ディック・ノーマン
ディック・ノーマン(Dick Norman, 1971年3月1日 - )は、ベルギー・ワレヘム出身の男子プロテニス選手。2009年全仏オープン男子ダブルスで、ウェスリー・ムーディと組んで準優勝した選手である。ATPツアーでダブルス4勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス85位、ダブルス10位。左利き。身長203cmの長身からついた“Big D”(ビッグD)というニックネームがある。
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ディック・ノーマン | ||||
基本情報 | ||||
愛称 | ビッグD | |||
国籍 | ベルギー | |||
出身地 | 同・ワレヘム | |||
生年月日 | 1971年3月1日(53歳) | |||
身長 | 203cm | |||
体重 | 95kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1991年 | |||
引退年 | 2013年 | |||
ツアー通算 | 4勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 4勝 | |||
生涯通算成績 | 149勝189敗 | |||
シングルス | 30勝69敗 | |||
ダブルス | 119勝120敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,017,985 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 2回戦(2006) | |||
全仏 | 3回戦(1997) | |||
全英 | 4回戦(1995) | |||
全米 | 2回戦(2002) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 2回戦(2006・13) | |||
全仏 | 準優勝(2009) | |||
全英 | ベスト4(2009) | |||
全米 | ベスト8(2009) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 85位(2006年11月6日) | |||
ダブルス | 10位(2010年4月26日) | |||
来歴
編集6歳からテニスを始め、1991年にプロ入り。ノーマンが最初に脚光を浴びたのは、1995年ウィンブルドン選手権男子シングルス4回戦進出だった。ノーマンは当時世界ランキング176位で、ウィンブルドン男子シングルスの予選3回戦でサンドン・ストールに敗れたが、大会開始直前に欠場者が出たことによりラッキールーザーとして本戦出場権を得た。本戦1回戦でパット・キャッシュが途中棄権した後、2回戦でノーマンは第13シードのステファン・エドベリを6-3, 6-4, 6-4で破った。そこから4回戦まで勝ち進み、第3シードのボリス・ベッカーに6-7, 3-6, 4-6のストレートで敗れた。ウィンブルドン後、1995年9月22日-24日に男子国別対抗戦戦デビスカップのワールドグループ・プレーオフが行われ、ノーマンは対ノルウェー戦でデビスカップベルギー代表に初起用された。10月にセイコー・スーパー・テニスで来日し、翌週のチャイナ・オープンダブルス決勝進出もあった。2年後の1997年全仏オープンでセルジ・ブルゲラとの3回戦まで進出した。ノーマンは1998年に一度引退し2年間テニスから離れたが2000年に復帰した。
2007年1月のチェンナイ・オープン男子ダブルスで、ノーマンは同じベルギーのグザビエ・マリスとペアを組み、プロ入り16年目でツアー初優勝を果たした。ノーマンとマリスは、決勝でラファエル・ナダル/バルトロメ・サルバ・ビダル組を7-6, 7-6で破って優勝を決めた。2年後の2009年2月、ノーマンはSAテニスオープンダブルスでジェームズ・セレターニとペアを組み、2年ぶりのツアー2勝目を挙げた。
ノーマンは2009年全仏オープン男子ダブルスで、ウェスリー・ムーディと組み、準決勝で第2シードのブライアン兄弟を0-6, 7-6, 6-4の逆転で破り、ノーシードから初の決勝戦に進出した。決勝では第3シードのルーカス・ドロウヒー/リーンダー・パエス組に6-3, 3-6, 2-6の逆転で敗れ、ノーマンとムーディは準優勝に終わった。ベルギーの男子テニス選手が4大大会決勝に進出したのは、5年前の2004年全仏オープンで男子ダブルス優勝者になったオリビエ・ロクス/グザビエ・マリス以来の快挙であったが、ノーマンはロクスとマリスの後に続くことができなかった。
全仏ダブルス準優勝の後、ノーマンとムーディはオーディナ・オープンで優勝した。それからウィンブルドン選手権でも準決勝まで勝ち進み、ブライアン兄弟に6-7, 6-7, 4-6で敗れた。
2010年BNPパリバ・オープンの予選を最後にノーマンはシングルスから撤退しダブルスに専念した。2010年4月26日付のランキングで自己最高のダブルス10位を記録している。2013年6月のトップシェルフ・オープンでベルギーの後輩のダビド・ゴフィンと組んで出場したのを最後に42歳で現役を引退した[1]。
ATPツアー決勝進出結果
編集ダブルス: 7回 (4勝3敗)
編集結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1995年10月16日 | 北京 | ハード | フェルノン・ヴィビール | トミー・ホー セバスチャン・ラルー |
6–7, 6–7 |
優勝 | 1. | 2007年1月8日 | チェンナイ | ハード | グザビエ・マリス | ラファエル・ナダル バルトロメ・サルバ・ビダル |
7–6, 7–6 |
優勝 | 2. | 2009年2月8日 | ヨハネスブルグ | ハード | ジェームス・セレターニ | リック・デ・フスト アシュリー・フィッシャー |
6–7, 6–2, [14–12] |
準優勝 | 2. | 2009年6月6日 | 全仏オープン | クレー | ウェスリー・ムーディ | ルーカス・ドロウヒー リアンダー・パエス |
6–3, 3–6, 2-6 |
優勝 | 3. | 2009年6月20日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | ウェスリー・ムーディ | ヨハン・ブルンストロム ジャン=ジュリアン・ロイヤー |
7–6(7-3), 6–7(8-10), [10–5] |
優勝 | 4. | 2011年2月6日 | ザグレブ | ハード (室内) |
ホリア・テカウ | マルセル・グラノリェルス マルク・ロペス |
6–3, 6–4 |
準優勝 | 3. | 2012年5月6日 | ミュンヘン | クレー | グザビエ・マリス | フランティセク・チェルマク フィリップ・ポラーシェク |
4–6, 5–7 |
4大大会シングルス成績
編集- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 1R | A | LQ | A | A | LQ | LQ | 1R | A | A | 2R | A | A | A | 1–3 |
全仏オープン | A | 1R | 3R | LQ | A | A | LQ | LQ | 1R | LQ | 2R | 2R | LQ | LQ | LQ | 4–5 |
ウィンブルドン | 4R | LQ | LQ | LQ | A | A | LQ | LQ | 1R | LQ | 1R | 1R | LQ | LQ | A | 3–4 |
全米オープン | LQ | A | LQ | A | A | A | A | 2R | LQ | LQ | 1R | LQ | LQ | A | A | 1–2 |
脚注
編集- ^ “Norman Calls Time On 22-Year Career”. atpworldtour.com. ATP Tour, Inc. (2013年6月17日). 2013年6月23日閲覧。