ニコライ・ドゥドロフ
ニコライ・パヴロヴィッチ・ドゥドロフ(ロシア語: Николай Павлович Дудоров 、ラテン文字表記の例:Nikolai Pavlovich Dudorov、1906年5月22日 - 1977年3月9日)は、ソビエト連邦の政治家。非チェキストである。ニキータ・フルシチョフ政権時の内務大臣を務めた。
ニコライ・ドゥドロフ Николай Дудоров | |
---|---|
生年月日 | 1906年5月22日 |
出生地 | ロシア帝国 ウラジーミル県 コヴロフ郡ミシュネヴォ村 |
没年月日 | 1977年3月9日(70歳没) |
死没地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
出身校 | モスクワ科学技術大学 |
所属政党 | ソビエト連邦共産党 |
称号 |
レーニン勲章(2個) 労働赤旗勲章 赤星勲章 |
在任期間 | 1956年1月31日 - 1960年5月1日 |
閣僚会議議長 |
ニコライ・ブルガーニン ニキータ・フルシチョフ |
経歴
編集1906年5月22日にロシア帝国のウラジーミル県コヴロフ郡ミシュネヴォ村の農家に誕生する。1927年から共産党員となった。
- 1922年~1929年 - M.I.カリーニン名称モスクワ・クリスタル工場の見習い工、職長
- 1929年~1934年 - モスクワ化学技術大学
- 1934年7月 - モスクワの「アフトステクロ」工場の「トリプレクス」職長
- 1937年8月 - ソ連重工業人民委員部ガラス技術総局生産運営課長
- 1937年11月 - ソ連重工業人民委員部党委員会副書記
- 1938年2月 - ソ連重工業人民委員部党委員会書記
- 1939年2月 - ソ連建設資材産業人民委員部セメント総局副総局長
- 1939年5月 - ソ連建設資材産業人民委員部建築ガラス総局副総局長
- 1940年4月 - ソ連建設資材産業人民委員部総務局長
- 1941年5月 - ソ連建設資材産業人民委員部断熱材総局長
- 1943年11月 - ソ連建設人民委員部(1946年3月から建設省)断熱材総局長
- 1947年6月 - ソ連建設資材産業省石膏総局長
- 1949年6月 - ソ連建設資材産業省党委員会書記
- 1950年6月 - 全連邦共産党(ボリシェヴィキ)モスクワ市委員会建設・建設資材課主任
- 1952年8月 - モスソビエト執行委員会副議長
- 1954年12月 - ソ連共産党中央委員会建設課主任
- 1956年1月 - ソビエト連邦内務大臣
- 1960年7月 - 1967年のモスクワ万国博覧会総委員
- 1962年8月 - モスクワ市執行委員会附属建設資材産業総局長(連邦相級)
- 1956年~1966年 - ソ連共産党中央委員会委員となった。
- 1972年6月 - 年金生活に入る。
- 1977年3月9日 - 70歳で死去し、モスクワのノヴォデヴィッチ墓地に葬られる。
パーソナル
編集レーニン勲章2個、労働赤旗勲章、赤星勲章を受章。
公職 | ||
---|---|---|
先代 セルゲイ・クルグロフ |
ソビエト連邦内務大臣 第4代:1956年1月31日 - 1960年5月1日 |
次代 ニコライ・シチョーロコフ 1960年~1966年廃止 |