他項目を含めある程度のルールを決めておいた方がいいかもしれません。以降の話し合いはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両#形式解説についてでしましょう。
また、301系の項目に103系1200番台、1000番台K8編成の記事を統合する事を始めます。しかし、1000番台千代田車や1500番台まで統合させると今度は301系の方が読みづらくなるので、移管先を変えた方が良いと思います。それよりも、車両塗装や各路線での使用状況などの部分の改善案を出していただけませんか? --山本輝雄 2006年6月25日 (日) 13:04 (UTC)

クモハ103・クモハ102・モハ103・モハ102・クハ103・サハ103・サハ102の順

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クモハ103・クモハ102・モハ103・モハ102・クハ103・サハ103・サハ102の順番になっていた(103系ホームページと同じ並び)のに、誰かがまた旧式に戻したようですね。個人的には、103系ホームページと同じ並びの方がよいと思うのですが。 --60.56.187.36 2006年7月9日 (日) 13:00 (UTC)

少しだけ形式解説についてのページに記載しましたが、根拠はやはり国鉄の教科書をはじめ多くの方がこの並び順を使ってきたということですね。
また、上の方が個人運営のサイトでの並びを書かれていましたが、個人運営のページと同じなのでというのはあまり理由にならないと思います。
あと、私は本名併記、しかも関連サイトに自分のサイトまで晒してる身ですが、複数IDで書き込んだと疑われたのはちょっと遺憾ですね(^^) --永尾信幸 2006年7月18日 (火) 01:01 (UTC)
60.56.187.36さんへ
N氏は103系ホームページ(の製作者)が嫌いなのさ。103系ホームページが持ち上げられると必ず批判的な発言をするよな。真っ向から指摘されたときに逃げを打てるように発言するだぜ。外部リンクも103系ホームページより自サイトを上に掲載しようと必死だったしなw 
ま、嫌いなもんは仕方ないし、そんなの目の前で褒められたら本人も不愉快だろうから、ここで103系ホームページを例に出したり褒めるのはやめてあげなよ。--以上の署名のないコメントは、203.141.146.129会話/Whois)さんが 2007-09-17 06:19:37 (UTC) に投稿したものです。
この議論については[1]の24番にある「形式解説について」にて話し合われましたが、信憑性が不明瞭な個人サイトからの引用というような話は出ていません。あくまでもウィキペディアの検証可能性に基づく記述を使う必要がありましたので、当時の国鉄の教科書類などの資料を提示しています。要は個人レベルのサイトはウィキペディアのルールの基に成り得ないということであり、このノートではそれを示しただけです。
あと、外部リンクについてですが、私は別にどこの位置にあってもかまわない(最初に登録したときには、登録順に3番目に書いたと思う)のですが、意図的に私のサイトを消したり、私のサイトの順番が下位に来るようなルール(○○順など)をされたので、それに対して改変しただけです。
しかも、今の並びのabc順は私が決めた訳ではありません、その方の決めたルールに従うと私のが一番上になったというだけです。
それにしても「103系ホームページが持ち上げられると必ず批判的な発言」とありますが、私はそのサイトに使われてる写真の半数ほどを提供している方と知り合いですし、そのサイトについて批判する必要性を感じません。むしろネットでは質の高い写真がそろっているという風に説明するケースが多いので、批判的な発言というのは何かの間違いじゃないでしょうか? --永尾信幸 2007年9月17日 (月) 08:28 (UTC)
私もあなたがそのサイトに批判的だと感じます。勘違いならばすいません。--以上の署名のないコメントは、222.225.31.156会話/Whois)さんが 2007-09-26 12:05:53 (UTC) に投稿したものです。

1200番台の記述を戻しませんか?

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301系に移された1200番台の記述ですが、概要とハードに関する記述は103系に戻しませんか。301系は301系であって、103系ではありません。記事が長すぎるからというのは、あまり理由にならないと思います。運用については、301系でまとめてもいいとは思いますが。--Kone 2006年7月17日 (月) 04:11 (UTC)

どっちが分かりやすいのでしょうねえ? 移動前は移動前で中途半端なような気もするんですよね。ただ、1000番台と1200番台を比べるという点では戻した方が良いと思いますが。--山本輝雄 2006年7月18日 (火) 12:18 (UTC)
ちょっと見ない間に1200番台車は103系ではなく301系に編入されていたのですね(^^;;
ちょっと悲しいというか・・・・
そこまでするなら、1000番台も営団6000系の項で、1500番台も福岡地下鉄の項で扱ったらどうでしょう?
わかりやすい以前に「形式が違います」
タイトルが「地下鉄乗り入れ車」であれば混同して扱ってもいいでしょうが、形式ごとの説明なのに他系列にすべてを預けるのはいかがなものでしょう?
もちろん参照として出すとかは問題ないと思うのですが、今のままだと絶対におかしいです。
どんな文献を見ても今までそのような扱いは受けたことはなかったと思いますが、なぜこういう扱いを受けることになったのでしょう? --永尾信幸 2006年7月19日 (水) 05:23 (UTC)
なぜ301系??? というのが率直な感想です。 確かに103系1200番台はそれまで301系が使われていた線区の増備車として製造された車両ですが。103系電車であることには変わりありませんし、301系から改造されりした車両でもありませんから。 あと1000番台車が105系に改造された経緯については別項に分けて(他系列への改造車等)記載すべきです。 105系への改造はなにも1000番台車に限られたことでもありませんから。 下にもあるように、「車両の解説」「運用の推移」「近況」について分けて書かないと各項において記事が膨らむ一方かと思います。--Tokacyan 2006年8月20日 (日) 05:35 (UTC)

弱め界磁35%

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高速運転対応として弱め界磁35%として設計したものの実効が40%程度に留まったため」とありますが 電車誌の1990年6月号には、それの改善記事が載っています。 500円程度の金具を取り付ける事で35%に近づけようと言う改善です。 それにより、最高速度で10キロ程度の向上がはかれる事が確認されました。 東海道・山陽緩行線と、その改善を適用した武蔵野線で使われたと聞いています。 ちなみに、同誌にテスト結果が載っていまして、発車からの時間が、60キロ:38秒→33秒、70キロ:50秒→42秒、80キロ:68秒→55秒、90キロ:91秒→75秒、100キロ:120秒以上→105秒とのことです。 これらの改善後については一概に「高速運転に不適切」と言うわけでも無いかと思われますが、記述の方はどうしましょうか? 全車に施されたわけではないので、個別改造の欄で紹介するとか、そういう方が良いでしょうか? --永尾信幸 2006年6月5日 (月) 08:42 (UTC)

冷房準備工事車について

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今まで、103系に対して冷房準備工事をおこなったと言うのを聞いたことが無かったので削除してしまいましたが、車体構造や屋根の補強をしているとのこと。 私も結構103系関連の資料には目を通してきたつもりですが、昭和46年本予算・1次債務車・3次債務車が冷房準備車であると言う記述を見たことがありません。 できましたら、ソース等資料をご教示いただけませんでしょうか? なお、該当する予算では1200番台も製造されていますが、1200番台も冷房準備車だったのでしょうか? 今まで良く書籍などで目にした冷房準備車とは、屋根上にいつでもクーラーを載せれるようにスペースを設けていたりするのですが、103系は全く一般の非冷房車と同じでした。 113系は1000番台に準備工事車がいましたが、この製造予算は昭和46年2次債務車です。 1次債務車はユニット窓でもないですし、そう考えますと103系に車体構造の強化などの準備工事を施したとしても46年3次債務車以降が該当するかと思いますが、そのあたりいかがでしょうか? それとも113系でも外観は一般の非冷房車と同じ昭和46年1次債務車(MM'1047~1054・Tc~1017~1025・T'c1332~1339)も冷房準備工事車だったと言うことでしょうか? --永尾信幸 2006年6月5日 (月) 10:15 (UTC)

詳しい事は知りませんが、少なくとも私は冷房準備工事車だと思っていましたし、他の利用者も全く訂正していないので、疑ってもみませんでした。そのため、「冷房準備車」というものの一般的な定義を書いただけです。というか、その書き方や他の書き込みからして私以上の知識を持っておられるようなのですが、それならばノートではなく本文で存分に発揮していただけませんか? --山本輝雄 2006年6月6日 (火) 13:59 (UTC)

お返事ありがとうございます。ならば「明確な根拠は無い」と言うことでよろしいでしょうか? 国鉄がこの当たりの車両について「冷房準備車」と呼んでいた可能性はありますが、それらについては今までメディアを通じて我々の目に付くところには出ていません。また、一般的に「冷房準備車」と言われると113系のように冷房車の車体に冷房装置のみ付いていない状態を思い浮かべると思います。冷房装置横の歩み板や冷房装置を搭載する予定の屋根上にそれなりのフラットなスペースを設置するなど。そういう他形式の「冷房準備車」と比較すると103系のこの予算の車両は、どこからみても普通の非冷房車です。仮に、この予算の車両が「冷房準備車」であったとしても、113系などの他の冷房準備車と外見上大きく異なる事から、呼び方を区別する方がわかりよいと思われます。ところで「車体構造の強化」はどこで入手された情報でしょうか?
あと、本文でとの事ですが、ノートを用いて検証をした結果を本文に記載する方が良いのではないでしょうか? そうすることで、将来その項目が修正されたときにも「過去のノートを御覧下さい」と本文記載の根拠を示す事ができます。
今のように本文に対して「書き換え・書き換え」だと、誰がどの程度検証をして書き換えてるのかがわかりずらくなってしまいます。
私はここにきて3日ほどなので使い方が間違ってるのかも知れませんが、ノートを活用する方が効率的な気がします。--永尾信幸 2006年6月6日 (火) 15:22 (UTC)

確かに、本来ならばそうするのが良いでしょう。ただ、私自身が国鉄301系電車の項目を編集する上で体験したのですが、ノートに何か書き込んでも見る人自体が少なく、結局は無視同然の状態で書き込みが放置されるという事も少なくありません。当時も自分自身で加筆を続けて初めて記事の修正、増強をして頂ける「協力者」が現われたので、今回もそうする方が早いのではと思い、「本文で」と書きました。
あと、既に知っておられる事かもしれませんが、Wikipediaでは数字は半角、カッコその他記号は全角で書くのが一般的なようです。
--山本輝雄 2006年6月7日 (水) 15:57 (UTC)

私鉄の103系

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2006-09-29に主ページの「#私鉄の103系」節はコメントアウト化ののち除去されました(特別:差分/7955649特別:差分/7967194)。--Yumoriy会話

103系に似た存在の車両を挙げるのは結構なのですが、余談にしてはあまりにも説明が詳しすぎないでしょうか? 数行程度に留めるのが適当だと思います。--山本輝雄 2006年7月7日 (金) 12:20 (UTC)

125.196.146.87さんがまた復活させたので差し戻させて頂きました。あそこまで言及する必要はないと思います。--900 2006年8月20日 (日) 02:56 (UTC)

220.217.51.246氏が再三に渡りしつこく追記を繰り返しておりますが、氏の規格化された合理的な設計の車両の増備を続けていれば何でも「私鉄の103系」である、とする国鉄至上主義的な史観に基づく視野狭窄的な記述はいかがなものかと思います。少なくとも、山陽電鉄3000系を「私鉄の103系」とするのは、その車両構成からして適切とは言い難く、またそれはアルミ車開発に貢献し、乗り心地改善を目指して増備の度に可能な限り最新の台車を導入(※)してきた同社技術陣に対する侮辱ともとれるのではないでしょうか。

(※)これは東武・東急の両社にも共通します。また、東急8000系がステンレス車におけるブレークスルーとなった、有限要素法の導入による軽量構造の揺籃となったことも忘れるべきではありません。それゆえ、労組にまつわる諸事情があったとは言え、無批判に乗り心地の劣悪なDT33や明らかな欠陥構造の車体の採用を継続した国鉄103系とこれらを安易に同列に取り扱うことには、私は反対です。

--HATARA KEI 2006年9月25日 (月) 02:48 (UTC)

