ノート:フン族

最新のコメント:5 年前 | トピック:バルタザール王について | 投稿者:TEN
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  • このページのほかハンガリーでも、433年フン族にハンガリーを割譲したローマ帝国皇帝の名としてアイキウスが上げられていますが、そもそもこの「ローマ帝国」とは東西どちらのことなのか、また当時の東西ローマ皇帝、テオドシウス2世(東)またウァレンティニアヌス3世(西)のどちらかに該当する人物なのか。どなたか詳しい方による確認をお願いします。なおアッティラでは東のマルキアヌスとされていますが、こちらは在位期間が450年 - 457年であり整合が取れません。よろしくお願いします。--Sat666 2007年10月4日 (木) 16:30 (UTC)返信
    • 少し調べてみましたが、この時期交渉を持ったのは西ローマの方のようです。アエティウスとフン族の間の密約によって、パンノニア(とイリュリクムの一部)の支配が認められたとされています(参考『アッチラとフン族』)。なお、英語版en:Pannoniaには、テオドシウス2世によって割譲されたとありますが、パンノニア属州は西帝の管轄なのでおそらく誤りでしょう。--Crion 2007年10月5日 (金) 06:53 (UTC)返信

匈奴の子孫、テュルク系と断定していいのでしょうか?

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利用者:野島崎沖さん、利用者:トムルさんに相談です。「匈奴の子孫であり、テュルク系民族のユーラシア大陸にまたがる最初の拡張であろう」とありますが、こんなに断定的に書いてよいものでしょうか?

野島崎沖さんは、英語版ウィキペディアのこの版翻訳されたとのことですが、現在の版とはかなり異なっています。まず、「匈奴の子孫であり」の部分の唯一のソースとして提示されている本の著者Joseph de Guignesさんですが、この方は1800年に亡くなっています。「テュルク系民族のユーラシア大陸にまたがる最初の拡張であろう」の部分のソースはTransylvania through the age of migrations も Frucht, Richard C., Eastern Europe, ABC-CLIO もフン族に関するスペシフィックな研究ではありません。フン族が使った言語の固有名詞がテュルク系言語に似ていると言っている人もいれば、それに反論している人もいます。そのため、「匈奴の子孫であり、テュルク系民族のユーラシア大陸にまたがる最初の拡張であろう」と書いてしまうのは問題があると思います。ご検討ください。Takabeg会話2014年9月18日 (木) 09:39 (UTC)返信

どうも、トムルです。ご相談ありがとうございます。直接、私の会話ページに書き込んでくださってもかまいませんよ。相談内容ですが、やはり私も「匈奴の子孫であり~」の文章は断定的であり、中立的ではないと思いますので、この部分はもっと慎重に書くべきと考えます。確かに、何かしらのソースを元に執筆されたのであれば、まったく問題のないことですが(ウィキペディア的に)、古代の遊牧騎馬民族の匈奴~柔然は完全に言語系統が明らかになっているとはいえず、未だに諸説あるのが現状だと思います。また、フン族が匈奴の子孫かどうかも、未だに解明されたとは言えないと思いますので、「~であり」や「~である」といった断定的な言い回しではなく、「~という説がある」や「~という説や~という説もある」あるいは「匈奴がテュルク系だとすれば、テュルク系民族のユーラシア大陸にまたがる最初の拡張であろう」とでも書けばOKかと思います。要するに、諸説ある問題に関しては慎重に執筆すべきということでしょうか。--トムル会話2014年10月8日 (水) 16:19 (UTC)返信

Origin

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Somebody to help to translate and add this :

The Huns practiced artificial cranial deformation, while there is no evidence of such practice among the Xiongnu. [1]Artificial cranial deformation of the circular type can be used to trace the route that the Huns took from north China to the Central Asian steppes and subsequently to the southern Russian steppes.[2][3] The people who practiced artificial cranial deformation in Central Asia were Yuezhi/Kushans.[4][5] Yury Zuev and Edwin G. Pulleyblank identify Utigurs, a successor tribe of European Huns, as one of the tribes of the Yuezhi : "the Utigurs of Menandr are Uti, and the word Uti was a real proto-type of a transcription Yuezhi < Uechji < ngiwat-tie < uti".[6][7] The taxonomic analysis of the artificially deformed crania from 5th–6th Century AD (Hun-Germanic Period) found in Northeastern Hungary showed that none of them have any Mongoloid features and all the skulls belong to the Europid "great race".[8] Otto Maenchen-Helfen questioned the lack of anthropological and ethnographic proximity between European Huns and Xiongnu. [9] E. A. Thompson in his monograph on the Huns also denies the continuity of European Huns with the Xiongnu.[10]

probably something like this :

ヨーロッパのフン族は、頭蓋変形、モンゴロイドフン族(匈奴)の間のこのような実際の証拠を練習しました。円形タイプの頭蓋変形はフン族が保持し、最終的にロシア南部草原に渡す中間アジア草原(カザフスタン)を通過し、中国北部からの移行を開始することをトレースするために使用されます。中央アジア月氏/クシャン人工頭蓋骨を練習人々。エドウィンPuleyblankユーリZuevaは月氏の部族の一つとして、utigurs、ヨーロッパのフン族の子孫を識別分類学的解析」メナンドロスのutigurs UTIとUTI言葉は、転写の真の原型月氏<月氏<Uechji <ngiwatネクタイ<UTIでしたさ」北東ハンガリーで見つかった5-6世紀(フン - ドイツ語期間)から人工的に変形頭蓋骨は、頭蓋骨のいずれも機能をモンゴロイドなくなり、すべての頭蓋骨は白人に属していることを示しています。 Maenchen-Helfenヨーロッパやモンゴロイドフンフン族(匈奴)の間に人類学と民族学的近接性の欠如を示します。フン族の彼のモノグラフでE.トンプソンは、欧州とモンゴロイドフン族の間のリンクを拒否します。

