ノート:デイモン・ヒル
この記事は2007年11月5日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
名前の表記について
編集「デイモン」という表記と「ヒル」という表記が混在しています。
父親のグラハム・ヒルとの区別の意味合いがあるのかと思いますが、この記事が「デイモン・ヒル」に関するものである以上、「ヒル」という表記を原則とし、グラハム・ヒルとの区別が特に必要な場合のみ「デイモン」と表記するのがよいと思います。--チョコラート 2007年3月15日 (木) 20:44 (UTC)
上の方針で一部「デイモン」を「ヒル」に書き換えました。--チョコラート 2007年3月21日 (水) 17:25 (UTC)
古いノート
編集内容がすごくいいのに、写真がないのが残念 すごく綺麗にまとめられて、大変いいのですが、写真がないのがちと残念。 写真の掲載もお願いします。
父の名の発音はグレアムと表記したほうが良いのでは
グラハム・ヒルの記事中にもありますが、日本のモータースポーツ報道などでは「グラハム」という表記が一般的であるとされています。--チョコラート 2007年3月15日 (木) 20:47 (UTC)
ミハエル・シューマッハとの確執
編集シューマッハーの性格に関する記述は「ヒルとは関係ない」としてコメント化されました。
しかし、これはシューマッハーとヒルの確執がなぜ起こったのかを知るために重要な資料となっています。ヒルが対立した相手はシューマッハーだけだったのに対して、シューマッハーは多くのドライバーと対立しています。そのため、ヒルとシューマッハーの確執において、シューマッハーの性格に原因を求める立場も可能です。
一方、「地味ながら秘められた才能」というセクションの中に、ヒルは「レースメイキングやオーバーテイク、周回遅れの処理が苦手だった」という記述があります。これがシューマッハーとの確執の原因のひとつと見る立場も可能でしょう。
もちろん、原因をどちらであると判断するかは読者の自由ですが、関連する事実を書き留めることには明確な意味があります。これら両方の立場の論拠を記述することは、中立的な観点から非常に重要であり、コメント化はふさわしくありません。よって、これを元に戻します。--チョコラート 2007年5月21日 (月) 07:21 (UTC)
シューマッハの件だけでなくセナとブランドルの件もコメント化したのですが、そちらも戻されていますね。
セナとブランドルの件をコメント化した理由: "ブランドルは「殴られるのかと思った」"ことについては、以下の2つほどの理由が考えられます。
- 追突されたドライバーは一般的に怒る
→この場合、シューマッハが怒るのは当然で、セナ個人の意外な反応(美談)でしかないのでは。
- 追突されたドライバーは一般的に怒らないが、セナなら怒る
→この場合、セナ個人(とブランドル)の問題であり、ヒルとシューマッハを含め、他のドライバーとは関係がないのでは。
1つ目であれば一般論の問題であり、2つ目であればセナの問題ではないでしょうか。いずれにせよ「ヒルとの確執にはシューマッハの性格に原因がある」ということを補う理由とするには無理があると考えます。
このようなことにより、いずれにせよヒル個人とは関係ない内容と判断しました。もちろん、シューマッハ個人とも関係はない内容と判断しました。
それでも敢えてセナのこの話を入れる理由はなんでしょうか。ヒルを扱うページの内容として必要なものでしょうか。 シューマッハの性格に問題があるという印象を残す効果はあるかも知れませんが、シューマッハの性格に問題があることの理由にはならないように思います。
シューマッハの件をコメント化した理由:
一般的に追突されたドライバーが怒るものであれば、シューマッハと佐藤琢磨との件も普通にある話かと考えましたので、コメント化しました。
編集合戦は好みませんので、ご意見を頂くまではこのままにします。 Kemeko 2007年5月22日 (火) 04:44 (UTC)
- Kemekoさん、ご意見ありがとうございます。まず、とりあえず「ブランドルがセナに追突」は事実と違っているので、「セナがブランドルに追突」に修正しました。その他の件は、また後ほどお返事させていただきたいと思います。--チョコラート 2007年5月22日 (火) 09:28 (UTC)
ブランドルがなぜ「殴られるのかと思った」のか、人の内心はわかりませんが、単にセナが走りよってきたから殴られると思ったというだけではないか、と私は思います。
