ニコラ・ベルナール・レピシエ
フランスの画家
ニコラ・ベルナール・レピシエ(Nicolas Bernard Lépicié、1735年6月16日 - 1784年9月15日)は、フランスの画家である。
ニコラ・ベルナール・レピシエ Nicolas Bernard Lépicié | |
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自画像 | |
生誕 |
1735年6月16日 フランス王国・パリ |
死没 |
1784年9月15日(49歳没) フランス王国・パリ |
略歴
編集パリで生まれた。父親のフランソワ・ベルナール・レピシエ(François-Bernard Lépicié)、母親のレネー・エリザベス・マルリエ(Renée-Élisabeth Marlié)の2人とも有名な版画家であった。父親から版画を学ぶが、眼が良くなく、絵画に移り、16歳頃から、シャルル=アンドレ・ヴァン・ローなどの有名画家から絵を学んだ。1759年にローマ賞の2位を受賞したが、イタリアなどへの留学は行わずフランスで活動をした。王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれ、1769年にアカデミーの助教授、1770年に教授に選ばれた。
レピシエの教えた学生にはカルル・ヴェルネ、ジャン=フレデリック・シャール、ジャン=アントワーヌ=テオドール・ジルースト、ジャン=ジョゼフ・タイヤソン、アンリ=ピエール・ダンルー、ジャン=バプティスト・ルニョー、ニコラ=アントワーヌ・トーネーらがいた。
歴史画で評価された画家であるが、ジャン・シメオン・シャルダンの影響も受けて『ファンションの起床』のような風俗画を描くこともあった。
作品
編集参考文献
編集- Site officiel du musée du Louvre
- Nicolas Bernard Lépicié
- Philippe-Gaston Dreyfus, "Une dernière volonté de Nicolas-Bernard Lépicié" Bulletin de la Société de l'histoire de l'art français, 1er fascicule, Nogent-le-Rotrou, Daupeley-Gouverneur, 1910