Origin of Bulgars and Huns

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Origin of Huns (Bulgars): in English : http://hunnobulgars.blogspot.bg/

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

フン族」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月18日 (月) 04:42 (UTC)返信

バルタザール王について

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歴代王一覧の中にバルタザールと言う名前の王がリストされているのですが、これの出典をご存じの方はいないでしょうか。確認した限り、参考文献にある以下の2冊にはこの王は登場しません。

  • E・A・トンプソン著、木村伸義訳 『フン族―謎の古代帝国の興亡史』
  • ピエール・リシェ著、久野浩訳 『蛮族の侵入―ゲルマン大移動時代』

また、en:Wikipediaへの仮リンクになっていますがen:Wikipediaに記事は存在せず、en:List of rulers of the Hunsにもリストされていませんし、履歴で翻訳元とされている英語版のバージョンにも該当する記載はありません。 バルタザールと言う名称自体、キリスト教的あるいはヘブライ的な要素の強い名前に思われ、これがフン族の王の名前と言うのも不思議です。私見ではこのリストからは除外すべきではないかと思います。--TEN会話2018年10月24日 (水) 12:10 (UTC)返信

Balambér(a.k.a Balamir, Bülümer) の子としてBaltazár( a.k.a Alip-bi) の名を挙げるものがあるようです。どうやらヨルダネス『ゴート史』あたりに基づく記述のもよう。どうも、マジャル語やトルコ語の情報が多く、私にはあまり内容がつかめないうえに、トゥラン主義あたりに絡んできそうなのでどこまで信頼できる出典があるのかわかりません。いずれにせよ伝説的なものであることは間違いないでしょうが。Tanrının Kırbacı Attila: Kralların Önünde Korkudan Titrediği,Büyük TÜRK ... これは、いちおうマルマラ大学教授が書いた書籍のようですあまり信頼できる書籍とも思われませんが、一応。--Rasalghul会話) 2018年11月21日 (水) 17:30 (UTC)--Rasalghul会話2018年11月21日 (水) 17:56 (UTC)返信
ありがとうございます。意外と深掘りすると面白そうな話題なのかもしれないですね。とはいうもののトルコ語などになると私もちょっと手がでません^^;。再確認してみると、各国語版のWikipediaの中にはバルタザールを含めている版もあるようなのですが・・。ヨルダネスの『ゴート史』はオンライン公開されている英訳版を見る限りBalambérへの言及は確かにあるのですがBaltazárについては該当する記述を発見できませんでした。とても興味をそそられるのですがどうも有用な情報に辿り着けないです--TEN会話2018年11月23日 (金) 08:32 (UTC)返信
他国版を見る限り、ウクライナ語版uk:Балтазарが一番充実していて、なぜかと思ったらキエフに埋葬された云々とありますね。これの出典として挙げられているEdward A. Thompson: The Huns. Oxford 1999.やPeter J. Heather: The Goths. Oxford 1996.を見れば何かわかるかもしれません。しかし、Baltazarという名前自体、Balamberにこじつけて聖書的な名に造作した感がどうにも否めないところですねえ。--Rasalghul会話) 2018年11月23日 (金) 17:10 (UTC)あ、よくみたらTENさんがすでにトンプソンの和訳本を挙げられてますね。それにないってことは、ちょっと怪しい?--Rasalghul会話2018年11月23日 (金) 17:12 (UTC)返信
うーん、見直してみたのですがやはりトンプソンにはバルタザールへの言及はないですね。上の話だと父親になるはずのバランベルからして「バランベルが実在の人物でなかったことは確かなようだ。ゴート族が自分たちを征服したのは誰なのかを説明するのにその名前を考え出したのである。」となっています。バランベルは本記事ではトンプソンを引いて「その実在は疑われている。」となっていますが、日本語訳の本文的には「その実在はほぼ否定されている。」とした方が出典に忠実そうです。--TEN会話2018年11月25日 (日) 08:16 (UTC)返信
  1. ^ Maenchen-Helfen, Otto (1944–1945). The Legend of the Origin of the Huns. Byzantion17. pp. 244–251
  2. ^ Tracing Huns from East to West, L.T. Yablonsky, Cranial vault modification and foreign expansion
  3. ^ Khodjaiov 1966; Ginzburg & Trofimova 1972; Tur 1996
  4. ^ The Huns, Rome and the Birth of Europe, Hyun Jin Kim,page 33
  5. ^ http://www.dandebat.dk/eng-dan11.htm
  6. ^ Pulleyblank, 1966, p. 18
  7. ^ Yu. A. Zuev, EARLY TURKS: ESSAYS on HISTORY and IDEOLOGY, p.38 and p.62
  8. ^ Artificially Deformed Crania From the Hun-Germanic Period (5th–6th Century AD) in Northeastern Hungary, Mónika Molnár, M.S.; István János, Ph.D.; László Szűcs, M.S.; László Szathmáry, C.Sc., http://www.medscape.com/viewarticle/823134_4
  9. ^ Otto Maenchen-Helfen, The Huns and Hsiung-nu. Vol. 22.; The legend of origin of the Huns. Vol 22; Byzantion, 1945
  10. ^ https://books.google.bg/books?id=k3-yZXnhtZgC&printsec=frontcover&dq=Thompson+Huns&hl=bg&sa=X&ei=6wY2T7zPF4bJswbiqvmsDA#v=onepage&q=Thompson%20Huns&f=false
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