ナタリー・ドシー
ナタリー・ドシー(Nathalie Dechy, 1979年2月21日 - )は、フランスの女子プロテニス選手。フランス領のグアドループに生まれる。2006年と2007年に全米オープン女子ダブルスで2年連続優勝した選手で、2007年全仏オープンの混合ダブルス優勝もある。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ベースライン・プレーヤーで、オーバーヘッド・スマッシュ(自分の頭の上から打つスマッシュ)を最も得意にする。自己最高位はシングルス11位、ダブルス8位。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルスで7勝を挙げた。「ドゥシー」「デシー」などの表記揺れも多い。
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ナタリー・ドシー | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | フランス | |||
出身地 | グアドループ島・レザビーム | |||
生年月日 | 1979年2月21日(45歳) | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 63kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1994年 | |||
引退年 | 2009年 | |||
ツアー通算 | 8勝 | |||
シングルス | 1勝 | |||
ダブルス | 7勝 | |||
生涯通算成績 | 621勝521敗 | |||
シングルス | 430勝340敗 | |||
ダブルス | 191勝181敗 | |||
生涯獲得賞金 | $4,281,064 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト4(2005) | |||
全仏 |
3回戦(1998・99・2001-03・ 05・06) | |||
全英 | 4回戦(1999・2005) | |||
全米 | 4回戦(1998・2005) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト4(2009) | |||
全仏 | ベスト8(2000・03・06) | |||
全英 | ベスト4(2008) | |||
全米 | 優勝(2006・07) | |||
優勝回数 | 2(米2) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全豪 | 準優勝(2009) | |||
全仏 | 優勝(2007) | |||
全英 | ベスト8(2008) | |||
全米 | ベスト8(2006・07) | |||
優勝回数 | 1(仏1) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 11位(2006年1月9日) | |||
ダブルス | 8位(2007年5月21日) | |||
来歴
編集ドシーは父親がテニスと数学の教師で、母親もスポーツの教師という恵まれた家庭に育った。1994年にプロ入り。1995年に高校を中退し、プロテニス選手に専念する。同年の全仏オープンで、地元フランス人選手として主催者推薦を受け、4大大会にデビューした。2000年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのフランス代表選手になる。同年に2つのトーナメントで決勝に進んだが、どちらも準優勝で止まった。2003年1月にオーストラリア・ゴールドコーストの大会でツアー初優勝を果たしたが、これがドシーの唯一のシングルス・タイトルである。
ナタリー・ドシーのシングルス分野でのハイライトは、2005年全豪オープンでの準決勝進出である。この時ドシーは、4回戦で2004年全仏オープン優勝者のアナスタシア・ミスキナ、準々決勝ではスイスの実力者パティ・シュナイダーを破り、初めて4大大会のベスト4に勝ち残った。準決勝では第1シードのリンゼイ・ダベンポートから第1セットを 6-2 で奪ったが、第2セットのタイブレークを失い、最終第3セットでダベンポートに 4-6 と逆転されて決勝進出を逃した。全豪オープンで8強入りした2005年は、ウィンブルドンと全米オープンでも4回戦に進み、全体的に好調なシーズンを送った。
2006年度の序盤戦ではつまずき、全豪オープンでは初戦敗退に終わる。2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント2回戦で、第3シードのドシーは当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスに 6-4, 5-7, 2-6 の逆転で敗れた。シングルスではしばらく不調が続いたが、全米オープンの女子ダブルスでドシーはベラ・ズボナレワとペアを組み、カタリナ・スレボトニク(スロベニア)&ディナラ・サフィナ(ロシア)組を 7-6, 7-5 で破って初優勝を決めた。
2007年の全仏オープン混合ダブルス部門で、ドシーはアンディ・ラム(イスラエル)とペアを組んで優勝し、2つ目のグランドスラム・タイトルを獲得した。ドシーとラムは、決勝で前年度優勝ペアのネナド・ジモニッチ(セルビア)&カタリナ・スレボトニク組を 7-5, 6-3 で破って初優勝を決めた。全米オープンの女子ダブルスでは、ドシーは(前年度は決勝でネット越しに戦っていた)ディナラ・サフィナとパートナーを組んだ。ドシーとサフィナは、決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を 6-4, 6-2 で破り、ドシーは全米女子ダブルス2連覇を達成した。