詳述は避ける方向で同意します。
かのIPの方も、コメント欄において「東武8000系は電制がないのに」と記述なさっています。どちらが上であったかどうかは私の関知しないところですが、少なくとも「103系との違い」を強調しているとしか見えません。本稿はボリュームも非常に大きく、個々人で意見の分かれる記述をあえて盛り込む理由がわかりかねます。--ikaxer 2006年9月25日 (月) 03:08 (UTC)
確かに奇異に感じられますね。まあ、長いこと見過ごしていましたが、確かに東武8000系電車のことを「私鉄の103系」と言うことは多少違和感がないとはいえ、山陽電鉄3000系電車は冗長ですし、東急8000系電車の場合はどちらかと言えば東急8500系電車東急8090系・8590系電車を含めたいわゆる8000系グループの方が分からなくはないですが、それでも冗長と思えますね。--Sat.K 2006年9月25日 (月) 14:11 (UTC)
私鉄の103系という表現は、このウィキペディアで初めて見ました。なるほどなぁと思う反面、それだと何でも追記できるなと感じたのも事実です。たとえばワム80000を貨車の103系としてもいいわけですよね? 零戦を戦闘機の103系という等できてしまいます。そもそも用語や形式の解説は東武8000系なら東武8000系のページですればいいわけで、ここでは最初に山本さんが書かれたように似たような形式としてどのようなのがあったかを列挙するだけで良いと思います。詳細は各々のページに飛んでもらって見てもらえばいいだけで、103系のページで違いを比較したりするのは少しやりすぎに感じます。あと、鉄道ファンの特徴かどうかはわかりませんが、裏話のようなのを好む人が多いような気がしますが、百科事典に裏話はほとんど不要だと思うんですけどどうでしょう? また、性能面で主観がかなり入った記事がこのごろ目に付くようになりましたが、記事を記載するときに出典を明記するような方法はできないものでしょうか?(噂は噂として「出典:不明」とか「出典:噂」でもよい)103系の記事中でも「え? ずっと乗っていたけど、東海道山陽緩行線で遅延なんてほとんどなかったよ」というのもありますし、先の「103系の走行音はやかましい」と言うような主観がメインと考えられる記事を少しでも減らして公平な内容に少しでも近づけるためには出典は不可欠ではないかなぁと思うのですが、どんなもんでしょうか? --永尾信幸 2006年9月26日 (火) 08:13 (UTC)
一旦、コメント化させていただきました。理由は「一部の者しか知らない言葉である点」「内容の皮肉に関する表記に主観が入ってる可能性がある点」「注釈で性能比較をしていますが投入条件の違う両車をスペックだけで比較してる点」で再考の余地が無いのか?という事からです。ちなみに上でも書きましたが「私鉄の103系」はウィキペディアで初めて知りました。一部の者しか知らない点というのは別にダメというわけでなく、だから辞書があるわけなのですが、知ってる人たちが皆同じ意味でとらえてくれたら良いのですが、過去の差し戻しなどを見ていても「定義が明確でない」と感じます。定義が曖昧であるものを辞書に載せても見る者もまた混乱するのでは無いでしょうか? このあたりはわたしも未熟でわからない部分も多いので、一旦コメント化という形で問題提起させていただきました。--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 03:02 (UTC)
  情報 上記投稿末尾に「一旦コメント化という形で問題提起」とあるのは主ページの2006年(平成18年)9月29日 03:01:54 (UTC)の版で実施された節「#私鉄の103系」のコメントアウト化編集差分/7955649を指しています。当該のコメントアウトは、別利用者による同日 14:44:04 (UTC)の編集で除去されました差分/7967194。下掲投稿を参照。--Yumoriy会話2024年9月20日 (金) 14:29 (UTC)
私鉄の103系については一旦コメント化し、コメント内にも「続きはノートで」と記載したにもかかわらず「議論はノートで!」とばっさりと削除されてしまいました。内容が不明瞭になるため、本文の内容をいったんコピーします。削除する前に更新コメントにあるように「このノートに意見をしてもらいたかった」ですが長文のコメントを残すのがマナー違反なのかもしれませんので、それに従いたいと思います。
ここからコメント化した内容です。
=== 私鉄の103系 ===

- 一部の鉄道愛好者の間で、東武8000系など、日本の大手私鉄各社において輸送力増強のために大量生産された同一形式の20m級両開き4扉通勤形電車群を、「私鉄の 103系」と呼ぶことがある。ただし、これは「私鉄の103系」と称される車両群を導入した各社の大半が、戦後復興期に63系電車の割り当てを受けており、激増する通勤客輸送に対応する短期的手段として、20m級両開き4扉通勤形電車の導入がもっとも容易かつ効果的であった、という歴史的事実と、それぞれの設計が各社の既存車の設計を基礎とし、103系の設計をコピーしていない(※)という事実を考慮すると、必ずしも妥当な呼び名であるとは言い難い。愛好者がこのように呼んだ裏には、「まるで103系のように画一化された面白くない電車」という趣味人ならではの皮肉が含まれていたことには注意を要しよう。

- :(※)例えば東武8000系はバーニヤ制御や空気バネの採用などスペック上ほとんどの部分で同時期設計の103系を上回っており、また電気ブレーキが無い点や1M車の存在する点など、主要部分における103系との共通点はほぼ皆無である。--電気ブレーキが無い電車なのに、「ほとんどの部分で」というのは違和感を感じますね。←東武8000系と 103系のスペックをよく読み比べてください。電空連動ブレーキの導入が国鉄における新性能車の定義上の重要な要素であることは確かですが、少なくとも、電制常用でありながら電制無しの8000系に劣る減速度しか得られない103系が優秀な電車ではないのは確かでしょう。←なるほど、東武8000のコンセプトは理解できました。その上で若干補足させていただきました。 (コメント化)一部の鉄道愛好家の間と言われるがどの程度の認知度なのか?さらに皮肉と言われる内容はどこで検証できた情報なのか?それらが明確にならない限りはコメント化するのが妥当と思われます。ちなみにわたしは「私鉄の103系」という言葉はウィキペディアで初めて耳にしました。こんな事も可能でしょうか?わたしは小学校の頃東海道山陽緩行線の103系の事を「青電(あおでん)」と呼んでいました。学校の多数の人間もそう呼んでいましたが、そういう事実があったからと「あおでん」という項目をこしらえても良いかどうか?後はノートで
--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 15:30 (UTC)

お手数かけてすみません。コメントアウトとはいえ、本文中にダラダラと議論が書かれている現状が好ましくないと思い、削除させていただきました。私が移しておけばよかったですね。--山本輝雄 2006年9月29日 (金) 15:37 (UTC)

各項目を整理しましょう。

編集

車両についての解説はノート:国鉄115系電車でkoneさんが提案しているように、新製車と改造車にわけ、JR化後の改造車は各社毎に分けて説明したほうがわかりやすいかと思います。 あと、車両の個別の動向については、その車両の登場の経緯に必要になるものではない限り、登場時と現在の状況(廃車や改造により消滅した場合は、その最末期)についてのみに限定し、動向の推移までの記載はあまり深く追う必要まではないかと思います。(あくまでも車両解説ですから) また、個別の編成の運用離脱についての経緯なども、全廃であれば全廃された編成および年度、残留がごくわずかな状態であればその残留本数(両数)などの記載までにとどめたほうがよいかと思います。 1000両以上が製造され初期製造から40年以上に渡って使用されている形式ですから、その運用のエピソードには枚挙にいとまがありません 国鉄時代にはここに記される以上の広域転配がたびたび行われていた形式でもありますから、もし記載の必要があるのであれば車両の形式内ではなく、運用については別項を設けて記載したほうが記事の更なる充実が図れるかともおもいます。--Tokacyan 2006年8月20日 (日) 05:27 (UTC)

車両の個別の動向や状況に関して、本文の記述内容との繋がりが薄い場合は不要と考えます。このあたりももう少し整理しようと考えています。--Alive 2007年3月22日 (木) 15:33 (UTC)

分類「○次車」の変更の提案

編集
2007-08-15に主ページ「#車種分類」節にあった「(第)○次車」との表現が除去されました(特別:差分/14235282/14253429)。--Yumoriy会話

新製車について「○次車」という分類が使われていますが、これは雑誌で便宜的に使われたもので正式な分類名称ではありません。ですので、以下のように変更することを提案します。「1次車→初期車、2次車→ディスクブレーキ採用車、3次車→試作冷房車、4次車→ユニットサッシ車、5次車→量産冷房車、6次車→高運転台(ATC対応)車、7次車→最終増備車」内容に修正すべき点もありますが、とりあえず、分類の見出しから「○次車」という表現を無くしたいと思います。--L25.203.l03.26 2007年6月23日 (土) 04:09 (UTC)

「○次車」は正式な分類でなく、また広く一般的に使われる表現でもないですし、見出しの変更に賛成します。変更は、1次車→「1963年〜1967年製造(分or車)」、2次車→「1967年〜1970年製造」、3次車→「試作冷房車(1970年製造)」、4次車→「1971年〜1972年製造」、5次車→「1973年製造」、6次車→「1974年〜1981年製造」、7次車→「1983年〜1984年製造」でいいのではないかと思います。--Alive 2007年6月23日 (土) 14:57 (UTC)
なるほど、括弧内の製造年の部分を見出しにするワケですね。それが良いかも知れませんね。「〜年製造車」が良いように思います。なお、1次車の1963年〜は1964年〜が正当であり、そこは修正が必要になりますので申し添えます。(現在も誤り) --L25.203.l03.26 2007年6月24日 (日) 02:36 (UTC)
○次車については私が書いたRM162・163号中の表の影響もあるかもしれません。各電車区ごとに、どのような形態が分布しているのかを明確にするために作表したのですが、私の便宜上の分け方であって正式なものではもちろんありません。便宜上付けたという注釈をつけなかったために誤解も生じたと思われます。混乱させてしまってスイマセン。
ただしRMで付けた○次車とウィキペディアで付けられてる○次車の区分は微妙に違います。
見出しの変更ですが、西暦を入れる案も出ていますが「年」なのか「年度」なのかは明確にわかるようにした方が良いと思います。
あとは、区分けをどの程度でするかでしょうか?
試作冷房車が間に入っていますが、900番台や910番台は「試作車」という節で説明されていますので、試作冷房車についてもこちらで説明する方が良いと思われます。番号は続き番号でしたが、「103系・113系電車冷房装置解説書(日本国有鉄道)」によると「試作」という文字は明確に出てきますし、車種・編成および給電方式という中に試作される103系の編成が掲載されているのですが、そこには103系(新製・番号は900台とする)と言う一文もあります。
その後、何らかの理由(900番台のままだと運用上扱いにくく、量産化改造を施す事を前提に一般車として将来使えるように続き番にしたetc.)で続き番ですが、この10両については試作車で扱う方が良いと思います。--永尾信幸 2007年6月24日 (日) 03:58 (UTC)

確かに、予算的には2次車の一部と同じですから、時系列順(製造番号順)だけで分けるのも無理があります。また、試作冷房車の項目は文章量も多いです。試作冷房車の項目を多少手直しの上、丸ごと「試作車」の項目の中に移動させ、現在の「2次車(1967年〜1970年製造車)」の項目の中に「1970年製造車のうち10両は後述の試作冷房車として落成した。」という記述を入れるのが良いかと思います。「年」と「年度」ですが、量産冷房車やATC高運車などが年度末(1〜3月)に登場していますし、実車の銘板は「年」標記なので、「年」で表すのが妥当だと思いますが、「年度じゃないよ」というのが分かるように説明する仕方がポイントですね。L25.203.l03.26 2007年6月24日 (日) 05:17 (UTC)

とりあえず分類の仕方はそのままの状態ですが、「○次車」という表現を使わないよう記述を変更しておきました。--Alive 2007年8月15日 (水) 17:47 (UTC)
ありがとうございました。試作冷房車については、とりあえず、そのままでも大丈夫だと思いますので、改変せずに様子をみます。--L25.203.l03.26 2007年8月16日 (木) 02:48 (UTC)

冒頭文について

編集

冒頭文の表現方法を少し前のもの(概要に分離されているもの)に戻したのにも関わらず、またしても差し戻されてしまいました。

冒頭文は本来、「何処が持っていて何型なのか」と「この項で述べるいくつかのもの」を1文で載せる所であり、あの文章はそれに違反しています。私はそれに準じて編集しただけです。 --60.56.184.247 2006年9月9日 (土) 03:49 (UTC)