さて、この件が資料として価値があるのは、二つの出来事が同じ場所(ロッジア・カーブだったと思いますが)で極めて似た状況(減速時の後方からの追突)で起こった事故であり、直後に当事者の一方が他方に駆け寄ったという点まで同じだからです。事故の当事者が気分を害するのは、恐らく普通のことでしょう。しかし、即座に相手方に走りよっていくということは、あまり多くはありません。よって、これら二つの事故は、F1レースの中で数多く発生しているその他の事故とは違う特殊性があると言えます。
そして、その一方で、駆け寄ったドライバー(セナとシューマッハー)の内心は、それぞれまったく正反対であったということは、大変興味深く思えます。
もちろん、そんなことは何も面白くない、とする見方もあるでしょう。しかし、「シューマッハの性格に問題があるという印象を残す効果はある」とするならば、このエピソードはヒルとシューマッハーの確執に関して何らかの関連性があるということでしょう。
この記述から、シューマッハーの性格に問題性を感じる読者もいるでしょう。感じない読者もいるでしょう。重要なのは、読者に判断の材料となる客観的な事実を提供することだと考えます。もし「こういう事実があるので、シューマッハーの性格には欠点がある」という記述ならば、「そう判断(記述)する根拠は何か」が問題になります。しかし、「こういう事実がある」という記述から、「シューマッハーの性格には欠点がある」「…欠点はない」という判断を読者が個別にすることには、何の問題もないと思います。--チョコラート 2007年5月23日 (水) 06:30 (UTC)
チョコラートさん、コメントありがとうございます。
セナとブランドルの件は、セナが追突していたのですね。 訂正前の記事を読み、セナもシューマッハと同様に追突されたのだと思い、その前提で書いておりました。
セナが追突した側、シューマッハが追突された側と立場が異なるのであれば、
>「直後に当事者の一方が他方に駆け寄ったという点まで同じだからです」
確かに駆け寄ったという事象は一緒かとは思いますが、
>「駆け寄ったドライバー(セナとシューマッハー)の内心は、それぞれまったく正反対であったということは、大変興味深く思えます。」
セナとシューマッハの立場は真逆であるので、内心が異なるのは当然ではないでしょうか。 セナは追突した側なのだから、セナには怒る理由など無いですからね。
私が「シューマッハの性格に問題があるという印象を残す効果はある」と書いたのは、状況的にも異なる事象をあたかも同様の話であるかのようにを書くことで読者の印象をコントロールし、シューマッハに対して恣意的に悪印象を与えるような構成になっているように感じたので書かせていただいたものです。
>『こういう事実があるので、シューマッハーの性格には欠点がある」という記述ならば、「そう判断(記述)する根拠は何か」が問題になります。しかし、「こういう事実がある」という記述から、「シューマッハーの性格には欠点がある」「…欠点はない」という判断を読者が個別にすることには、何の問題もないと思います。』
『「こういう事実がある」という記述』にはセナとブランドルの一件も含まれると思いますが、これは前述の「状況的にも異なる事象をあたかも同様の話であるかのように」書かれた記述にあたるのではないか、ということです。
書かれた事象が事実であったとしても、それが印象操作のために恣意的に書かれたものであれば、記事に含めるのはふさわしくないように思います。 Kemeko 2007年5月23日 (水) 15:08 (UTC)
追突
編集93年のイタリアGPでは、セナがブランドルに追突しています。95年の同GPでは、ヒルがシューマッハーに追突しています。ここでいう「追突」とは、字義的に言えば、事故の際にどちらの車が後方にいたか、ということを示しているにすぎず、事故の責任がどちらにあるか、とはまったく別の話になるかと思います。したがって、事故時の位置関係から、「セナには怒る理由がなかったがシューマッハーにはあった」とは言えないでしょう。--チョコラート 2007年5月25日 (金) 11:09 (UTC)
状況の差異
編集93年と95年の事故およびその後の当事者の態度について、Kemekoさんは「状況的に異なる」とお考えなのですね。確かにその通りで、まったく同じ状況ではありません。「あの状況ならシューマッハーが腹を立てたことにも一定の合理性がある」いう見方もできます。よって、中立性を保つために93年との状況の違いを書き加えました。
繰り返しになりますが、ある事実からどのような印象を抱くかは、読者の自由ということになると思います。よって、「この事実のみが書かれているのは一方に有利で他方に不利だ」と思われる部分がありましたら、対応する別の事実を加えていただければと思います。--チョコラート 2007年5月25日 (金) 11:14 (UTC)
