テュートニック (SS Teutonic) は、ホワイト・スター・ラインが所有していた客船。初めて武装商船として使用された。船名は古代ヨーロッパの部族名「テウトネス族」に由来する。

テュートニック
基本情報
クラス テュートニック級オーシャン・ライナー
船籍  イギリス
所有者 ホワイト・スター・ライン
運用者 ホワイト・スター・ライン
建造所 ハーランド・アンド・ウルフ (ベルファスト)
母港 リバプール
経歴
進水 1889年1月19日
竣工 1889年7月25日
処女航海 1889年8月7日
最後 1921年にエムデンで解体
現況 解体済
要目
総トン数 9,984 トン
長さ 582フィート (177.7 m)
57.7フィート (17.6 m)
主機関 3段膨張式複式蒸気機関、2基2軸
速力 20.5 ノット (38.0 km/h)
旅客定員 1,490人
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リバプールを出港するテュートニック

概要

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1880年、大西洋横断最速記録であるブルーリボン賞を巡って激しい競争が繰り広げられていた。海運企業であったホワイト・スター・ラインは造船業ハーランド・アンド・ウルフに平均速力20ノット(37km/h)が出せる船舶を造るよう依頼し、1887年に「テュートニック」と姉妹船「マジェスティック」の建造が始まった。「テュートニック」はホワイト・スター・ラインが所有する船舶で初めて帆を除いた客船として1889年1月19日に進水した。同年7月25日に完成し、8月1日スピッドヘッドで開催された観艦式に参加した。

「テュートニック」は最初武装商船として4.7インチ砲8門を装備された。これは観艦式の後取り外され、通常の客船として8月7日ニューヨークへ向けて処女航海を行った。これには客船「バルチック」に代わって運航されるという側面もあった。1891年、姉妹船「マジェスティック」がブルーリボン賞を受賞したが、2週間後に「テュートニック」が20.25ノット(37.50km/h)を記録しブルーリボン賞を受賞した。「テュートニック」の出した最高速度は20.5ノット(37.50km/h)であったが、後に客船「シティ・オブ・パリ」にブルーリボン賞を奪われ、その後ホワイト・スター・ラインの船舶がブルーリボン賞を受賞することは2度となかった。

1897年、「テュートニック」はヴィクトリア女王の60歳の誕生日の記念式典に参加した。その後、1898年ニューヨーク港にてユナイテッド・ステーツ・ラインの客船「ベルリン」と衝突したが、それほど多大な損傷はなかった。

ボーア戦争の勃発により「テュートニック」は1900年まで軍事輸送船として徴用されていた。客船として復帰した1901年に「テュートニック」は津波に遭遇し、見張りの乗務員2名が投げ出されたが、生還した。また、津波に襲われたのが夜中であったため、乗客への被害はほとんどなかった。

1911年、「テュートニック」はドミニオン・ラインへ移籍し、カナダ付近で運航された。1913年、「テュートニック」は老朽化によって乗客が減少していたため、客室が2等客と3等客に限定された。1914年第一次世界大戦の勃発により再び軍に徴用され、6インチ砲を装備した「テュートニック」は船団の護衛や輸送船として使用された。

1921年、「テュートニック」はエムデンにてスクラップにされた。

関連項目

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外部リンク

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記録
先代
マジェスティック
ブルーリボン賞 (船舶)(西回り航路)保持船舶
1891年~1892年
次代
シティ・オブ・パリ