ドシーは4大大会のシングルスに1996年全仏オープンから最後の試合出場になる2009年ウィンブルドン選手権まで54大会連続で出場した。これは杉山愛の62大会連続、フランチェスカ・スキアボーネの61大会連続に次ぎ、エレーナ・リホフツェワと並んで史上3位である。
2009年7月ドシーは妊娠と現役引退を発表。2010年1月長男を出産している。
WTAツアー決勝進出結果
編集シングルス: 5回 (1勝4敗)
編集大会グレード | |
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2008年以前 | 2009年以後 |
グランドスラム (0–0) | |
WTAファイナルズ (0–0) | |
ティア I (0–0) | プレミア・マンダトリー (0-0) |
プレミア5 (0-0) | |
ティア II (0–1) | プレミア (0–0) |
ティア III (1-2) | インターナショナル (0–0) |
ティア IV & V (0–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2000年2月27日 | オクラホマシティ | ハード | モニカ・セレシュ | 1–6, 6–7 |
準優勝 | 2. | 2000年4月16日 | リスボン | クレー | アンケ・フーバー | 2–6, 6–1, 5–7 |
優勝 | 1. | 2003年1月5日 | ゴールドコースト | ハード | マリー=ガイアネ・ミカエリアン | 6–3, 3–6, 6–3 |
準優勝 | 3. | 2004年8月29日 | ニューヘイブン | ハード | エレーナ・ボビナ | 2–6, 6–2, 5–7 |
準優勝 | 4. | 2008年8月17日 | シンシナティ | ハード | ナディア・ペトロワ | 2–6, 1–6 |
ダブルス: 14回 (7勝7敗)
編集結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2001年10月21日 | ブラチスラヴァ | ハード (室内) | メイレン・ツー | エレーナ・ボビナ ダヤ・ベダノワ |
3–6, 4–6 |
優勝 | 1. | 2002年2月10日 | パリ | カーペット (室内) | メイレン・ツー | エレーナ・デメンチェワ ヤネッテ・フサロバ |
不戦勝 |
準優勝 | 2. | 2002年2月17日 | アントワープ | カーペット (室内) | メイレン・ツー | パティ・シュナイダー マグダレナ・マレーバ |
3–6, 7–6, 3–6 |
準優勝 | 3. | 2002年10月20日 | ブラチスラヴァ | ハード (室内) | メイレン・ツー | マヤ・マテブジッチ ヘンリエッタ・ナギョワ |
0–6, 4–6 |
準優勝 | 4. | 2003年1月5日 | ゴールドコースト | ハード | エミリー・ロワ | マルチナ・ナブラチロワ スベトラーナ・クズネツォワ |
4–6, 4–6 |
準優勝 | 5. | 2003年2月16日 | アントワープ | カーペット (室内) | エミリー・ロワ | 杉山愛 キム・クライシュテルス |
2–6, 0–6 |
準優勝 | 6. | 2004年10月31日 | リンツ | ハード (室内) |
パティ・シュナイダー | ヤネッテ・フサロバ エレーナ・リホフツェワ |
2–6, 5–7 |
優勝 | 2. | 2006年9月10日 | 全米オープン | ハード | ベラ・ズボナレワ | ディナラ・サフィナ カタリナ・スレボトニク |
7–6(5), 7–5 |
優勝 | 3. | 2007年5月14日 | ローマ | クレー | マラ・サンタンジェロ | タチアナ・ガルビン ロベルタ・ビンチ |
6–4, 6–1 |
優勝 | 4. | 2007年9月9日 | 全米オープン | ハード | ディナラ・サフィナ | 詹詠然 荘佳容 |
6–4, 6–2 |
優勝 | 5. | 2009年1月5日 | オークランド | ハード | マラ・サンタンジェロ | ヌリア・リャゴステラ・ビベス アランチャ・パラ・サントンハ |
4–6, 7–6(3), [12–10] |
準優勝 | 7. | 2009年1月16日 | シドニー | ハード | ケーシー・デラクア | 謝淑薇 彭帥 |
0-6, 1-6 |
優勝 | 6. | 2009年3月2日 | モンテレイ | ハード | マラ・サンタンジェロ | イベタ・ベネソバ バルボラ・ザフラボバ・ストリコバ |
6–3, 6–4 |
優勝 | 7. | 2009年5月18日 | ストラスブール | クレー | マラ・サンタンジェロ | クレア・フュアーステイン ステファニー・フォレッツ |
6–0, 6–1 |
4大大会ダブルス優勝
編集4大大会シングルス成績
編集- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | LQ | 1R | 1R | 1R | 1R | 1R | 3R | 3R | 4R | SF | 1R | 1R | 1R | 2R | 13–13 |
全仏オープン | 1R | 2R | 1R | 3R | 3R | 1R | 3R | 3R | 3R | 1R | 3R | 3R | 2R | 2R | 1R | 17–15 |
ウィンブルドン | A | 1R | 2R | 1R | 4R | 3R | 2R | 3R | 3R | 3R | 4R | 1R | 1R | 2R | 1R | 17–14 |
全米オープン | A | 2R | 2R | 4R | 1R | 2R | 2R | 3R | 2R | 3R | 4R | 1R | 1R | 1R | A | 15–11 |
※: 2003年全米2回戦と2004年全米3回戦の不戦敗は通算成績に含まない