こちらでは、はじめまして。何度か差し戻しに加わった者です。
冒頭は一文で十分とのことですが、失礼ながら、車両データ表を一番上に持って行きたいがための、口実なのではありませんか? 冒頭を一文にしようがしまいが、長い目次横の空いたスペースに車両データ表を持って行くのが自然と考えます。
また、データ表や写真の並びを変えている一連の編集は、あなたによるものとお察ししますが、そうまでして上に詰めたがる理由はいったいなんでしょうか。お聞かせ願えれば幸いです。--ikaxer 2006年9月9日 (土) 04:28 (UTC)
60.56.184.247氏の編集は確かに正しいと思いますが、他者との協調の面において不安を感じます。このままでは編集合戦による保護も考えなければなりません。どうか利用者登録した上で論議しませんか? IPユーザーが悪いわけじゃないんですが、あなたのIPアドレスが良く変わって誰が誰か不明になることもございますので・・・。今までのあなたの編集を見ていて(今回以外のIPでの編集を含めて)感じた事を述べさせてもらいました。車両と関係ない話ですみません。--ちゃたま会話|投稿記録2006年9月9日 (土) 04:31 (UTC)

表記を変更のうえ、順番のみを差し戻しました。私も60.56.184.247氏と同じ意見で、やはり表記統一は重要な事であると思います。--218.228.189.199 2006年9月10日 (日) 07:35 (UTC)

もう一度文章を見直しましたが、あの文章は概要と重複していました。それに、鉄道関連のページ以外のページも見て回ってきましたが、どこの冒頭文も「何処が持っていてどういうものなのか」と「この項で述べるいくつかのもの」しか書いてなかったです。
連投になって申しわけありませんが、Ikaxerさん、60.56.184.247氏は「全ての鉄道記事の構造を統一したい」という事を言いたかったのだと思います。統一は見易さ・編集などの観点から見ても重要な事ですし、場合によっては容量削減にも繋がります。その辺、考えていただけますでしょうか。--218.228.189.199 2006年9月10日 (日) 08:23 (UTC)
私個人の意見を申し上げれば、冒頭は一文でもかまわないと思っています。しかし、それでは納得しない方もいらっしゃいますので、ちゃたまさんがおっしゃるように、是非とも利用者登録をなさっていただけないでしょうか。
今回の冒頭に関しましても、同一の方と思われるIPの方が車両データ表を上に詰め、私が利用者‐会話:59.190.188.172のようにお願いしたところ、それを受けたかのように冒頭を一文になさっています。
私も60.56.184.247氏と同じ意見で」とおっしゃっていますが、
  • 同一のプロバイダであること。
  • 番号順の並びにこだわりを持っておられること。
  • 写真や表を一番上に持っていくこだわりのあること。
  • 細かく見出しを付ける傾向にあること。
これらのことから、大変失礼ではありますが、とても別人であるとは私には思えません。私も気づいたことは各IPアドレスのノートにてお願いをしているのですが、その都度別人として振る舞われては、話し合いになりません。要らぬ疑いを向けられぬためにも、利用者登録をお願いできないでしょうか。よろしくお願いいたします。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 08:32 (UTC)
Ikaxerさん、利用者登録の件は了解しました。ただ、私はそのIP氏と同じ意見を持っているだけで、全くの別人です。そこだけは理解してください。--218.228.189.199 2006年9月10日 (日) 08:37 (UTC)
利用者登録の件、前向きに考えていただけるようでありがとうございます。
さて「全ての鉄道記事の構造を統一したい」に関してですが、単に統一したいとおっしゃられても、どのように統一するかが重要な点です。「なぜ、車両データ表や画像を一番上に詰めるよう統一したいのか」この点が明らかになっていませんし、合意も見られません。この点で、まずはその得失について意見を集約し、合意を得ないことには、統一はできないと思います。その結果、編集合戦に至っていることは、ご承知のとおりです。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 08:56 (UTC)

利用者:218.228.189.199改め、播州赤穂(bsak)です。この件は103系のみならず、他形式にも関係する事なので、以降はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他でした方がいいかと。--播州赤穂(bsak) 2006年9月10日 (日) 09:05 (UTC)

同感です。とりあえず、利用者登録を済ませられましたら、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他にお越し下さい。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 09:11 (UTC)

概要・基本性能

編集

概要欄、主電動機のところで「設計陣には2つの選択肢」とありMT54の流れをくむ設計を片一方の選択肢としてあげられていますが、1963・64年当時の電車・電気車の科学などの103系解説を読んでも、そのような電動機をMT55と比較したような記述はありません。鉄道ファンの間で「MT54系列にしたら高速運転にも耐えれて良かったのに」というような事を言う方々が多かったと聞きますが、その方々の思いこみがこのような記述につながったのかと思われますが、実際のところ、このMT54を元にした新形通勤電車用の主電動機というのはどの程度まで考えられていたのでしょうか? 参考になる文献などご教示いただければと思います。

性能についてですが「高性能」や「低性能」については特に主観がかなり入り込んでるように思えるので、安易に本文中に記載しない方が良いかと思います。特にスペック上の優劣をして性能を測る方が多いように思うのですが、本来性能と言うのは使用線区や状況に最適化されてるかどうかが大事では無いでしょうか? 103系は当時の通勤路線向けに最適化された車種で、主電動機もそれに合わせて設計しているわけであり、出力が少ない・定格速度が低いなどは、そういう線区向けだからであって、性能が低いと言うわけではないように思います。
逆に言えば、そういう線区にMT54系列の主電動機を取り付けた車両を使う方が本来の性能を生かし切れないという意味で「低性能」ではなかろうか? 適材適所という点を考えれば103系は当初予定されていた通勤線区向けとしてはむしろ高性能では?

概要・基本性能ともに103系やMT55の性能は低いという前提で記述されてるように見受けられますので、時期を見て該当部分については削除したいと考えています。 それと仮称105系ですが301系の予定番号だったとの記述もあったと思いますので、これも時期を見て手直ししたいと考えています。--永尾信幸 2006年9月27日 (水) 03:13 (UTC)

参考までに交友社刊「電車」誌1962年7月号36ページ〜43ページにわたって、国鉄臨時車両設計事務所技師の井上等氏による「今後の電車用新形主電動機」という記事が掲載されていますので紹介します。各々の主電動機の特性について解説したものですが、その中で標準化に反してなぜ2種類になったかと言う説明で「中・長距離用120kWと通勤用110kWは、お互いに他車種に不適格となるが、これはその所要性能が異なっているためであり、これを分離してその目的に合致した合理的な設計が望まれるゆえんである」と書かれています。つまりMT54を通勤形に使うには無理があるために通勤用は通勤用、中・長距離用は中・長距離用と電動機を分けて設計せざるを得なかったと言っているわけですが、これらの件から本文に記載されてる新形通勤車用の主電動機に「設計陣には2つの選択肢があった」とは考えにくいと言わざるを得ません。MT54ベースの新形通勤車用の主電動機がMT55と甲乙つけがたいくらいに比較検討されたという参考文献が提示されるまで、いったん該当する本文をコメント化したいと考えます。なおMT55と新形通勤電車の開発に関しては、首都圏各線の電力供給事情と切っても切れない縁ですがMT54ベースの主電動機を流用するのは難しいのではないかと思われる資料を下記で紹介します。
先ほどの電車誌の記事中にMT46A・MT55・MT54の性能表が掲載されています。MT46Aが4M3T、MT55とMT54は4M4Tでの数値ですが、加速電流:MT46Aが490A、MT55が415A、MT54が560A、R.M.Sの1時間定格がMT46Aが96%、MT55が78%、MT54が93%となっています。よってMT54の4M4Tをそのまま山手線に使おうと思うと101系を6M2Tにするのと同等な電力供給施設を増設しなければならなかったと思われ、新形通勤車設計の理由を考えた時にMT54をベースにするのは本末転倒ではないかと考えられます。--永尾信幸 2006年9月27日 (水) 05:43 (UTC)
この車両は後に、大阪鉄道管理局から京阪神緩行線用として要望があり、同局では仮称105系(実際の105系とは別物)として具体的な計画まで立てられたが、国鉄本社の横槍で103系にさせられたという経緯がある。」ですが具体的な計画とはどの程度の話でしょうか? 単に管理局電車課で「こんな車両があればいいな、本社にかけあってみようか」レベルなのか、本社を巻き込んで設計までこぎつけたレベルなのか。
単に陳情レベルの車両ならわざわざ書く必要は無いと思います。また105系については後述のピクトリアルの記事中に営団地下鉄5号(営団東西線)乗り入れ用が「たぶん105系となるであろう」との記述もあり仮称105系という表現は様々な誤解を招きかねません。こちらも明確な設計図書類が明らかになるまでは先の電動機選定の文章共々コメント化しようと思います。あと「国鉄本社の横槍で103系にさせられた」とありますが、当時の大鉄局は独立採算でもとっていて、独自に車両を開発し製造できる立場にあったのでしょうか? そういう立場にあり、かつ書かれている仮称105系が製造寸前でありながら国鉄本社から103系に形式変更するようにとのお達しがあったのであれば、書かれてる内容も「なるほど」と思いますが、大鉄局にそんな権限が無かったと思いますので「横槍で」というのは表現としておかしいのではないかと思われます。
上記の参考資料として、鉄道ピクトリアル1964年4月号(通算156号)の35ページ〜38ページにわたって、元本社工作局の久保田博氏による「国鉄通勤形電車の最近の動き」という記事を紹介します。その中には京阪神緩行線用として101系のごとく高加減速・高速の新形電車の要望があると記載されています。快速との時分差をつめて快速の増発をおこないたいのが理由ですが、当時の東海道・山陽線の快速では増結の余地がまだまだあったので、今後の研究課題として残されていると締めくくっています。
つまり、高速用を求めたのは快速の運転間隔を縮めたいためであり、大阪局(この記事中にはどこからの要請が書かれていないので推測)としては「足が遅い旧形車の代わり」として101系のような車両を求めというのが真実のようで、この時点では103系とは全く関係の無い話なのは明らかです。(1964年当時103系の投入線区は山手線しか決定されてませんので)その後、高速タイプを要求していたにも関わらず103系が配属された事で少なからず不満はあったのでしょうが、旧形車よりも高速性能に優れていたのは事実で日中の103系化が完了したために新快速の15分間隔運転が可能になった事がそれを証明しています。--永尾信幸 2006年9月28日 (木) 05:10 (UTC)

なかなか意見が出てきませんが、現在本文に書かれてる内容に対して、私があげた上記の疑問点についての明確な資料が出ない場合は、当該本文について削除したいと考えます。
あと、その削除予定の中に「低速域での牽引力に優れた低コストな専用電動機」とあるのですが、MT55が低コストであるという事もあまり聞いたことがありません。
加筆された方は「出力が小さいから安い」と思われたのか、そのあたりはわかりませんが、直流・交流問わず広く急行以上の形式に使われる事を想定して設計されたMT54をベースにした通勤形用の新電動機を作った場合、当然MT54との生産共通化がはかれたわけですが、MT55の場合も少なからずMT54との部品共通化についてはされていますが、生産台数から考えてもコストはMT54ベースに比べると高くなるように感じます。わたしもこれについては明確な根拠は示せませんが、製造業の常識として少数生産は高いと言えますので、現在本文に書かれてる「低コストな」という点が疑問です。書かれた方は色眼鏡でこの形式を見られてるように感じますが、そういうのは自分のサイトやブログでやっていただきたいなぁと思いますね。--永尾信幸 2006年10月6日 (金) 01:50 (UTC)

