ダリン・スミス (アメリカンフットボール)
ダリン・スミス(Darrin Smith 1970年4月15日- )はフロリダ州マイアミ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはラインバッカー。
Darrin Smith | |||||||||
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基本情報 | |||||||||
ポジション | ラインバッカー | ||||||||
生年月日 | 1970年4月15日(54歳) | ||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州マイアミ | ||||||||
身長: | 6' 1" =約185.4cm | ||||||||
体重: | 236 lb =約107kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | マイアミ大学 | ||||||||
NFLドラフト | 1993年 / 4巡目全体99位 | ||||||||
初出場年 | 1993年 | ||||||||
初出場チーム | ダラス・カウボーイズ | ||||||||
所属歴 | |||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||
スーパーボウル制覇(2回) | |||||||||
第28回・第30回 | |||||||||
その他受賞・記録 | |||||||||
カレッジフットボール全米チャンピオン2回:(1989年、1991年) | |||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||
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Player stats at PFR |
経歴
編集プロ入りまで
編集5人兄弟の末っ子として生まれた。父親は彼が3歳の時に殺された[2]。
マイアミ大学では1989年、1991年と2度全米チャンピオンになった。彼は1990年から1992年までチームメートのマイケル・バロウ、ジェシー・アームステッドとともにバミューダ・トライアングルと呼ばれるラインバッカー陣を形成した[3]。この間チームは29連勝を達成、グレッグ・シアーノ[4]守備コーディネーターを迎えた1991年に彼はビッグ・イースト・カンファレンスの最優秀守備選手に選ばれた。チームはシーズン12戦無敗、1試合平均9.1得点に相手を抑え、ネブラスカ大学とのオレンジボウルでは22-0と相手を無得点に抑えて、全米チャンピオンとなった[5]。この年の11月16日の敵地でのフロリダ州立大学戦で彼は18タックル(10ソロタックル)をあげて、チームは17-16で勝利した[1]。
NFL
編集1993年のNFLドラフト2巡でダラス・カウボーイズに入団、4年間ウィークサイドのラインバッカーを務めた。第28回、第30回スーパーボウルの優勝メンバーとなった。
1994年12月のニューオーリンズ・セインツ戦で2インターセプト、そのうち1回は13ヤードのリターンTDをあげた[6]。
1995年のNFLシーズン終了後に制限付きフリーエージェントとなる彼はトレーニングキャンプ中、72万5000ドルを要求、カウボーイズからのオファーは42万5000ドルと隔たりがあったため、ディオン・サンダースとともに10週間に渡ってホールドアウトを続け、10月になってようやくチームとインセンティブを含む契約を結んだ[7]。第13週のカンザスシティ・チーフス戦では第4Qにトニー・トルバートがQBスティーブ・ボノから叩き落としたボールをリカバーし、63ヤードをリターンした[8]。
7試合に欠場したこの年3サックをあげた。1996年6月、カウボーイズと1年契約を結んだ[9]。この年117タックルをあげた。
この時代、カウボーイズはサラリーキャップが導入されたことから、ラインバッカーと長期の高額契約を結ばず、ドラフトで選手を見つける方針を取っており、彼の他にもケン・ノートン・ジュニア、ディクソン・エドワーズ、ロバート・ジョーンズ、ランドール・ゴドフリーもフリーエージェントでチームを去った。1997年にスミスもカウボーイズを去り[10]、デクスター・コークリーが起用された。
複数年契約を希望していたが、フィラデルフィア・イーグルスと1年契約を結んだ。1997年、右足の靱帯や左足の捻挫に苦しんだ彼は7試合の出場にとどまった。
1998年2月、大学時代の恩師、デニス・エリクソンヘッドコーチが率いるシアトル・シーホークスと4年契約を結んだ[11]。この年、フィラデルフィア・イーグルスとの開幕戦で2サック、1ファンブルリカバーをあげた[12]。11月8日のカンザスシティ・チーフス戦では26ヤードのインターセプトリターンTDをあげた[13]。
1999年にはチーム3位の90タックルをあげたが、シーズン終了後サラリーキャップを空けるため解雇された。
2000年、ニューオーリンズ・セインツと1年契約を結んだ。彼は235ポンドと大柄ではなかったが、先発ミドルラインバッカーとして起用され、チーム2位の113タックル、2サックをあげて、チームのNFC西地区優勝に貢献した。
2001年、セインツと4年契約を結んだ。2004年は怪我のため3試合の出場にとどまった。12シーズンで24サック、11インターセプト、4タッチダウンの成績を残した。プロボウルには選ばれなかったもののカレッジフットボール全米チャンピオンリングを2個、スーパーボウルリングを2個持っている史上唯一の選手となっている。
人物
編集ハードヒットのタックラーとして知られた[1]。
2012年、Big Brothers Big Sisters of Americaの大使となった[14][15]。
脚注
編集- ^ a b c d “University of Miami Sports Hall of Fame Inductee”. マイアミ大学スポーツ殿堂. 2012年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。
- ^ Nathan Porter (2012年8月22日). “Retired NFL Player Darrin Smith Motivates Youth To Reach Their Full Potential”. empowermagazine.com. 2014年1月13日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Mike Preston (1992年12月31日). “Miami linebackers in fast company as one of best trios ever”. ボルチモア・サン. 2014年1月13日閲覧。
- ^ 2012年から2013年にタンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチ
- ^ Garry Smits (1999年12月26日). “A throwback to better times”. Times-Union. 2014年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。
- ^ “Cowboys Beat Saints, but Smith Injures Left Hamstring”. ニューヨーク・タイムズ (1994年12月20日). 2014年1月13日閲覧。
- ^ “Dallas Signs Darrin Smith”. newsok.com (1995年10月15日). 2014年1月13日閲覧。
- ^ Don Pierson (1995年11月24日). “Smith Injury Tempers Dallas Win”. シカゴ・トリビューン. 2014年1月13日閲覧。
- ^ “Cowboys Sign Linebacker Darrin Smith To One-Year Deal”. AP通信 (1996年6月18日). 2014年1月13日閲覧。
- ^ “Fitzgerald Not Down Over Release By Cowboys”. シカゴ・トリビューン (1997年8月14日). 2014年1月13日閲覧。
- ^ “NAMES: 49ERS GET PACKERS' WILKINS, SAINTS' SMITH”. ボストン・グローブ (1998年2月20日). 2014年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。
- ^ “Watters Flows In Seahawks Win”. CBSスポーツ (1998年9月6日). 2014年1月13日閲覧。
- ^ Clare Farnsworth (2011年11月8日). “On this date: Big days for Browns; from Theotis to Chad”. シアトル・シーホークス. 2014年1月13日閲覧。
- ^ “Super Bowl Champion and Former Little Brother Darrin Smith Gives Back to Big Brothers Big Sisters”. States News Service (2012年8月5日). 2014年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。
- ^ “About This Commercial”. ispot.tv. 2014年1月13日閲覧。
外部リンク
編集- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference