チヴォ (USS Chivo, SS-341) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はスペイン語で「山羊」を意味し、顎髭のあるヒメジ科やハマギギ科、顔の長いカワハギ科など、山羊を連想する多種多様な魚に因んで命名された。

USS チヴォ
基本情報
建造所 エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1944年2月21日
進水 1945年1月14日
就役 1945年4月28日
退役 1971年7月1日
除籍 1971年7月1日
その後 1971年7月1日、アルゼンチン海軍へ移管。
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311フィート9インチ (95.02 m)
水線長 307フィート (93.6 m)
最大幅 27フィート3インチ (8.31 m)
吃水 16フィート10インチ (5.1 m)
主機 ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源 ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力 5,400馬力 (4.0 MW)
電力 2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離 11,000海里/10ノット時
航海日数 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間
潜航深度 試験時:400フィート (120 m)
乗員 士官10名、兵員71名
兵装
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レッド・ゴートフィッシュ(メキシコ通称Chivo
ガフトップセイル・シーキャット(コロンビア通称Chivo
ウスバハギ(ドミニカ通称Chivo

艦歴

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チヴォは1944年2月21日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工した。1945年1月14日に州知事レイモンド・E・ボールドウィンの妻によって命名、進水し、1945年4月28日に艦長W・B・クラッチャー少佐の指揮下就役した。

就役後、チヴォは1945年6月7日にニューロンドンを出航し、フロリダ州キーウェストで訓練を行った後真珠湾に向かった。チヴォが真珠湾で哨戒の準備を行っている間に太平洋戦争は終了した。戦後も真珠湾に留まり、太平洋艦隊の僚艦と共に沿岸での作戦活動に従事した。10月に帰国し、サンディエゴを拠点として沿岸での作戦活動を行い、1946年1月に西太平洋に向かう。5月にサンディエゴに帰還し、チヴォはその後15ヶ月間に渡って沿岸での訓練に従事した。

1947年8月、模擬哨戒を開始しフィジースバグアム日本を訪れ、11月にサンディエゴに帰還した。西海岸での任務は1949年中頃まで続き、その後、大西洋艦隊に配属されると1949年7月4日に新たな母港のキーウェストに到着する。チヴォは訓練と僚艦との演習を継続し、1950年10月30日にニューロンドンで GUPPY IA 改修が開始された。

改修により流線型の船体と増強された出力を得たチヴォは、1951年7月に大西洋艦隊の任務に復帰した。1959年までキーウェストを拠点とし、その後はサウスカロライナ州チャールストンに移動して1963年まで東海岸での訓練演習および試験に従事した。定例の任務に加え、1952年には地中海での第6艦隊配備、1953年のコロンビア訪問、1959年のケベックシティ訪問、1960年の南アフリカ訪問などが行われた。

アルゼンチン海軍で

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ARA サンティアゴ・デル・エステロ
 
サンティアゴ・デル・エステロ、マル・デル・プラタ
基本情報
運用者   アルゼンチン海軍
艦歴
就役 1971年7月1日
退役 1981年1月
その後 1983年、スクラップとして売却。
要目
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チヴォはチャールストン海軍工廠で1971年7月1日に退役、同日除籍された。相互防衛援助計画に基づき、チヴォはアルゼンチンに売却され、サンティアゴ・デル・エステロ (ARA Santiago del Estero, S-22) と改名、就役した。サンティアゴ・デル・エステロは1981年1月にアルゼンチン海軍を退役した。

外部リンク

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