以前、京阪神緩行線での使用時において高速性能時の運転士の苦情のような書き込みがあり、根拠不十分として手直ししたり削除したりしましたが、それに類似した記事を見つけました。電車1973年7月号に「103系電車ブレーキ時の過電圧防止対策」として明石電車区の方が書かれていますが昭和47年3月改正で新快速の合間を縫って緩行が走るダイヤになった関係で、ブレーキ初速度が上がり発電ブレーキ時の誘起電圧を高くしてしまい頻繁に過電圧継電器が動作するようになったとあります。
同装置が作動すると事故表示灯が点灯するようなので、運転士がブレーキ操作に非常に神経を使うと言う苦情があったとの事で、それ以外にも作動時の衝動が大きいため、乗り心地に影響するとの事です。原因の1つはダイヤ改正によってスピードアップがされた(この時点で他の項で書いた「旧形車よりも速くなってる事」は証明できていますね)事で平均速度が改正前の58.8km/hから61.8km/hと上がった事でブレーキ初速が上がったためのようです。101系についていた減圧継電器を103系では割愛してるのですがこれは95km/hからの発電ブレーキ使用でも問題ないように設計されている為です。ただ弱め界磁35%の問題でもあったように、設計通りいかないのが世の常ですので、実際に明石区の方で試験を行った結果、90Km/h以上のブレーキ初速の場合は過電圧になったとの事です。
そこでその対策を講じたところ、ブレーキ初速90km/h以上でも良好な結果が得られ明石区全編成に対して改造を終えたようで、〆の言葉としては「この研究により103系電車は高速運転に十分対応できるようになった。〜(略)〜好成績をおさめ乗務員からも大変喜ばれています。」とあります。
以前、書かれていた内容に当てはまる部分も多いのですが、結果として改善されたわけです。単に改善前の話を出しただけでは不完全ではないかと思われます。「1つの問題点として高速からの電気ブレーキ使用に難があった」という事は書いても良いかも知れませんが、それが継続している事なのか、改善されたのかについては記述する必要があるかと思われます。またこれも当初の投入線区とは違う条件の路線に使用した結果であって、もともとブレーキ初速90Km/h台というのは想定外だったと考えられます。そのあたりで常磐線や京阪神緩行線への投入は103系の性能とはミスマッチしていたのは間違いないと思いますね。でも、それを「103系の性能が低かった」と決めつけるのはいささかおかしな話ですね。全ての条件をクリアするような車両は作れないのですから。(もし作れるなら何十という形式に分ける必要がない)
内容については「駅間距離の長い線区への進出」節の後に簡単に問題点等として加筆したいと考えています。--永尾信幸 2006年11月15日 (水) 23:59 (UTC)

加筆依頼:CS20形制御器の制御段数

編集

主制御器についての加筆をお願い致します。103系で使用されているCS20形制御器の制御段数は直列13段、並列11段、弱め界磁5段と「Room 103」(ttp://www.fureai.or.jp/~s-itoh/JR-E103.html)にある掲示板の過去ログにかかれていましたため、このことについて加筆をお願い致します。 --124.208.99.118 2007年10月31日 (水) 09:07 (UTC)

主制御器の段数について記述を加えることは構わないと思いますが、まず、掲示板の過去ログでは信憑性と検証可能性に問題がありますので、何らかの参考文献を基に文章を作成する必要があります。また、制御段数だけを唐突に書いても意味がありません。CS20の(と言いますか103系0台の)特徴は弱め界磁だと思います。ですので、単に段数を記述するのではなく、ある程度の高速性能の確保のために弱め界磁が5段(35%)まで設定されている点と合わせ、全体の文章の流れの中で適切な場所に組み込む必要があります。さらには、CS20の段数に触れるのでしたら、合わせてCS30とCS40の段数についても記述しなければバランスが悪くなりますので、それも合わせて検討する必要があります。以上の点は御承知願います。--L25.203.l03.26 2007年10月31日 (水) 09:36 (UTC)

百科事典に編成番号や番号対照表が必要か?

編集

3500番台や3550番台に詳細な種車の番号が記載されていますが、果たして百科事典にそれらが必要なのでしょうか? そのような事は専門誌や各個人のウェブページの役割に思うのですがどうでしょうねぇ。確かに103系を研究してる私からしたら、そういう対照表は「絶対必要なアイテム」ではあるのですが、一般の人が見て何番が何番になったなんてのはあまり必要じゃないような気がして・・・ --永尾信幸 2006年10月24日 (火) 14:40 (UTC)

103系に限らず「現在の姿は雑誌や個人サイトなどでよく採り上げられても、その少し前になるとさっぱり」というケースをよく見かけるような気がしています。私自身、3000番台の番号対照は1両も知りません(いずれ調べて載せるつもりですが)。誰もがいつでも詳しい情報を手に入れられる訳ではないでしょうし、これくらいは良いのではないでしょうか?
以前「1500番台でトイレ未設置のまま3代目塗色になった車両はいるのか?」という疑問を持って調べた事があるのですが、パソコンで検索しても全く出てきません(塗装変更やトイレ設置の施行日時の詳しいデータを載せているサイトが無かった)でした。出てくるのは「○○編成の色が変わっていました」みたいな撮影日記ばかりです。そのような適当な個人サイトが乱立しているならば、ある程度「公」な場であるWikipediaに記してしまおうと考え、載せました。ちなみに編成番号を書いたのは私ではありません。--山本輝雄 2006年10月25日 (水) 11:02 (UTC)
正直、私自身は103系マニア(笑)ですので、当然それらのデータ類は載せたいという願望はありますし、細かい履歴や形態ごとの分類なんかも面白いと思っています。ただ、自分のサイトならともかく、百科事典にそれは必要なのか?は考える必要があるのではないかと思いますね。ウィキペディアが「鉄道百科事典」なら車歴や改造履歴なども許容範囲になるかも知れませんが・・・
改造前後の車両番号は記事ではなくデータなんですが、改造されたという事は本文で述べられていて記事としては成立しています。それに対して改造車番などのデータを並べるのは(ウィキペディアは情報やデータの集積場所じゃない)や(原典のコピーはしない}のガイドラインに触れると思います。あくまでもそういうデータを知りたい人には外部リンクや参考文献に導けばいいだけです。そうすれば項目自体もスリム化できます。そして外部リンクなどに無ければ自分のサイト内にページをこしらえれば良いのです。
1500番台の件ですが、色は定期入場するまで変えません。トイレは臨時入場で整備したようです。トイレ設置年月日はJRR刊JR電車編成表や鉄道ピクトリアル増刊の車両年鑑、鉄道ファンでも毎年7月か8月号で1年の動きを掲載してくれていてその中に載っています。塗装年月は明確に出てるのは無いはずですが定期入場するまで色を変えない事、トイレ取付を開始したのは塗装を新しくする前である点を考えれば、定期入場した車両はトイレを当然取り付けるでしょうから、色だけ変えて出場するというのは可能性は低いと考えられます。資料を少しひねるだけでかなり答えを絞り込む事が可能です。
ただ気になるのがトイレ設置日がわからないと書かれている点です。編成表やピクの増刊など見た事が無いという事の裏付けになるんですが、そうすると山本さんの調べるというのは何を調べたのか?と思ってしまいます。
その状態で他人が一生懸命作ってるサイトを「適当な個人サイト」と書くのはいかがなものでしょう? 他人のサイトを適当なサイトと言うのであればご自分でデータが整備されたサイトを立ちあげて下さい。--永尾信幸 2006年10月25日 (水) 15:34 (UTC)

編成番号の件を書き忘れました。編成番号と車両番号は1:1で関連付けられているというわけでは無いので年代によって構成車両が違うケースが多いんですよね。今は比較的編成替えも少なくなりましたが、1980年代・90年代の首都圏の編成などはコロコロ変わっていましたから。インドネシアへの譲渡編成でも旧編成番号が記載されていますが、どの編成の何号車に組み込まれていたか等を知る必要があるのかどうかというのも疑問に思っています。それと「編成番号を書いたのは私じゃありません」とありますが、私は山本さんが書いた内容を問題にしてる訳じゃないですよ。百科事典としてふさわしい内容なのか?マニアの自己満足の道具になっていないか?等、自分がマニアなものですからどうしても盲目になりがちですので、一歩引いて記事全体を見る必要もあるかと思い問題提起しただけです。自己満足ならば個人のサイトでとことん詳しく書いたら良いと思います。百科事典という性質上、あまり深い説明などはかえって視認性を悪くする事につながると思うんですよね。JR西日本の東日本からの譲渡車の編成推移についても書かれていますが、じゃぁ昭和60年3月改正での京浜東北線の編成推移が居るのかとか、書こうと思えばいくらでも書けますし、この時の組み替えは蒲田に貫通10連を組成した非常に重要な編成替えですが「重要」を判断するのは加筆者じゃないんですよね。そんな事から編成の組み替えについても不要ではないかと思います。--永尾信幸 2006年10月26日 (木) 00:54 (UTC)

お世話になります。意見を募集とのことでしたので、少々極論になるかもしれませんが、漠然と思い描いていることを申し上げます。
まず、改造車における編成番号や車番対照表ですが、現時点では不要だと考えます。単純に「こんなものは不要である」ということではなく、本文と何もリンクしていないから不要であると思うのです。逆に、編成番号や番号を対比したときに特徴的な事象が浮かび上がり、そのことについて本文で触れているならば、必要と言えるものです。このことは本稿に限った話ではなく、記事本文と写真・表の関連が不明瞭なのはWikipedia全般に言えることではないでしょうか。「このような写真が必要か」などの議論がよく起きていますが、記事とリンクしていないがための不自然さから来るものと考えます。
さて、話を少々拡大してしまいますが、本稿の記事に関しては編成番号表ばかりではなく、記事全体がデータベースと化しているような気がしてなりません。鉄道記事では容量が最大のページであるにも関わらず、記事全体の流れが読めないのです。別の言い方をすれば、どのように103系を語っていくかの「ストーリー」が欠落しているとも言えます。
「では、お前がやってみろ」と言われても、私もどうしていいかわからないのですが、次々と肥大化していく記事に対し、なんらかの方向付けが必要な時期に来ていると思います。質問に対し問題提起だけしていくのは恐縮なのですが、これを機会に話し合えればと思い、批判を承知の上で書かせていただきました。ご意見をお寄せいただければ幸いです。--ikaxer 2006年10月26日 (木) 08:53 (UTC)

ご意見ありがとうございます。今回このようなデータ一覧には批判的でありながら、少し手を加えた表を本文にアップしたのも、データが一人歩きしてしまう怖さを少し見てもらいたかった部分があります。改造年月日を全車について記載する事に対してIkaxerさんの書かれてるような記事とのリンクがあれば良いのですが、あれだけ単に書かれたら浮いてしまいますよね。それに改造年月日の一覧は、どうひいき目に見ても記事とはリンクしにくいと言えます。改造された日付や改造詳細については、色眼鏡かも知れませんが一般の方は必要とせず、少し深いマニアの方くらいしか好んで利用しないのではないかと思っています。それならば、先に書いたように記事としての視認性を良くして行く方がメリットを受ける方は多いと感じます。スリム化というよりスマート化の方が言葉としては適してるかも知れませんが。どうしてもデータ表などが欲しいと言う方が多いのであれば 3500番台の表を3500番台の説明の下の方に置くなどすれば良いのではと思います。

写真にしても、私としては103系の記事で言えばX次車と書かれてる全てのグループで、全ての形式についての画像を用意する事が可能です。でもそれを今の本文の状態でアップしてしまうと画像だけが浮いてしまうのですよね。ウィキペディアは(文章による解説)を強く求めていますので、画像や表によるデータの前に、まず文章による解説を進める必要があると考えます。逆に各節で各々の形式ごとに解説されているならば、画像の提供もしていたかも知れません。455系のページだったかにクハ455の画像を何点かアップしたのですが、こちらはきっちりと番台ごとに説明があったので、ならばと画像を提供したものです。

画像やデータ表はどういう状態であれば掲示しても違和感が無いかについては、著作権法32条「引用」を用いて公開された著作物を引用する場合に要件の1つとして言われている「引用されるものは、主文に対して従の関係でなければならない」という部分が似てるのではと思います。つまり、画像やデータ表は引用されるものという認識で、それ単体では引用できない、それを引用するには主文を用意しなさい!という感じでしょうか。

ストーリー性が感じられずデータベース的というのは私も少し感じています。私のようなマニアの傾向として「何番の特徴はどうの」とか「この車両が配置された裏にはこういう事情がある」などを出したがる方が多いです。その反面「歴史を書け」と言われるととたんに静かになってしまうんですよね。ウィキペディアの103系の記事でも「歴史」の節を見て頂くと上で根拠を示せなければ削除しますと書いてある製造秘話の後は、東京・大阪に投入された程度しか書いてないんですよね。この辺が弱いので車両の解説ばかりが目立ち、単なる車両解説データベースのような感じに見えてしまうのかも知れませんね。

