チャールズ・マッカーサー
チャールズ・ゴードン・マッカーサー(Charles Gordon MacArthur, 1895年11月5日 - 1956年4月21日)は、アメリカ合衆国の劇作家、脚本家である。1935年の映画『生きているモレア』により第8回アカデミー賞原案賞を受賞した。
チャールズ・マッカーサー Charles MacArthur | |||||||||
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本名 | Charles Gordon MacArthur | ||||||||
生年月日 | 1895年11月5日 | ||||||||
没年月日 | 1956年4月21日(60歳没) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 ペンシルベニア州スクラントン | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク | ||||||||
職業 | 劇作家、脚本家 | ||||||||
配偶者 |
ヘレン・ヘイズ (結婚 1928年、死別 1956年) | ||||||||
著名な家族 |
ジェームズ・マッカーサー (養子) ジョン・D・マッカーサー (弟) J・ロデリック・マッカーサー (甥) | ||||||||
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私生活とキャリア
編集ペンシルベニア州スクラントンで福音伝道師の父ウィリアム・テルファー・マッカーサーと母ジョージアナ・ウェルステッド・マッカーサーのあいだに7人きょうだいの6番目の子として生まれた[1]。彼は幼少の頃より読書に没頭した。父の後を継ぐことを拒否した彼は中西部へと移り、シカゴで記者として成功し、『シカゴ・トリビューン』と『シカゴ・デイリー・ニュース』で働いた。第一次世界大戦時はアメリカ陸軍に加わり、フランスで戦った[2]。彼は1919年の『A Bug's-Eye View of the War』で戦時中の経験を語った[3]。戦後はいくつかの短編小説を書き、そのうち『Hang It All』(1921年)と『Rope』(1923年)がH・L・メンケンの『ザ・スマート・セット』誌に掲載された[1]。後に彼はニューヨークに定住して劇作家に転身した。
マッカーサーはベン・ヘクトとの共作で知られており、舞台作品に『Ladies and Gentlemen』、『Twentieth Century』、シカゴ市報道局での経験に一部基づいた『The Front Page』がある。またエドワード・シェルドンと共同執筆した1926年の舞台『Lulu Belle』もある。
マッカーサーはアルゴンキン・ラウンド・テーブルのメンバーと友人であった。彼はロバート・ベンチリーとアパートを共有し、ドロシー・パーカーと交際していた。
マッカーサーの2番目の妻は女優のヘレン・ヘイズであり、結婚生活は1928年から彼の死まで続いた。夫婦はニューヨーク州ナイアックに住んでいた。1949年には娘のメアリーがポリオで亡くなった。またテレビドラマ『ハワイ5-0』などで知られるジェームズ・マッカーサーは夫妻の養子であった。
弟のジョン・D・マッカーサーは保険会社の所有者・経営者であり、マッカーサー・フェローで知られるマッカーサー基金を設立した。
演じた俳優
編集1994年の映画『ミセス・パーカー/ジャズエイジの華』ではマシュー・ブロデリックがマッカーサーを演じた[4]。
主な作品
編集舞台
編集- Lulu Belle (1926) 脚本、エドワード・シェルドンと共著
- The Front Page (1928) 脚本、ベン・ヘクトと共著
- Twentieth Century (1932) 脚本、ベン・ヘクトと共著
- Ladies and Gentlemen (1939) 脚本、ベン・ヘクトと共著
映画
編集- 盗んだ結婚 The Girl Said No (1930) 脚本
- ビリー・ザ・キッド Billy the Kid (1930) 追加台詞
- キング・オブ・ジャズ King of Jazz (1930) 脚本(クレジット無し)
- Way for a Sailor (1930) 追加台詞
- 暴露戦術 Paid (1930) 脚色・台詞
- 犯罪都市 The Front Page (1931) 脚本
- マデロンの悲劇 The Sin of Madelon Claudet (1931) 台詞
- New Adventures of Get Rich Quick Wallingford (1931) 脚色
- 太平洋爆撃隊 Hell Divers (1931) 脚本(クレジット無し)
- Quick Millions (1931) 脚本(クレジット無し)
- 国際盗賊ホテル The Unholy Garden (1931) 原案・台詞
- 怪僧ラスプーチン Rasputin and the Empress (1932) 脚本
- フリークス Freaks (1932) 脚本(クレジット無し)
- トパーズ Topaze (1933) 脚本(クレジット無し)
- 特急二十世紀 Twentieth Century (1934) 脚本
- 情熱なき犯罪 Crime Without Passion (1934) 監督・製作・脚本
- ピエロの夢物語 Once in a Blue Moon (1935) 監督・製作・脚本
- バーバリー・コースト Barbary Coast (1935) 脚本
- 生きているモレア The Scoundrel (1935) 監督・製作・原案
- 若い気焔 Soak the Rich (1936) 監督・製作・脚本
- King of Gamblers (1937) 脚本(クレジット無し)
- 汚れた顔の天使 Angels with Dirty Faces (1938) 脚本(クレジット無し)
- ガンガ・ディン Gunga Din (1939) 原案
- 嵐が丘 Wuthering Heights (1939) 脚本
受賞とノミネート
編集賞 | 年 | 部門 | 作品名 | 結果 |
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アカデミー賞 | 1933[5] | 原案賞 | Rasputin and the Empress | ノミネート |
1935[6] | 生きているモレア | 受賞 | ||
1939[7] | 脚色賞 | 嵐が丘 | ノミネート |
マッカーサーは死後の1983年にアメリカン・シアター・ホール・オブ・フェームに加えられた[8]。
参考文献
編集- ^ a b “A Salute to Charles Gordon MacArthur”. James Macarthur Official Website (2004年). 2020年12月6日閲覧。
- ^ “Reporter Writes View of the War”. The Fourth Estate (New York, NY): p. 25. (December 20, 1919)
- ^ MacArthur, Charles G. (1919). A Bug's-Eye View of the War. New York, NY: 149th Field Artillery Regiment. p. title
- ^ “Mrs. Parker and the Vicious Circle (1994) - IMDb”. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “THE 6TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “THE 8TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “THE 12TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “Theater Hall of Fame Gets 10 New Members”. The New York Times. (May 10, 1983)