ダグウェイ実験場

アメリカ合衆国のユタ州トゥーイル郡にある、アメリカ陸軍の施設

ダグウェイ実験場[1](ダグウェイじっけんじょう、英語: Dugway Proving Ground ; DPG)は、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ南西約130キロメートル[2]ユタ試験訓練場の南21キロメートルで、グレートソルトレイク砂漠内に位置するアメリカ陸軍の施設である。総面積は約32302[3]で、1500人ほどが[2]生物兵器化学兵器に対する防御を研究している[2]。ダグウェイ試験場、ダグウェイ性能試験場、ダグウェイ試爆場[4]、ダグウェイ細菌戦実験場、ダグウェー米軍基地[5]、などの呼称も散見する。

ダグウェイ実験場
Dugway Proving Ground ; DPG
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国トゥーイル郡 (ユタ州)
ロゴマーク
ソルトレイクシティからダグウェイ実験場北方を望む、2009年
座標北緯41度11分19秒 西経113度12分46秒 / 北緯41.18861度 西経113.21278度 / 41.18861; -113.21278
施設情報
ウェブサイトhttp://www.dugway.army.mil/

沿革

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1942年2月6日、大統領フランクリン・ルーズベルトは、公有地約513㎞2陸軍省に割り当て、その6日後にダグウェイ実験場が創設された[3]

 
日本村(前方4列)とドイツ村(後方2列)、1943年

1943年2月から3月にかけて、アントニン・レーモンド協力のもと[4]木造長屋12棟24戸と路地で日本の下町を正確に再現した「日本村」を構築した。5月から9月にかけて、焼夷弾を投下する実験を繰り返して落下軌道・発火範囲・燃え方・消火にかかる時間など詳細なデータを記録した。得られたデータは1945年3月の東京大空襲に反映した。同様にドイツの建物を再現した「ドイツ村」も構築した[4]

アメリカ原子力委員会や軍とつながりの深い医師ジョゼフ・ハミルトン英語版は、マンハッタン計画の業務管理役を務めるケネス・ニコルズにあてた1946年12月31日付の書簡で人里離れた場所での放射能戦争の大型研究を提案し、軍に採択された。1949年から1952年にかけて研究の一環として当実験場化学隊が極秘に65回実験し、480兆ベクレルを超える量の放射性タンタル大気中に放出された。この事実は1993年に公開された[6]

1968年3月、の大量死事件と関連が指摘された。

1991年10月15日、場内で超高エネルギー宇宙線オーマイゴッド粒子が検出された。

1991年、731部隊通称号で知られる日本の関東軍防疫給水部本部に関する生体実験を含む「ダグウェイ文書」と呼称される調査報告書が、当実験場で発見された。戦後まもない時期にアメリカ軍が日本で4次にわたって調査し、日本の医学者の協力を得てまとめた「英文の完全なレポート」で[7][8]NHK取材班の情報公開請求により所在が明らかとなった。

2001年12月13日付『ワシントン・ポスト』は、1992年頃から当実験場で空中散布可能な高純度で兵器水準の炭疽菌を開発して生産していた、と報じた。同日付『ニューヨーク・タイムズ』は、製造は1998年頃であったとした[5]

当実験場での定期的な在庫調査の際、猛毒の神経ガスVXガスが1ミリリットル未満入った薬びん1本が所在不明となり、施設が一時閉鎖されたが、2011年1月27日午前3時に研究室の中で発見された、と同日アメリカ陸軍が公表した[2]

2005年以降、炭疽菌の生きた標本を国内19州、首都ワシントンD.C.カナダイギリス大韓民国の米軍基地、日本オーストラリアの延べ6か国69研究施設に「うっかりして」誤送付していた[9][10]キャンプ座間にも2005年に誤送付され、2009年に処分された。これらの事実は2015年になってアメリカ国防総省報道官によって明らかにされた[9][10]

脚注

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  1. ^ ダグウェイ実験場 英辞郎 on the WEB、アルク
  2. ^ a b c d 猛毒神経ガスのビン不明に、米陸軍の実験場を一時閉鎖”. AFPBB (2011年1月28日). 2015年3月8日閲覧。
  3. ^ a b History
  4. ^ a b c 東京大空襲 米軍は実験済みだった いかに焼き尽くすか 砂漠に下町を再現”. しんぶん赤旗 (2005年3月6日). 2015年3月8日閲覧。
  5. ^ a b 米陸軍施設が炭疽菌を生産/FBIが関連捜査”. 四国新聞 (2001年12月14日). 2015年3月9日閲覧。
  6. ^ アイリーン・ウェルサム著、渡辺正訳『プルトニウムファイル : いま明かされる放射能人体実験の全貌』翔泳社、2013年
  7. ^ 松村高夫 「731部隊による細菌戦と戦時・戦後医学」『三田学会雑誌』106巻1号、慶應義塾経済学会、2013年4月、p.63
  8. ^ 松村高夫「日中戦争期の日本軍による細菌戦と朝鮮戦争期の米軍による細菌戦の類似性連続性について」 (PDF) 『15年戦争と日本の医学医療研究会会誌』第10巻第2号、2010年5月、15年戦争と日本の医学・医療研究会、p.5
  9. ^ a b 炭疽菌の生きたサンプル、米国防総省の研究所が誤って送付”. AFPBB (2015年5月28日). 2017年10月17日閲覧。
  10. ^ a b 米軍による炭疽菌の誤送付、05年に日本にも”. AFPBB (2015年6月13日). 2017年10月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯40度11分19秒 西経113度12分46秒 / 北緯40.18861度 西経113.21278度 / 40.18861; -113.21278