いずれにせよ、イロイロと加筆してくれた方には悪いのですが、とりあえず編成表や編成の推移などの項目に関しては時期を見て一度削除してリフレッシュしてみたいとは思います。--永尾信幸 2006年10月26日 (木) 10:55 (UTC)

従の関係」という事は正直考えていませんでしたね。確かに、3550番台の編成ごとの差異は塗装とパンタグラフ以外に無く、それらも本文中の記述で十分対応できるでしょう。3500番台の場合ははトイレ、パンタ台、サウンドジュネレーター?といくつか差異があるので必要かもしれませんが。
歴史は難しいですね。103系の場合編成替えが激しいので「X次車」とか「X番台」ごとの記述は一部を除き不可能でしょうから、路線ごとの記述となるでしょう。ただ、各路線ごとの流れを詳細に書ける人間などほとんどいないのではと思います。鉄道誌のバックナンバーが数十年単位で見られる環境にいる人か、個人的に資料をまとめている人くらいでしょうか?
1500番台の件、ありがとうございました。--山本輝雄 2006年10月27日 (金) 14:40 (UTC)
鉄道誌のバックナンバーについては、大阪・東京にいれば交通科学館や交通博物館などの図書館を利用できます。国会図書館なども使えるのではないかと思います。また、各地の図書館などはネットで蔵書を検索できたりするケースもあるので、地元の図書館に有益な本がないかなど調べてみるのも方法です。手元に資料がないというのではなく、どこに行けば資料があるかを考えればいいかと思います。ウィキペディアに記事を書くというのは裏づけが必要ということで、参考資料はたくさん見たほうがより正確に書けます。また複数の説がある場合は念のため記述しないなどの安全策もとれます。とにかく記事が書きたいと思う強い意思があれば資料探しは苦労にはならないはずです。図書館の場合図書館法に従って書物の複写が可能になっていますので、それらも含めて活用すればいろいろと手に入ると思いますよ。(ただし交通科学館などの図書室は図書館ではないので複写は不可です。これも正式に申し込めば複写等も相談にのってくれます。) --永尾信幸 2006年10月27日 (金) 15:27 (UTC)

JR西日本の103系3500番台のトイレ増設について

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2006年11月現在、103系3500番台H1編成を除いたH2〜H9編成のすべてにトイレが増設され、また、使用できる状態にあるのですが、本文では、それらの情報が更新されないまま、現在までH7〜H9までのみがトイレ増設済み、ほか、一部準備中という扱いとなっています。2006年9月の段階で3505のトイレを確認し、使える状態であることもわかったのですが、前述した内容が長い間そのまま掲載され続けていたので、更新しようか迷い、結局更新はしなかったのですが、2006年10月に入りH6編成もトイレ増設が完了したことから、今回更新しようと考えているのですが、ここは、さらに調査して、H7〜H9編成以外の編成でトイレが使用できるか確認してから内容を更新した方がよろしいでしょうか。それともそれをせずとも内容を更新してもよいのでしょうか。皆様はどう思われますか? --來灯(らいとー) 2006年11月4日 (土) 14:07 (UTC)

自由に編集できるのがウィキペディアの良いところですから、思い立った時に書き換えればいいと思います。特に現状との差が出てる場合で事実関係がはっきりしているのであれば、早めにする方がいいかもしれませんね。ただ、表の方は将来的に削除するかもしれません。その点あらかじめお断りしておきます。(もちろん私が編集長では無いので、復活させるのも自由ですが) それにしても、全車完了したんですね。まさか103にトイレが・・・という感じでしたが、ここまで増えるともう気にもならなくなりました。余談でした。--永尾信幸 2006年11月5日 (日) 15:20 (UTC)
ご返答ありがとうございます。永尾様のご意見を参考に情報の更新を試みてみようと思います。それと、永尾様には一つ、お詫びを申し上げておかなければなりません。誤解を招くような記述をしてしまいました。103系3500番台には、1編成だけトイレがまだついておりません。それはH1編成なのですが、「H1編成を除いたH2〜H9編成のすべてに」というような記述をしたばかりに、「全編成完了した」というような誤解を招かせる要因を作ってしまい申し訳ございませんでした。今後、このようなことがないよう心得ます。私は平成生まれで、103系と会う機会は大阪環状線くらいだったのですが、この10年ほどの間に地方線に転属するなどして、103系が地域の顔になるような個性を持ち始め、ますます身近になりました。播但線で103系に出会ってからはますます身近に感じられ、興味もわいてきました。これは103系のお陰だと思う次第です。余談でした。--來灯(らいとー) 2006年11月7日 (火) 13:54 (UTC)
あ、本当だH2〜H9と書いてあった。早合点しちゃったようです。お詫びだなんて・・・見過ごしたのは私の落ち度ですので、わざわざスイマセンです。--永尾信幸 2006年11月8日 (水) 05:03 (UTC)

USJラッピング車の画像について

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USJラッピング車の画像を出すのは著作権侵害に当たらないか?> --61.119.46.98 2006年11月24日 (金) 03:37 (UTC)

著作権侵害に当たらないか? --61.119.46.98 2006年11月24日 (金) 03:41 (UTC)

コメントにも書きましたが、他の鉄道画像も含めてJRが著作権を有するJRマークがついています。駅名標などにもJRマークがついていたりしますし地下鉄をはじめとして自社のマークを車体に掲示してるケースも多いですよね。さらに細かいことを言えば画像の中にある企業の広告等が写っていた場合の企業シンボルの著作権はどうなるのか?等々どこまで考えるのか?という問題に発展します。駅舎なんて建築家の著作物である可能性も高いですし、61.119.46.98さんはどうお考えですか? 少なくとも今例に上げた中でやり玉に挙がってるのはラッピング車のみだと思われるのですが。
あと、東京ディズニーランドや三井グリーンランドなどでは著作権法に基づく管理区域内で撮影された写真についてはいっさいのネットアップは許可していませんが、ダメと書いてあるのはその管理区域での撮影に関するものだけです。それらを踏まえて考えますと管理区域内と外での扱いが同じとも思えません。(仮に同じで有ればわざわざ「管理区域内で撮影した画像をネットアップしてはいけません」とは書かず「関連する画像はネットアップしてはいけません」と書くはずです)
もう一つ大きな点は、画像は車両であると言うことです。車両は著作物では無かったと思います。厳密に言えば車両の設計などに関わる部分については設計者の権利は保護されるかと思います。著作権を見ていただければ著作権法第10条という欄に「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第1号に掲げる著作物に該当しない。」ともあり、少なくともラッピング車が走っていた(る)というのは事実の伝達とも言えます。(チト苦しいかな?)
いずれにしても、著作権と簡単に言いますが、本文記事も含めて厳密に著作権を振りかざせばウィキペディア自体が成立しなくなるかも知れません。ウィキペディアは自己の研究発表はダメで検証可能性という点からすると「既に報道されたか、どこかの書籍に載ってる内容を書く事」となっていて、基本的には誰かが書いた物(著作物が多い)を言い回しを変えてウィキペディアに転記してるだけですから。
そのような画像・本文の事情を考えて、今このラッピング車のみ著作権法について言及するメリットはあまり無いように思えますがいかがでしょうか。--永尾信幸 2006年11月24日 (金) 04:25 (UTC)

あと、103系の記事中に「関門・海峡物語」のラッピング画像を残している理由を教えてください。他の画像がダメで「関門・海峡物語」がOKというのはどのような基準で選別されたのでしょうか? 著作権法云々を言うので有れば、当然「関門・海峡物語」の絵自体にも著作権が発生するはずですが。ノートを見させていただきましたが415系で「引用」に関しての部分で著作権法の思い違いのような事が記載されていますね。著作権法32条に「公表された著作物は一定の条件のもとで、引用して使用することができる」と定義されています。仮にJRマークやラッピングなどを著作権にかかると考えたとしても、著作権法32条の引用を用いれば違法行為ではなく合法行為とする事ができます。ただし「著作権に絡む絵等の画像のみ」のページでは32条の条件には当てはまりませんが、ウィキペディアで使用する場合は基本的に膨大な本文(主)の中に配置(従)された主従関係を構築することができます。こちらの点でも大丈夫だと思いますよ。JRのロゴなどについては商標登録されていて、それを単体でアップするなどについてはやはり問題があるようですが車体に貼付されてる状態であれば主は車体ですので問題無いような気がします。いずれにしても61.119.46.98さんが著作権侵害であると思われる点などお聞かせいただければと思います。あと「引用」についてはWikipedia:著作権問題の中の「引用の是非」という節も参考になると思います。--永尾信幸 2006年11月24日 (金) 04:51 (UTC)

今回この問題を提起された61.119.46.98さんが、会社の休憩時間等の閲覧・加筆のようで、ノートの内容を土日は見れなかったと考えられるので月曜日の昼休みまで回答を待つことにしました。12系客車などの編集をおこなっているのでウィキペディアには接続しているようですが、自らが問題提起したこの問題についてフォローがありませんので、この議論につきましては私の解釈で特に問題なしとして削除された画像を復活させていただきます。--永尾信幸 2006年11月27日 (月) 08:42 (UTC)

先ほど見ましたら、また画像を削除されたようですね。削除する前にご自分が提案されたこの話題について回答をしていただきたかったと思います。例えば物事にはそれをしても良い、悪いという根拠が存在しますが、今のままですと61.119.46.98さんのしている事は根拠不十分なまま自分の好きなように行動されてる事になります。ウィキペディアは一種のパブリックスペースでもありますからご自分がこう思うと思われても、それに対しては他の方々の意見も聞きながら行動される方が良いかと思います。

私は別に画像があろうとなかろうと何とも思いませんが、せっかくあるものをわざわざ消す以上は、それなりの根拠が必要かと思います。
また、著作権等につきましては、先に参考として上げましたページの方も良くご覧いただければと思います。
なお、本文にコメントで「ノートで議論済み」と書いてある点のみは事実無根になりますので変えさせていただきますね。--永尾信幸 2006年11月28日 (火) 04:54 (UTC)

基本性能:再開閉スイッチ

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当記事は編集合戦により2006-12-11に全保護の対象となりました([2])。下掲《#保護解除依頼にあたって》参照。--Yumoriy会話

101系からの変更点として書かれていますが、鉄道ファン1971年6月号によると101系の山手線用新製車にはこのスイッチが取り付けられています。よって101系からの変更点と言うわけではなさそうですが101系全車に取り付けられていたわけでもなさそうなので、記述方法も少し変えなければならないかもしれません。山手線使用車と京浜東北線使用車のみこの回路が取り付けられたと言うことですが、両線から101系があちこちに転じていますので、その転出先ではどうなのか? 不明な点は多いです。いずれにしても「山手線向け101系のみに設置されていた再開閉装置を標準装備した」みたいな感じで考えていますが、再開閉装置に関して他の記述があるようでしたら、ご教示いただければと思います。--永尾信幸 2006年11月13日 (月) 19:24 (UTC)

  • 再開閉装置については、元々山手線の101系に付いていて、その山手線に投入の103系にも付けられたという流れから、「101系からの変更点」には相当しないと思います。異論のある方は、早急にこちらのノートに書いていただきたく思います。--125.203.103.26 2006年12月23日 (土) 03:36 (UTC)
鉄道ファン2007年2月号にも、中央線から山手線に転属した101系は「再開閉スイッチを取り付けた」とあります。昭和36年のことですので、103系の試作車も出ていません。仮に101系が改造であったとしても、103系が製造される以前から101系には「再開閉スイッチがついていた」わけです。仮に改造としても101系からの変更点という表現はおかしいと思いますね。この件で保護がかかったことは非常に遺憾です。これだけ検証可能性に基づいて資料を明示していたのにも関わらず、それが全く生かされていない点については少し引いてしまいましたね。--永尾信幸 2006年12月23日 (土) 11:22 (UTC)
  • 上記の11月13日の書き込みに対して、約6週間経過しても異論・反論が出ていないようですので、7日後を目途に「『101系からの変更点』から再開閉スイッチに関する記述を削除する形での合意が形成されたみなされる」という形での保護解除申請を出します。異論・反論のある方は早急に、このノートに記入して下さい。--125.203.103.26 2006年12月24日 (日) 04:39 (UTC)
  情報 当記事「国鉄103系電車」は編集合戦の発生を理由として2006年(平成18年)12月11日に編集を禁止する保護(全保護)の対象となりました差分/9398193。その後の展開については当セクションおよび下掲トピック《#保護解除依頼にあたって》を参照。--Yumoriy会話2024年9月20日 (金) 14:29 (UTC)

