チャプリナボスニア語:Čapljinaクロアチア語:Čapljinaセルビア語:Чапљина)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の町、およびそれを中心とした基礎自治体である。同国のうち、クロアチア人ボシュニャク人を主体とするボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属しており、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県に含まれる。クロアチアとの国境に面しており、アドリア海まで20キロメートルに位置している。

チャプリナ
Čapljina
Čapljina
Чапљина
集合住宅が立ち並ぶチャプリナの町
集合住宅が立ち並ぶチャプリナの町
チャプリナの市旗 チャプリナの市章
基礎自治体 基礎自治体
位置
ボスニア・ヘルツェゴビナでのチャプリナの位置の位置図
ボスニア・ヘルツェゴビナでのチャプリナの位置
座標 : 北緯43度06分36秒 東経17度42分00秒 / 北緯43.11000度 東経17.70000度 / 43.11000; 17.70000
行政
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
 構成体 ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
  ヘルツェゴビナ=ネレトヴァ県
 基礎自治体 チャプリナ
市長 Smiljan Vidić
クロアチア民主同盟
地理
面積  
  基礎自治体 256 km2
人口
人口 (1991年現在)
  基礎自治体 27584人
    人口密度   139人/km2
  市街地 7461人
その他
等時帯 CET (UTC+1)
夏時間 CEST (UTC+2)
市外局番 +24,455
公式ウェブサイト : capljina.ba

ネレトヴァ川が市域を横切って流れ、クロアチア国境を越えるとまもなくプロチェ付近でアドリア海へと注ぎ込む。町の象徴となっているのはトミスラヴ王の像である。カトリック教会のアッシジのフランチェスコ聖堂も町の象徴的な建造物である。自治体の紋章(自治体公式サイトを参照)はクロアチアの市松模様、市内の歴史的集落ポチテリPočitelj)、アッシジのフランチェスコで構成されている。市内は考古学的遺産と手付かずの原生林に富んでおり、農業観光などの開発が進められている。また、ヨーロッパきっての野鳥の多様性に富むフトヴォ・ブラト自然公園Hutovo Blato)も市内に含まれる。国境をはさんでクロアチア側に位置するメトコヴィチMetković)からも程近く、両都市の経済的結びつきは強い。

歴史

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チャプリナの古い歴史についてはそれほど知られていないが、ローマ人によって紀元前5世紀に町が築かれたことが分かっている。しかし、古代ギリシアやローマの地図によると、この地域には土着のイリュリア人が居住していたことが記されており、中でもArdiaei族はこの地に住んでギリシア人と交易をしていたが、ローマに征服された。町の名前「チャプリナ」は、南スラヴ語サギを意味する「čaplja」(チャプリャ)に由来している。この地域にかつて居住していたイリュリア人の部族の名前「Ardiaei」は、ラテン語サギを意味する「Ardea」に由来していると考えられる。

第二次世界大戦では、ウスタシャがこの周辺できわめて非道な蛮行を繰り広げた。ウスタシャの蛮行を祝福するナチストの歌曲「ヤセノヴァツ・イ・グラディシュカ・スタラ」(Jasenovac i Gradiška Stara)では、「チャプリナに屠殺場があり、ネレトヴァ川がセルビア人を流し去る」という歌詞が含まれており、大戦中に行われたセルビア人に対する残虐な虐殺行為が歌われている。プレビロヴツィ虐殺Prebilovci massacre)は、市内のプレビロヴツィPrebilovci)というセルビア人の多く住む小集落で起こった事件であり、集落の住民600人を含む4000人が穴に埋められ、殺害された。

第二次世界大戦以降、この地はボスニア・ヘルツェゴビナの海への出口プロチェクロアチア領)とを結ぶ中継点となった。1992年から1995年までのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、チャプリナはクロアチア防衛評議会の支配下となり、非クロアチア人の住民は強制退去させられ、ガベラ収容所Gabela camp)に収容された[1]

2007年夏には山火事によって市内の山村地域で広範な被害が出た。

住民

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チャプリナ自治体の人口構成
国勢調査 1991年 1981年 1971年
クロアチア人 14,969 (53.68%) 13,931 (53.51%) 12,603 (53.72%)
ムスリム人 7,672 (27.51%) 6,830 (26.23%) 6,781 (28.90%)
セルビア人 3,753 (13.46%) 3,467 (13.31%) 3,672 (15.65%)
ユーゴスラビア人 1,047 (3.75%) 1,566 (6.01%) 193 (0.82%)
その他・不明 441 (1.58%) 238 (0.91%) 210 (0.89%)
合計 27,882 26,032 23,459