>この事実のみが書かれているのは一方に有利で他方に不利だ」と思われる部分がありましたら、対応する別の事実を加えていただければと思います。
関係ない事実に対し、それに対応する別の事実を付け加えてゆくことは、デイモン・ヒルに関する内容からかけ離れた文章が増えてゆくだけで、記事の内容が薄くなってしまうと思います。記事のバイト数こそ増えるでしょうが、そのようなことは固辞いたします。 Kemeko 2007年5月27日 (日) 16:28 (UTC)
出典の明記
編集出典を明記してくださった方へ。その記事の掲載ページも記述して頂けますか。よろしくお願いします--60.238.150.163 2008年8月29日 (金) 05:28 (UTC)
出典を明記するにクリアしていない出典がありますね。頁数を書かないのはどうしてですか?--122.133.49.3 2008年9月7日 (日) 22:44 (UTC)
出典を明記するにクリアしていない出典を記事も含めて、一旦コメントアウトしました。雑誌によっては作者不明の場合があるので仕方ないですけど、出版社と頁数はわかりますから、記述をよろしくお願いします。--118.108.241.2 2008年9月14日 (日) 19:16 (UTC)
生い立ちの記述について
編集父グラハム・ヒルの記事には
1975年シーズン終了後の11月、ヒルチームはフランスのポール・リカール・サーキットで翌シーズン用マシンGH2のテストを決行した。旧マシンと同じく戦闘力の低さに泣かされたテストを終えた帰路、ヒル自ら操縦していた軽飛行機がゴルフ場に墜落。同乗していたメインドライバーのトニー・ブライズ含むチームのメンバーたちと共に、ヒルは帰らぬ人となった。天候が悪化していたエルストゥリー飛行場に脚代わりの自動車が置いてある事から、ヒルが無理矢理着陸を強行した事が起因とされる。何度かの大クラッシュを生き延び、18年間走り続けたドライバーの皮肉な最期だった。
その際に保険証書が事故機もろとも焼失し、保険会社から保険金支払いを拒まれたことからヒル家は同乗者遺族への補償金支払いのために一転して窮乏生活を強いられる事になった。この時、長男デイモンは15歳で、後に彼も父と同様、レーサーを志す事となった。
— 当該記事より、グラハム・ヒル#事故死
となっていますが、当記事では
父であるグラハムがレーサーとしての才能を開花し始めた1960年に誕生したということもあり、洗礼式では父グラハムの戦友であった当時のトップドライバー仲間に囲まれるなど、少年時代までは平穏な生活を送っていた。
ところが、1975年にグラハムがエンバシー・ヒルのチームクルーと共に軽飛行機事故で死亡。このとき保険に加入していなかったことで、同乗者への補償金支払いのためにヒル家は一転して窮乏生活を強いられる事になった。青年時代は音楽の道に進もうとした時期もあったが、やがて父と同じくモータースポーツを選び、バイク便のアルバイトをしながら二輪レースに参加した。
— 当該記事より、デイモン・ヒル#生い立ち
となっています。結果的に遺族は保険金といったものを手に入れられなかった点は同じですが、そこまでの過程(太字部分)は異なり、どちらかが間違っていることになります。ご存知の方、編集お願いいたします。--223.218.200.115 2019年9月24日 (火) 05:36 (UTC)
- 可能な範囲で事情を確認して両記事を修正しました。保険金が支払われなかった理由として、英語のニュース記事などではグラハムが「無保険(no insurance, uninsuranced)だったため」という書き方をされていることが多く、その通りに書くと修正前の記事のようになっても致し方ないところだと思います。その背景まで書いている記事では「ヒル自身が飛行免許の更新を忘れていたため」と書いていることが確認できます。加えて、以前から知られていたことなのかもしれませんが、デイモンが最近の自伝で書いてる理由として、飛行機の登録状況にも不備があったという理由があり、そのふたつの理由のため「(保険会社が)保険を支払わない理由としては充分だった」(と言わざるを得ない)としています。グラハム所有の飛行機の登録状況に不備があった(「無国籍状態だった」)という点は当時の事故報告書でも指摘されていて、(それを保険会社がヒル家に対して主張することも当然だろうと思われ)事実関係にも矛盾がないので理由として注釈に記載しました。--Morio(会話) 2019年9月29日 (日) 13:52 (UTC)
- なるほど、保険には加入していた?が、機体の登録・免許ともに失効しているという問題のある状態だった、というわけですね。良くわかりました。調査及び記事修正、ありがとうございました。--223.218.200.115 2019年9月29日 (日) 18:31 (UTC)