レイルマガジン1988年6月号(NO.54)「特集:去りゆく101系通勤電車」の24ページにも「昭和36年度本予算以降の変更点」として「山手線用の車両については再開閉装置を取り付け」とありますね。私がこのノートに検証可能性に基づいた根拠を示していながら101系には後から付けられたと、103系で再開閉装置が初めて取り付けられ、その後に101系に波及したかの様な編集をされてしまいました。ただその根拠を示していただいていないのですね。ウィキペディアが「思いこみだけで書き込める」媒体であるのは前々からわかっていましたが、その尻ぬぐいを「根拠を示した側がしなきゃらない」のには憤りを感じますね。こんなことでは「書き込む前には多数の資料に目を通し、検証ができるように出典も明記する」という多大な労力をかけてくれる方が常駐するとは思われません。

話はそれましたが、現状の「保護」というのは異常な状態であるのは間違いない話ですので、125.203.103.26さんの提案には同意します。--永尾信幸 2006年12月24日 (日) 09:05 (UTC)

  • 保護解除を依頼するにあたり、「IPユーザーにより、今回の合意に反する書き込みが行われてた場合でも、編集合戦にならないよう冷静に対処し、まず対話を呼びかけ、それを無視して書き込みが繰り返される場合は、半保護を依頼する。」という点についても合意を形成したいと思います。賛成・反対の意見のある方は意思表示をお願いいたします。--125.203.103.26 2006年12月31日 (日) 09:25 (UTC)
今回の保護に至る過程を見ていると、ノートなどで根拠を示しているにもかかわらず、その部分に対して議論するわけでもなく、本文で書き換えてしまうケースが多く、そのほとんどがIPユーザーが行っています。103系に限った話ではないのですが、対話による質の向上を目指そうとノートを活用しても、このようなユーザーが多いと結果として保護になってしまい編集が止まってしまうのですね。ですのでIPユーザーがノートにて議論されている内容において本文中で執拗な改変を行うような場合であれば、半保護を依頼しても良いかと思います。--永尾信幸 2006年12月31日 (日) 16:53 (UTC)

1200番台を戻しませんか?

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2009-06-14に記事「国鉄301系電車」の一部が当記事「国鉄103系電車」へ転記されました(特別:差分/26410393特別:差分/26410654)。--Yumoriy会話

現在、1200番台の解説は301系のページで行われていますが、この意味は何なのでしょうか? もし意味がないのであれば、103系のページに戻すべきだと思いますが。--日生586 2006年12月10日 (日) 12:58 (UTC)

  情報 上記提案で言及されている「1200番台の解説」は、2006年(平成18年)6月26日に当記事「国鉄103系電車」から記事「国鉄301系電車」へ転記され差分/6362251差分/6362467。当ノート《#提案:1000,1200,1500番台を103系から301系へ》参照)、当該記事の「#103系1200番台 仕様」節として加筆が続けられていました(参照:「国鉄301系電車2006-12-10 12:48:32 (UTC)の版、一部転記直後との差分は〈差分/6362467/9381026〉参照)。--Yumoriy会話2024年9月20日 (金) 14:29 (UTC)
  • 私も詳しい経緯は存じ上げませんが、国鉄103系電車の文章量が多いので、1200番台を301系に引越しさせて文章量を多少なりとも減らしたということのようです。それでもなお文章量は多いので、1200番台を戻すことは現実的ではないでしょう。読む側、知りたい側からすれば不満は残りますけれどね。将来的な可能性として、1000番台、1500番台を含めて地下形だけを分離し、1200番台、さらには301系ともまとめるという方向性ならあるかも知れませんが、多くの方の賛同をいただくことが可能だったならば、と言わざるを得ない状況ですね。--125.203.103.26 2006年12月25日 (月) 11:32 (UTC)

賛成

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  • いったん103系に戻しておき、その後地下形のみに分離するなどの方法が良いと思います。ただし、1200番台を301系の方で扱ってから時間がかなり経つので、301系の本文中での手直しがかなり多くなるのではないかと思いますし、103系の部分でも工夫していれないといけないと思います。ですので、301系から103系に戻すには非常に労力がかかりますが、それらをやり遂げる意志があるのかどうか。その強い意志があるのであれば賛成しますが、そうでなく単に誰かがやってくれるだろう的な考えであるならば賛成はできません。--永尾信幸 2007年1月9日 (火) 01:04 (UTC)
  • 基本的には賛成です。あくまで103系に属する1200番台が103系の記事で解説されず、丸々301系の記事で解説されていることには強い違和感を覚えます。ただ、上でも述べられているように分割以後103系の記事と301系記事中の1200番台の記述は別々に成長しており、今から1200番台の記述をそのまま103系記事に移すことはできないと思います。とりあえず、帝都高速度交通営団東西線乗り入れ運用向けに1970年に35両が製造されたという旨など最低限の概要を103系記事に追加し、詳細は国鉄301系電車を参照するよう誘導するという形にしてもよいのではないでしょうか。--Alive 2007年3月26日 (月) 16:07 (UTC)
  • 211系のノートで103系1200番台の話題が出た関係もあり約5ヶ月ぶりに、この件の議論を再開したいと思いここに賛成意見を書かせて頂きます。私もAliveさんの意見に賛成致します。301系のノートでも申し上げたのですが、103系1200番台は実際に301系と併結運用されていましたし、301系の後継形式が103系1200番台といってもそれ自体は間違いではないでしょう。でも、数ある文献の中に301系の中に103系1200番台を記述している文献(鉄道ファンや鉄道ジャーナルなど)は私自身一切見たことがありません。やはり、概要や機構については103系で解説するのが筋だと思います。現在私の方で、文献や両記事の文章などをよく見て上記の提案のようにしていこうと計画しています。内容としては、301系にある「103系1200番台 仕様」の節を103系の方に移動し、その他の記述については、運用面などは301系に残しておく計画です。ただ、この記述統合については慎重に行っていく所存であります。--鉄道マニアック野郎 2007年8月3日 (金) 14:46 (UTC)
  • 賛成です。基本的には103系1200番台の車両に関する記事は103系の中でできるだけ完結するように記載する、運用については松戸区転属車は1000番台と共に103系の中で記述、三鷹区所属車は301系の中でまとめる、分離した記事同士は必要に応じて他方へ誘導するためのリンクをはる、です。それから、現在の103系1200番台の記事内容は、301系との共通点もしくは相違点の比較がメインで分離が難しそうな印象をもたれるかもしれません。ですが、そもそも現状そうなっているのは301系の中に103系1200番台の節があるからに他なりません。移動前でも後でも良いので103系のメカの部分をきちんと記事にしていけば良いと思います。(追伸)301系の記事についての問題はそちらに記載します。--Alt_winmaerik 2007年8月9日 (木) 17:06 (UTC)
(賛成)1200番台だけが別扱いで同じく営団(現・東京メトロ)東西線乗り入れ車である301系の項目で扱うのはいくらなんでも不公平(Wikipedia:中立的な観点に反する)だと思います。「餅は餅屋」というくらいですから、103系1200番台に関する記述はやはり103系で述べるべきではないでしょうか? --Kuha455405 2009年4月1日 (水) 12:40 (UTC)

反対

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コメント

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  • 戻す事に賛成です。確かに容量が削れてWikipedia的にはいいのかもしれませんが、利用者からしたら「何で301系の項に載ってんねん」です。多分戻しても2KBくらいしか増えないでしょうし。--59.190.189.130 2007年1月2日 (火) 11:59 (UTC) 日生586さんご本人の投稿であることが強く疑われていますので、コメントへ移動しました。--ikaxer 2007年1月3日 (水) 02:21 (UTC)

一部転記提案を掲示:議論は「ノート:国鉄301系電車」にて

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一年以上経過しましたが、まだ結論に達していないようなので項目の一部転記を提案させていだきました。 議論の分散を避けるため、今後のこの件の議論の場所はノート:国鉄301系電車にてお願いします。--Tokacyan 2009年2月17日 (火) 00:38 (UTC)
ノート:国鉄301系電車でも特に異論がなかったため、103系1200番台の記述を戻しました。--Kuha455405 2009年6月14日 (日) 10:43 (UTC)
  情報 上記一部転記提案差分/24432939差分/24432954の議論ログは《ノート:国鉄301系電車#103系1200番台の記述を103系に項目に戻す件について》の後半部を参照。Wikipedia:コメント依頼も提出されたのち、2009年(平成21年)6月14日に、記事「国鉄301系電車」にあった103系の12000番台に関する記述は当記事「国鉄103系電車」へ転記されました(特別:差分/26410393特別:差分/26410654)。--Yumoriy会話

保護解除依頼にあたって

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当記事の全保護保護解除依頼により2007年1月1日に解除されましたが([3])、2日後の同年1月3日に半保護となりました([4])。先行するトピック《#基本性能:再開閉スイッチ》も参照。--Yumoriy会話

保護解除を依頼するにあたり、保護前後の経過と合意についてまとめてみました。

  • 編集合戦の様相を呈した原因は、「101系からの変更点」において、「再開閉装置の設置」を取り上げるかどうかという点と思われる。(12月8日23:30の修正、12月10日15:37の修正、ノートを参照)
  • 再開閉装置は、初期の101系には無かったが、山手線に投入された101系には新製時から取り付けられた。(参考文献:鉄道ファン1971年6月号)
  • 12月8日23:30に修正した人物は、101系の同装置を「後年の改造による取り付け」と勘違いしていたようである。
  • 11月13日に永尾氏が再開閉装置について、見解の異なる情報の提供を求めているが、これまで90日以上反応が無く、山手線の101系には新製時から再開閉装置が取り付けられていたという見解が正しいものとみなされる。よって、山手線の101系に取り付けられていた再開閉装置を、同じく山手線に投入された103系が採用したことについては、「101系からの変更点」とは言えない。
  • 改めて「101系からの変更点」の項目から「再開閉装置」に関する項目を削除することについての反論を求めたが、未だに反応が無い。
  • したがって「101系からの変更点」の項目から「再開閉装置」に関する記述を削除するのが妥当であるという合意があったものとみなせる。
  • 編集合戦の再発の危険性については、「編集合戦より、まず対話。」というルールの遵守も合意内容に含まれており、その危険性は低い。
  • 以上より、保護解除を申請するのが妥当と思われるので、早急に手続きを行なう。

保護解除依頼についての御意見等は、こちらにお願いいたします。--125.203.103.26 2006年12月31日 (日) 10:29 (UTC)

保護解除の報告 20070102

編集
  • 保護を掛けて下さった管理者の方が、素早く御対応して下さり、保護が解除になりました。今後とも、建設的かつ冷静な対応で参りたいと思います。関係者の皆さんにお礼とともに、お願い申し上げます。--125.203.103.26 2007年1月2日 (火) 01:49 (UTC)
保護を解除していただいたばかりですので、無用な混乱を避けるため、内容の誤りの訂正や建設的な補足は別として、些細な言い回しや表現の変更程度の修正は、しばらく遠慮していただきたく思います。御協力をお願いいたします。--125.203.103.26 2007年1月3日 (水) 00:29 (UTC)
  • 保護が解除されたのもつかの間、早速、半保護を掛けざるを得ない状況になりました。暫く半保護がかけられた状態になると思いますが、御意見等がある方は、こちらにお書き下さい。(ノートは半保護にはなっていません。) --125.203.103.26 2007年1月3日 (水) 10:31 (UTC)

最終7ユニットについて

編集
2007-07-29に主ページ「#7次車(1983年〜1984年製造)」の記述が補訂されました(特別:差分/13931071/13936462)。--Yumoriy会話

編集合戦を避けるため、こちらに事実を記します。

M787~791、M'2044〜2048の5ユニットは昭和58年10月2日の赤羽線10連化用で赤羽線に投入され、昭和60年9月30日の埼京線開業に際し、そのまま川越区に移動。一方、M792・793、M'2049・2050の2ユニットは昭和59年2月1日の山手線内回り増発用で山手線に投入され、JR化後、205系の増備に伴い浦和区(京浜東北線)に転属。

