ティファニーラス (Tiffany Lass) は、アメリカ合衆国競走馬。おもな勝ち鞍はファンタジーステークスケンタッキーオークスなど。1986年度エクリプス賞最優秀3歳牝馬。1990年に繁殖牝馬として日本へ輸出された。

ティファニーラス
欧字表記 Tiffany Lass
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1983年
死没 2005年10月7日(22歳没)
ボールドフォーブス
サリースターク
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 アーロン・U・ジョーンズ
馬主 アーロン・U・ジョーンズ
調教師 ラザロ・S・バレーラ(アメリカ)
競走成績
生涯成績 10戦8勝
獲得賞金 53万4943ドル
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半兄スワップスステークスなどアメリカ重賞6勝のヴァルデス、半姉にやはり繁殖牝馬として日本に輸出されたバッフドオレンジがいる。

経歴

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2歳末の12月24日、ゲイリー・スティーヴンスを鞍上にハリウッドパーク競馬場でデビューを迎え、初戦勝利を収める。その後東海岸に移動し、フェアグラウンズ競馬場を主戦場に3連勝。3戦の合計着差は17馬身という快進撃で同地のフェアグラウンズオークス (G2) に駒を進め、これに優勝して重賞初勝利を挙げた。続くファンタジーステークスで、この後エイコーンステークスに優勝するロッカに完勝しG1初制覇。カリフォルニアに戻って迎えたケンタッキーオークスでは、ライフアットザトップとの競り合いを頭差制して無傷の7連勝を果たした。その後ティファニーラスは秋シーズンを待たずに長期の休養に入ったが、7連勝とその間に破った相手関係等の内容が評価され、この年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選出された。

明け4歳の4月に準重賞戦で復帰したティファニーラスは、この復帰緒戦を制して8連勝を達成したが、しかし続いて出走したG2ホーソーンハンデキャップでセルダムシーンスーから8馬身離された3着となり、初の敗戦を喫した。続くG1ミレイディハンデキャップも同じ相手に2着と敗れ2連敗し、この競走を最後に競走馬を引退した。

引退後

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生地ケンタッキー州で繁殖牝馬となったティファニーラスは2頭の牡駒を産んだのち繁殖牝馬セールに出品され、イギリスの三冠馬ニジンスキーとの仔を宿した状態で日本の錦岡牧場に購買され来日した。この時期はバブル景気の好況からサンデーサイレンスグッバイヘイロー等、アメリカの一流馬が次々と日本に輸入されていた時期でもあり、その流れのひとつとしてティファニーラスの輸入も注目を集めた。

だが繁殖牝馬としては2歳オープン戦を勝ったヤマニンアリーナとヤマニンイデアルを出した程度で期待ほどの成果は挙がらなかった。しかし来日後に産んだ父ニジンスキーの牝駒ヤマニンジュエリーの娘ヤマニンシュクルが2004年のJRA賞最優秀2歳牝馬となり、失敗という評価は多少なりとも濯がれている。その後ティファニーラスは2005年秋に蹄葉炎を発症し死亡。ほか主な子孫にはヤマニンアリーナ産駒で2008年中山牝馬ステークス優勝馬ヤマニンメルベイユ2009年札幌記念優勝馬ヤマニンキングリー姉弟などがいる。

血統表

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ティファニーラス血統ボールドルーラー系 / Nasrullah 4×4=12.50%、Nearco 5×5×5=9.38% (血統表の出典)

Bold Forbes 1973
鹿毛 アメリカ
父の父
Irish Castle 1967
鹿毛 アメリカ
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Castle Forbes Tulyar
Longford
父の母
Comely Nell 1962
鹿毛 アメリカ
Commodore M. Bull Lea
Early Autumn
Nellie L Blenheim
Nellie Flag

Sally Stark 1970
鹿毛 イギリス
Graustark 1963
栗毛 アメリカ
Ribot Tenerani
Romanella
Flower Bowl Alibhai
Flower Bed
母の母
Sally Ship 1960
鹿毛 アメリカ
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nut Brown Maid Nasrullah
Quincey F-No.3-c

父ボールドフォーブズは1976年のエクリプス賞チャンピオン3歳牡馬。プエルトリコの2歳チャンピオンとなった後アメリカに移籍し、クラシック二冠を制した。

主な近親

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外部リンク

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