1991年の集落別人口構成

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絶対多数

比較多数

1991年のチャプリナ自治体の集落別人口構成
集落 合計 クロアチア人 ムスリム人 セルビア人 ユーゴスラビア人 その他・不明
バヨヴツィ(Bajovci) 181 176 5 0 0 0
ビヴォリェ・ブルド(Bivolje Brdo) 841 256 562 4 6 13
ツルニチ(Crnići) 50 50 0 0 0 0
チャプリナ(Čapljina) 7,461 3,067 2,191 1,267 707 229
チェリェヴォ(Čeljevo) 1,058 827 194 1 8 28
ドリャニ(Doljani) 365 357 0 5 0 3
ドマノヴィチ(Domanovići) 1,270 326 727 186 21 10
ドラチェヴォ(Dračevo) 630 582 0 41 0 7
ドレテリ(Dretelj) 576 508 53 3 11 1
ドゥブラヴィツァ(Dubravica ) 7 1 3 3 0 0
ガベラ(Gabela) 2,440 2,046 32 324 24 14
グニリシュタ(Gnjilišta) 345 338 1 0 0 6
ゴリツァ(Gorica) 456 380 65 1 4 6
グラボヴィナ(Grabovina) 947 817 29 57 29 15
ホタニ(Hotanj) 275 178 93 0 4 0
ヤセニツァ(Jasenica ) 165 1 157 0 0 7
クレプツィ(Klepci) 417 14 0 383 13 7
ロクヴェ(Lokve) 587 0 395 192 0 0
オプリチチ(Opličići) 1,386 108 916 357 0 5
ポチテリ(Počitelj) 905 172 660 20 36 17
プルチャヴツィ(Prćavci) 260 260 0 0 0 0
プレビロヴツィ(Prebilovci) 174 1 0 171 0 2
シェコセ(Sjekose) 169 146 10 12 0 1
スタノイェヴィチ(Stanojevići) 194 31 163 0 0 0
ストルゲ(Struge) 437 284 130 2 16 5
スヴィタヴァ(Svitava) 319 317 0 0 0 2
シェヴァシュ・ニヴェ(Ševaš Njive) 262 69 191 0 2 0
シュルマンツィ(Šurmanci) 403 354 47 0 2 0
タソヴチチ(Tasovčići) 1,675 294 511 698 138 34
トレビジャト(Trebižat) 1,399 1,371 9 1 11 7
ヴィシチ(Višići) 1,788 1,207 528 23 15 15
ズヴィロヴィチ(Zvirovići) 440 431 0 2 0 7
合計 27,882 14,969 7,672 3,753 1,047 441

ボシュニャク人ユーゴスラビア崩壊前は「ムスリム人」と呼ばれていた)は1990年代初期の民族浄化によって追放され、現在の多数派を占めるのはクロアチア人であると考えられている。1991年以降、国勢調査が行われていないので、正確な人口構成は不明である。

文化

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住宅地の風景

チャプリナ地域には、多くのクロアチア系の文化クラブがある。以下はその一部である:

  • HKUD Čapljina(チャプリナ)
  • HKUD Sv.Ante(ドレテリ)
  • HKUD Seljačka Sloga(トレビジャト)
  • HKUD ZORA(ストルゲ、ゴリツァ)

スポーツ

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参考文献

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  • Official results from the book: Ethnic composition of Bosnia-Herzegovina population, by municipalities and settlements, 1991. census, Zavod za statistiku Bosne i Hercegovine - Bilten no.234, Sarajevo 1991.
  • Wilkes, J. J. The Illyrians, 1992, ISBN 0631198075
  • Stipčević, Aleksandar; "The Illyrians-History and Culture", 1989, page 54,(ISBN 0815550529 ISBN 978-0815550525 )
  • Axhanela (Adžanela) Ardian,"Ethnolinguistic overeview of ancient Illyrian tribe names/Etnolingvistički osvrt na nazive drevnih ilirskih plemena/Rishqyrtimi etnolingvistik i emrave te fiseve ilire te lashte - Article (paragraph referring to the etymology of Ardiaei),Qendra per studime Ballkanike/Centre for Balkan Studies/Centar za balkanske studije, Prishtine/Priština, 2004

脚注

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外部リンク

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座標: 北緯43度06分36秒 東経17度42分00秒 / 北緯43.11000度 東経17.70000度 / 43.11000; 17.70000