JRRの84・85年版の編成表などでデータは確認できます。ここに書いた内容と、現在の本文の内容に差がある場合、各自で確認してみて下さい。--L25.203.l03.26 2007年7月20日 (金) 14:20 (UTC)

JR化後の7次車の動きについて、鉄道ファン1988年〜2005年の各「JR車両ファイル」掲載号により確認が取れましたので、下記にそれを示します。
  • 1988年度にウグイス色の2ユニットが、1989年にモハ103-791・モハ102-2048を除く4ユニットがそれぞれ浦和電車区へ、1990年にモハ103-791・モハ102-2048が豊田電車区へ転属。
  • 1996年3月の八高線の電化に伴い、浦和電車区に所属していたモハ103-790・モハ102-2047は1995年12月に3500番台に改造された。
  • 1996年8月〜9月に3500番台に改造されたユニットを除く10両が豊田電車区へ転属。2002年にモハ103-792・793とモハ102-2049・2050が廃車。
  • 最後に2004年に残った10両が京葉車両センターへ転属。そして2005年2月までに全車廃車。
なお、本文には上記を少しアレンジした形で記述しますが、豊田電車区に1990年に転属した分と、1996年に転属した分は恐らく武蔵野線で運用されたと思いますが(2004年に京葉車両センターへ転属していることから)、これについては残念ながら確認が取れていないので、この分については記述していません。以前焦りすぎて迷惑を掛けてしまいましたが、今度は資料を完璧に吟味して記述致しました。間違いは無いと思いますので、どうか宜しくお願い致します(これの編集イメージは、私の利用者サブページの「イメージテストぺージ」に記載してあります。なお、910番台に関しては完全に私の記述ミスです。本当に申し訳ございませんでした。ただ、焦ったり急いだりしてはいません。その点はご理解をお願い致します)。--鉄道マニアック野郎 2007年7月29日 (日) 05:26 (UTC)
  情報 上記投稿末尾に「焦ったり急いだりしてはいません」とあるのは、2007年(平成19年)7月29日 01:41:27 (UTC)の版の編集で、要約欄に「急ぐ必要はありません。資料を充分に確認するか、ノートで下書きしてから記事を書いて下さい。差分/13930847とコメントがあったためと考えられます。--Yumoriy会話2024年9月20日 (金) 14:29 (UTC)
確認ご苦労様です。豊田電車区ですが、M792・793、M'2049・2050は青梅・五日市線用、他のユニットは武蔵野線用です。JRRの電車編成表各号を見れば一目瞭然です(それ以前に自分自身でも確認してますが)。お持ちではないですか? --L25.203.l03.26 2007年7月29日 (日) 05:33 (UTC)
書き込みお疲れさまです。単に「ウグイス色」だと埼京線用になった車両もウグイス色であり紛らわしいので、山手線用と直させていただきました。また20年に満たずに廃車になった4両の使用期間を加筆させていただきました。--L25.203.l03.26 2007年7月29日 (日) 07:56 (UTC)
どうもありがとうございます。豊田電車区に転属した分の運用線区についてですが、現在手元に2004年以前のJRRの電車編成表がない為、確認が取れなかったので、それらの情報を得たいと思いここに書きました。ただ、鉄道ファンから青梅・五日市線用の103系が2002年4月で201系に置換えられたことや、最終2ユニットの廃車時期の確認が取れていましたので、これが青梅・五日市線用で運用されていたことはなんとなくわかりました。でも例え今後それらの運用線区の確認が取れたとしても、本文にはこれ以上詳細に記述する必要はないと思うので、本文はとりあえず現行のままにしておきます。--鉄道マニアック野郎 2007年7月29日 (日) 11:44 (UTC)

切迫した電力供給事情の所で疑問に思う所が有るのですが。

編集
2007-08-14に主ページ「#切迫した電力供給事情(#103系の投入先)」節の記述が補訂されました(特別:差分/14235282)。--Yumoriy会話

鉄道について余り詳しく無い者で恐縮ですが、限流値と言うのは1ユニット当たりの電流と言う事でで良いのでしょうか それとも1編成当たりの電流になるのでしょうか?
山手線での103系使用に当たり、101系6M2Tで限流値480Aでの運転と103系4M4Tで限流値415A での運転と大差無いとの事ですが、1ユニット当たりの電流とした場合、編成全体で101系480×3=1440A、 電力にすると1500V×1440A=2160KWと103系415A×2×1500V=1245KWとなり、 倍近い差となりますが、これでほぼ同じ仕事量と言う事は101系はもの凄いロスの多い車両と言う事になると思います が本当なのでしょうか? ロス分は熱となったのでしょうか。
又、基本性能の所で、弱め界磁を設計通り35%にし高速性能を改善したと有りますが、なぜ大多数の103系を設計通り にしなかったのか? 設計通りが少数派と言うのは素に受け止めて違和感が有ります。 MT55と言う電動機が、低速域で優れたトルク性能であり、設計通りであれば高速域も優れているとすれば、 MT55の近郊型や急行型を作った方がMT46の発展型のMT54を使用した車両を作るより経済的だったのでは? と言う疑問も出て来るのですが、その当たりの事情はどう言ったものがあるのでしょう?
車両について余り詳しく無い者が文章を読んで素朴に疑問に思う点なので、宜しくお願いします。--以上の署名のないコメントは、218.119.46.23会話投稿記録)さんが 2007年8月10日 (金) 00:27 (UTC) に投稿したものです。

MT55はどちらかというと低速の引張力を増した主電動機、MT54は高速の引張力を増した主電動機で共存はできません。
101系は旧形に比べても高速性能が劣っていましたが、103系はその101系よりも若干上回る高速性能として設計されています。
実際には弱め界磁35%が機能していなかった事で、かなり高速性能が弱かったので、それを少し改善したのがJR西日本の研究発表です。
設計通り弱め界磁35%の実力が出たからと言って、それはあくまでも旧形よりも高速性能に劣る101系よりも若干上回る程度の高速性能を確保したにすぎず、103系自体も旧形並の高速性能しかなかったという事ですから、その主電動機をして時速100キロ以上が求められる急行型などの主電動機にはなり得ないわけです。
また、103系がそこまでの高速運転をしなければならない場所が少ないため、全車に改造するまでも無かったという事です。
それからMT54はMT46の発展型ですが、MT46搭載形式と連結して運用する事を前提にしてますので、中速域までの性能はMT46もMT54もほとんど変わりません。MT54はMT46に比べて熱容量に余裕がありますので、勾配線区でMT比1:1の編成を組んで運転する事ができました。
101系にMT54を付けたらとか言う方もおられるようですが、MT比1:1で駅間距離が2キロ程度の線区に使う場合は、やはり熱容量不足になったようで、抜本的には101系に毛を生やした程度の性能にしかならず、将来的に冷房装置を積む事すら難しい状態になったと考えられます。
それ以前に、首都圏の電力事情から省電力タイプのMT55と103系を設計しているのに、何を好んで電力を余計に使う形式を作る必要があるのか?という事ですね。あとから「○○であれば」と考えるのは楽しいのですが、その当時がどんな環境であったかを調べないと、あまりにも滑稽な話になってしまうという好例ですね。
限流値は、速度が上がってくると主電動機に流れる電流が少なくなるのですが、そのままだと速度が上がらないので、限流値の値まで下がると主制御器内のカム軸が移動して抵抗が少ない配線になり、主電動機に電流が多く流れるようになります。
速度が上がっていくと、同様な繰り返しになりますので、限流値の値が大きいと、速度が速い内に次の段にカムが進みますので、実質的に加速が良くなります。逆に限流値の値を小さくすると加速は悪くなります。
103系などに装備された応荷重装置は、車両に乗ってる乗客の量によって限流値の値を操作します。つまり乗客が沢山乗っている時は限流値を上げて加速を上げ、車両が乗客の体重で重くなった分と相殺し、空車時と同じ加速になるようになっています。
当然、限流値が上がるということは、主電動機に流れる電流量が増えますので、電力消費量が増えます。
101系にも応荷重装置がありましたが電力事情が悪かったので、電力消費量を抑える目的で、応荷重装置を使わずに限流値を一定にして使いました。
103系に比べて101系が極端に電力を食うというわけでは無いのですが、101系の主電動機が通勤形には向かないので、通勤線区で使う場合はM車比率を上げるか、同じMT比だと限流値を上げなければならないため、同じ編成で同じ運転時間を運転するには103系より101系の方が電力を多く使用したと言う事です。--永尾信幸 2007年8月12日 (日) 23:04 (UTC)

永尾様。
詳しい解説どうも有り難う御座いました。
単純に限流値×架線電圧1500Vから割り出した101系と103系の消費電力の差と言うのが、以前私が携わっていた事務所ビルの契約電力より大きかったので、凄い差だなと思い質問させて頂きました。
実は他にも色々御質問したい所が有るのですが、Wikipediaでは場違いな感がしないでもないので、この辺で終了としておきます。違う場所でお目に掛かった際には宜しくお願いします。 --以上の署名のないコメントは、218.119.46.23会話投稿記録)さんが 2007年8月13日 (月) 21:52 (UTC) に投稿したものです。

上記の「218.119.46.23」さんの書き込みと永尾さんの回答に補足いたします。限流値ですが、これは各M(またはMc)車についている主制御器の進段を設定する電流の値ですから、編成単位ではありません。起動直後の直列時(1ユニットにあるモーター8個を直列に接続)はユニット単位、並列(1両分のモーター4個を直列につないだもの1ユニットにつき2回路)に切り替わった後は1両単位での電流量になります。直列から並列に切り替わると電流量は倍になります。(IP等の補足ありがとうございました。) --L25.203.l03.26 2007年8月14日 (火) 03:47 (UTC)
(素朴な疑問)関連質問失礼します。切迫した電力供給事情に関連してその次の節に、103系4M4Tの限流値415Aで使用した場合、1962年秋の変電所増強分で101系6M2Tの限流値480Aでの運転とほぼ同等な運転を行うことができた。とありますが、何において同等かが示されていないんですね。おそらく山手線の走行にかかる所要時間ではないかと思うのですが、確証が持てなかったので修正しておりませんが、補足をお願いします。
(電圧・電流・仕事量について)ついでに、IPの方の疑問に対して補足しておきます。
電力にすると1500V×1440A=2160KWと103系415A×2×1500V=1245KWとなり、 倍近い差となりますが、これでほぼ同じ仕事量と言う事は101系はもの凄いロスの多い車両と言う事になると思います
電流と電圧だけでは仕事量はわからない
まず、電圧×電流=電力の示すところは、出力とか仕事率と呼ばれるものであって、仕事量ではないことにご注意ください。出力から仕事量を導き出すには、時間を乗じてやる必要があります。すなわち、出力が小さくても時間をかければ同じ仕事量が得られますし、出力が大きければわずかな時間で所定の仕事量を得ることができます。
駅から駅までを走らせることが仕事量ではない
次に、ここでいう仕事量とは何かを考えた場合、電車をある駅から次の駅まで走らせることが仕事量ではないんですね。この場合「車両を起動し、ある速度まで加速させること」これが仕事量になります。ここで注意しなければならないのは、「ある速度」は必ずしも同じではないということです。歯車比や電動機の特性により、車両の加速特性は異なります。同じ所要時間で走らせようとした場合、加速のよい車両はあまり速度を上げなくても所定の時間で走行可能ですし、逆に加速性能の低い車両では高い速度まで加速しないと、所定の所要時間が得られないことになります。とりわけ山手線のような駅間距離の短い路線では、この影響が顕著です。どこまで加速するかが違ってくることは、つまり仕事量も異なることを意味します。
出力も速度に応じて変化する
もう一点、車両に対する仕事は「起動し所定の速度まで加速すること」と書きましたが、仕事率は速度によって変わる性質のものです。電動機電圧×電動機電流という書き方もできますが、引張力×速度という書き方もできます。これの意味することは、速度が0すなわち起動時は出力が0ということです。その後、速度が上がるにつれ出力が上昇していき、ある速度に至ったとき(抵抗性御車では抵抗をすべて短絡したとき)、引張力が低下し始め、あわせて出力も低下していきます。つまり、定格電圧や定格電流というのは、ある決まった速度の一瞬の性能を示しているだけで、「起動からある速度まで加速」を考えた場合は、そのまま指標として用いることはできません。
以上、ちょっとややこしい話になりましたが、性能指標がそのまま実際の性能を示しているわけではない、ということがご理解できましたでしょうか。参考になれば幸いです。--ikaxer 2007年8月14日 (火) 04:08 (UTC)
補足説明と不明瞭点の洗い出しありがとうございます。不明瞭点(同等な運転が指すもの)については、書かれている通り一周の所要時間の事で、この比較であれば101系の方が1分20秒ほど早く一回りできるようでが、便宜上同等とさせていただきました。本文の方は先ほど訂正させていただきました。--永尾信幸 2007年8月14日 (火) 16:55 (UTC)

