ナヴィン・ラングーラム

モーリシャスの政治家、第5代首相

ナヴィン・ラングーラムヒンディー語: नवीन चन्‍द्र रामगुलाम1947年7月14日 - )は、モーリシャス共和国政治家労働党英語版所属議員。(共和制移行後における)モーリシャス第2代・第5代・第9代首相

ナヴィン・ラングーラム
नवीन चन्‍द्र रामगुलाम
生年月日 (1947-07-14) 1947年7月14日(77歳)
出生地 イギリスの旗 イギリス
モーリシャス ポートルイス
出身校 アイルランド王立外科医学院
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
ロンドン大学シティ校法学部英語版
前職 医師
弁護士
所属政党 労働党英語版
称号 修士
親族 シウサガル・ラングーラム
サイン

在任期間 1995年12月27日 - 2000年9月11日
大統領 カッサム・ウティーム
在任期間 2005年7月5日 - 2014年12月17日
大統領 アヌルード・ジュグノート
モニーク・ベルポー(代行)
ラジュケスウール・ピュリャグ
在任期間 2024年11月13日 - (現職)
大統領 プリトヴィラジシン・ルーパン
テンプレートを表示

経歴

編集

父は英連邦王国としてのモーリシャスの独立に貢献し、労働党党首として初代首相にもなったシウサガル・ラングーラム。ナヴィンは、アイルランド首都のダブリンで医師として修業に努め、1977年に医師免許を得た。また、政治家としてのキャリアを積むため、修士学位ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて取得した。

1991年にナヴィン・ラングーラムは労働党の党首となり、1995年国民議会選挙で与党モーリシャス社会主義運動(MSM)を破り、共和制移行後の第2代首相に就任した。2000年の国民議会選挙ではMSMに敗北、下野したが、2005年選挙では社会主義連盟を結成して雪辱、第5代首相に就任した。2010年の国民議会選挙では、積年のライバルであるMSMなどと未来同盟英語版を結成、勝利して首相の地位を守った。

ラングーラムの政策は、モーリシャス国民への無料交通の導入、高齢者に対する温厚政策などを行うために、モーリシャスの税制を厳罰化するなど、それまでにない改革が行われている。実権を握るラングラームと、名誉職である大統領アヌルード・ジュグノートとの対立が激化し、ジュグノートは2012年3月31日で辞任するに至った[1]

2024年モーリシャス総選挙英語版でラングーラム率いる労働党及び野党連合が議会の62議席中60議席を獲得し、勝利。11月13日に3期目となる首相の座に就いた[2]

出典

編集
先代
アヌルード・ジュグノート
モーリシャス首相
1995年 - 2000年
次代
アヌルード・ジュグノート
先代
ポール・ベレンガー英語版
モーリシャス首相
2005年 - 2014年
次代
アヌルード・ジュグノート
先代
プラビンド・ジュグノート
モーリシャス首相
2024年 -
次代
(現職)