デミディウ (キーウ州)
デミディウ (ウクライナ語: Демидів) は、ウクライナ・キーウ州のヴィーシュホロド地区(ラヨン)の村である[1]。ウクライナの最も古い村の一つで1026年に成立している。村はキーウ貯水池に近いKizka川がイルピン川に合流する地点に位置している。
デミディウ | |
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Демидів (Demydiv) | |
Dinazサッカー場 | |
座標:北緯50度43分38秒 東経30度19分38秒 / 北緯50.72722度 東経30.32722度座標: 北緯50度43分38秒 東経30度19分38秒 / 北緯50.72722度 東経30.32722度 | |
州 | キーウ州 |
地区(ラヨン) | ヴィーシュホロド地区 |
村 | デミディウ |
成立 | 1026年 |
標高 | 107 m |
人口 推計 | |
• 合計 | 3,700人 |
等時帯 | UTC+02:00 (東ヨーロッパ時間) |
• 夏時間 | UTC+03:00 (東ヨーロッパ夏時間) |
郵便番号 |
07335 |
区画コード[注釈 1] | UA32100030090077939 |
歴史
編集デミディウが最初に史料に登場したのは1026年だった。
自己犠牲で首都キーウを救った村
編集2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻では、侵攻直後の2月末、キーウ貯水池を堰き止めるダムが決壊し、村は2カ月以上に渡って洪水に見舞われた[2][3]。
ウクライナの首都キーウの中心まで車で一時間ほどの距離にあり、ロシア軍の進撃を阻むためイルピン川にかけられた橋はウクライナ軍によって破壊された[2]。
さらにウクライナ軍はキーウ近郊の貯水ダムの止水壁を爆破、数百万リットルの水がイルピン川に流れ込み、氾濫した[4][5]。
これによって発生した洪水により村は浸水したがロシア軍戦車の前進が阻止され、ウクライナ軍は防衛を準備するための貴重な時間を稼いだ。またデミディウ村からキーウに前進出来なくなったロシア軍は進行方向を変え、後に残虐な虐殺が起こったブチャ方面に向かった[2][3]。
脚注
編集注釈
編集- ^ ウクライナの地方自治体の行政区画ごとに付けられた識別符号
出典
編集- ^ “Демидів - Київська область” (ウクライナ語). decentralization.gov.ua. 2022年5月17日閲覧。
- ^ a b c “ダム攻撃で洪水、侵攻と水害に耐えた2か月 ウクライナ首都近郊”. www.afpbb.com (2022年5月3日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ a b “They Flooded Their Own Village, and Kept the Russians at Bay” (英語). The New York Times. (2022年4月27日). ISSN 0362-4331 2022年5月17日閲覧。
- ^ “ロシアの進軍阻むため水浸しになった村、忍耐の限界に ウクライナ”. www.afpbb.com (2023年3月19日). 2023年6月8日閲覧。
- ^ “After dam break saved the capital, dozens of houses still underwater in flooded village of Demydiv – NV report” (英語). Yahoo News (2022年5月3日). 2023年6月8日閲覧。
外部リンク
編集- デミディウの天気 Archived 2008-03-11 at the Wayback Machine.
- デミディウ — インフォメーションと認識ポータル | ソビエト連邦の一部キーウ州 Archived 2013-03-18 at the Wayback Machine. (На основі матеріалів енциклопедичного видання про історію міст та сіл України, тома — Історія міст і сіл Української РСР: Київ. — К.: Гол. ред. УРЕ АН УРСР, 1968., Історія міст і сіл Української РСР. Київська область / Ф. М. Рудич (голова ред. колегії) та ін. — К.: Гол. ред. УРЕ, 1971. — 792 с.)