この項目で初めに質問させて頂いた、IP218.119.46.23の者です。
この件について説明して下さった方々に、改めてお礼申し上げます。有難うございました。
で、ついでと言っては申し訳ないのですが、又幾つか質問させてください。
1、山手線を一周するのに旧型国電を103系で置き換えた場合、時間短縮は何分だったのでしょうか?
2、八高線で使用されていた3000番台ですが、T車はDT21でM車はDT33だったと思いますが、台車が違うにも<br / かかわらず、車体の裾部分の高さは同じだった様に思います。
これは、台車か車体の方で嵩上げしていたのでしょうか?
又、101系改造のサハ103-750番台は103系に比べ裾部分が低いにもかかわらず、天井の高さは同じで、すなわち車体の高さ方向の寸法が103系と101系では違っていた様に思いますが、何の為に寸法を変える必要が有ったのでしょうか? 本文中で車体構造については割とあっさりな説明で済んでいますが、何となく気になっています。 --以上の署名のないコメントは、218.119.46.23会話投稿記録)さんが 2007年8月14日 (火) 22:21 (UTC) に投稿したものです。

101系と103系では台枠の厚みが違います。ホームからの床面の高さは変わりません。台車については、後で図面を確認してみます。それから、書き込みの最後に「~~~~」を書いて下さい。IPや書き込み時刻が記載されます。--L25.203.l03.26 2007年8月15日 (水) 02:14 (UTC)

尾燈上の足掛けのズレと前面強化について

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インドネシアに行った内の1両について記載されましたが、これは平成5年12月までに大宮工場(当時)で前面強化工事を受けた車両(一部はJRRの電車編成表に記載されず)が該当します。前面強化についての項目を入れる一方、該当の記述を削除する方向で考えたいと思いますので、御意見がある方は、お願いいたします。--L25.203.l03.26 2007年8月23日 (木) 04:11 (UTC)

仮称105系について

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  • 1.2.2 駅間距離の長い区間への進出
    • 1964年には京阪神緩行線の新性能化に対して関西支社に103系で良いのか新形式を必要とするのか検討させている。事実、現在の105系とは無関係の仮称105系が4扉クロスシート車で検討されていた。
についてですが、私がいくつか資料を調べた結果、今ひとつこの仮称105系とやらの概要が明確になっていないので、資料類があれば教えて頂きたいです。また資料類が出てこなければ105系に関わる部分は削除したいと考えています。
実際に4扉クロスシートで検討の要望は、東海道・山陽線の内側線のみ使用した快速毎時4本、普通毎時8本の運転を快速毎時5本、普通毎時10本にしたいために追い抜き設備のある駅間を快速の運転間隔(12分)の貯金を使い果たす前に逃げ切れる普通電車の性能が必要と言うことで1960年頃に言われていた事であるが、その要求内容は、歯車比4.82、250%乗車時で時速100km/hまでの加速1.3km/h/s、4扉クロスシートであり、時速100km/hまで80秒で到達できる性能というのは201系ですら厳しい内容であり、歯車比が4.82しか無い状態でこの性能を達成するには全電動車に近いMT比にするか、非常に大出力の主電動機を開発する必要がある他、当時は吹田-甲子園口などの小運転に4両編成を使っていたので、基本4両付属3両という構成が求められる。これらに合致するような形式は非現実的で、大阪局が外側線がありながら内側線だけでこのような緩急高密度運転を行わされてる事に対しての、一種のイヤミ的要求であったようにも感じる。
その後1963年11月20日には小運転以外の緩行電車が全て7両編成になり、1964年10月1日には小運転を尼崎から甲子園口に延長するとともに、一部編成を4両から7両に増強している。
1965年3月28日には西明石までの複々線化が完成し、7月16日には小運転についても全て7両編成化がされ輸送力は着実に増強されている。快速についても113系を1964年9月から投入しているし、高性能通勤車要求の元である緩急分離についても、1966年10月に高槻と芦屋の駅構内配線改良に伴い同改正から内側線快速を外側線に移行、内側線普通電車を2往復増発している等、当初大鉄が求めていた快速増発・普通電車増発は、新性能通勤電車を大阪向けに作らなくても達成できている状況にあった。
この状況では大鉄として、そのような高性能電車を要求する理由が無くなったと言えるが、いつまでも、この話題が引き合いにだされてくるのは、ひとえに103系電車が元々京阪神緩行線がクロスシート中心の車両を集めて(その結果、ラッシュ時の殺人的ラッシュを生み出した点は語られる事が少ないが)いた路線であったのにかかわらず、非常に淡泊な4ドアロングシートであり、大鉄がその昔非常に高性能なクロスシート車を要求していたという事との比較だとは思うが、それがいつの間にか103系が入った後に大鉄が103系に変わる高性能通勤電車を要求したように歴史を歪められていったようだ。アンチ103系的な方々によるところが大きいと思うが、今でも京阪神緩行線の記事ではMT40モーターを賛美する書き込みがあり、最高速度が旧形は95キロで1972年3月改正で新快速との共存ができなかった点も触れられず、103系に不利な項目しかかかない点はウィキペディアにかかわらず良くみかける。
余談は良いとしても、仮称105系という車両の概要について私も勉強させてもらいたいと思っていますので、情報などがありましたら教えて頂きたく思います。
ちなみに、この103系の記事に出ている1964年に関西支社に対して103系で良いのかどうかと検討させたというのは、時系列的に考えたら、大鉄が1960年代初頭より本社に要求している新性能車両とは全く別物であると考えられる。1963年の新車要求会議で大鉄が出してきた大阪向け新性能車両はあっさりと却下されているのに、翌年に本社が大鉄に前年却下した内容に行き着くものを検討させる訳が無いからである。
ここで、本社が大鉄に検討させたのは、103系電車を京阪神緩行に使えるかどうか、であって、103系がダメと言うならどういう性能が必要なのかという点であり、大鉄が上げていた高性能電車を再度検討しろと言うニュアンスでは無いと考えられるからです。
それは、大鉄から答えが出なかった点でも推測できると思うんですね。つまり、大鉄としてはずっと4ドアクロスの高性能車を求めていたのに、そのような高性能車は元々非現実的であった事(113系の快速の投入でさらに非現実度が増した)、大鉄の不満の1つであった内側線での緩急運転について高槻等の工事によって外側線を使わせてもらえる事が明らかになった事、クロスシート車の要求がすでにモハ72等の4ドアロングシートが入った後の京阪神緩行線にとって輸送改善ではなく輸送改悪になる可能性がある事、それらを考えると4ドアクロスの高性能車を返事として出すわけにも行かない、通勤時間帯のラッシュ緩和を考えたらクロスシートにこだわらずロングを要望したいが、それを明言したくないetc.
ある意味、放っておいたら本社が勝手に103系を入れたとすれば、大鉄としてのメンツは保たれる、そういう部分で1964年に関西支社に対して検討させたときに明確に答えが返ってこなかったのでは?と私は思っています。--永尾信幸 2007年8月23日 (木) 07:13 (UTC)
私は大きな間違いをしていました。大鉄がクロスシートを好んでいた事から、この仮称105系と思われる高性能通勤電車の要求条件にある「4扉縦座席」の縦座席をクロスシートだと思っていましたが、ロングシートの事のようです。
要は大鉄局では1960年以前にすでにロングシートを京阪神緩行線に投入しようとしていた事がはっきりわかると言えます。
そうなると、クロスシートの105系という噂の元はどこか?という事になりますね。
とりあえず、本文に記載されている仮称105系の部分は訂正させていただきます。--永尾信幸 2007年9月21日 (金) 20:10 (UTC)

JR分社後の状況と改番を伴わない改造の項目内の、JR西日本窓閉塞について

編集

鉄道ジャーナル91年4月号111〜112ページに於いて、最初の戸袋窓閉塞車登場の記事があります。これによりますと、1990年12月31日に、初めての窓閉塞車の森之宮電車区所属クハ103-243+モハ103-385+モハ102-541+サハ103-348(サハ103-348は翌1991年1月22日から)が登場したとあります。また、この記事には、試行的要素が強いためまず4両の施工になったとも書かれています(現在もモリ18編成上り側4両として営業運転をしています)。 尚、同じく鉄道ジャーナルの92年6月号に103系改造105系の戸袋窓閉塞車の登場の記事があります。最初の改造車は、クモハ105-514+クモハ104-4の2両で、92年3月5日に出場したとのことです。

書き換えをお願いします。 --以上の署名のないコメントは、211.125.206.116会話/Whois)さんが 2007-08-27 01:44:25 (UTC) に投稿したものです。

211.125.206.116さん、情報ありがとうございます。開始年がまだ書かれていませんでしたね。鉄道ファンにも記事があったと思いますので、そちらも確認した上で、文章を考えて直します。なお、大阪環状線の車両の検査等は概ね4両単位であり、戸袋窓閉鎖工事に限ったことではないので、その点は記さないことになると思いますから御了承下さい。105系については車番が違うようですので、私の方でも確認してみます。--L25.203.l03.26 2007年8月27日 (月) 06:54 (UTC)
105系ですが、クモハ105-514+クハ105-4のようですね。番号は良く確認しておいて下さい。雑誌が間違っている例も少なくないので、一部の雑誌に書かれていれば、その内容が間違いであってもWikipedia的には良いのかも知れませんが、参加者は納得しないので、なるべく複数の資料を用いた方が無難です。書き換えはもう少し経ったら行います。それと話が逸れますが、羽衣線向けのワンマン車は、今年度に入ってから6両が改造されています。ですので、10両というのは現状とは異なります。また、阪神大震災の直後に運用されたサハ103(750台)もワンマン化改造(車外スピーカー取付)をされていたとの情報がありますので確認中です。よろしくお願いします。なお、Mc77他4連は7月に廃車回送されたようです。(だからと言って、スグに書いてはいけないのがWikipediaの難しいところですね。) --L25.203.l03.26 2007年9月1日 (土) 12:31 (UTC)

WAU102は「分散式」か「集約分散式」かなど

編集
2007-09-08に主ページ「#冷房改造(⇒#冷房化改造)」節の記述が修正されました(特別:差分/14728224)。--Yumoriy会話

Wikipediaの集約分散式冷房装置を見ますと、上記二種の違いは「ダクトの有無」とのことのようですが、JR西日本のWAU102の冷房改造車にはダクトがありません。そうしますと、分散式と表現するのが妥当ということになり、修正する必要があります。(なお、JR東日本のAU712とJR東海のC-AU711はダクトを併用しています。) また、JR東日本とJR東海では「冷房化改造」、JR西日本では「冷房改造」となっていますが、「冷房化改造」に統一したいと思います。冷房装置の定義も含め、御意見や情報のある方は、こちらに書き込んで下さいますよう、お願いいたします。--L25.203.l03.26 2007年9月7日 (金) 01:53 (UTC)

補足ですが、集約分散式冷房装置でWAU102が紹介されていますので、こちらも削除することになるかと思います。それから、WAU102を同様の外観のクーラーを載せた秩父鉄道1000系(元国鉄・JR101系)はダクトがあり、JR西日本のWAU102搭載車とは内装が異なりますので申し添えます。--L25.203.l03.26 2007年9月7日 (金) 02:16 (UTC)
双方修正しました。また「C-AU711に準ずる」というのが意味不明のため削除しました。--L25.203.l03.26 2007年9月8日 (土) 07:05 (UTC)
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