ズデニェク・ネホダ
ズデニェク・ネホダ(Zdeněk Nehoda, 1952年5月9日 -)は、チェコ(旧チェコスロバキア)の元サッカー選手、サッカー指導者、選手アドバイザー。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Zdeněk Nehoda | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | チェコ | |||||
生年月日 | 1952年4月9日(72歳) | |||||
出身地 | フリーン | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1969-1971 | TJゴットワルドフ | 56 | (21) | |||
1971-1983 | デュクラ・プラハ | 290 | (124) | |||
1983 | SVダルムシュタット98 | 32 | (14) | |||
1984 | スタンダール・リエージュ | 3 | (0) | |||
1984-1986 | FCグルノーブル | 60 | (24) | |||
1986-1993 | SCアマーリエンドルフ | |||||
代表歴 | ||||||
1971-1987 | チェコスロバキア[1] | 90 | (31) | |||
監督歴 | ||||||
1986-1993 | SCアマーリエンドルフ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
選手時代のポジションはFW(センターフォワード)、正確なシュートで得点を決めるだけでなく、正確なパスやオフ・ザ・ボールの動きで周囲を生かすことも得意とした。息子のミハル(en)とダヴィドもサッカー選手として活躍をしている。
経歴
編集ネホダは故郷のフリーンでサッカーを始め、1969年にTJゴットワルドフに入団した。ゴットワルドフでは17歳で1部リーグデビューを飾るとフォワードのポジションを掴み、1969年のチェコスロバキアリーグ優勝に貢献した。1971年からは国内の強豪デュクラ・プラハへ移籍。 プラハでは1983年までの12シーズン在籍し、3度のリーグ優勝(1977年、1979年、1982年)と1度のカップ優勝(1981年、1983年)に貢献した。チェコスロバキアリーグ通算では345試合に出場し145得点を記録した。
1983年からは、国外へ活躍の場を移し、ドイツのSVダルムシュタット98へ移籍。ダルムシュタットでは32試合出場14得点を記録した。その後、ベルギーのスタンダール・リエージュ、フランスのFCグルノーブルを渡り歩き、1986年から1993年の間にオーストリア・グミュント郡のSCアマーリエンドルフで選手兼任監督を務めた。
チェコスロバキア代表としては、UEFA欧州選手権1976優勝、UEFA欧州選手権1980で3位入賞に貢献。1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会に出場するなど、国際Aマッチ90試合に出場し31得点を記録した。得点記録はチェコスロバキア歴代2位の記録となっている。
引退後の1995年からは、NEHODA-FOTBALという会社を設立し、選手アドバイザーを務めている。
個人タイトル
編集- チェコスロバキア年間最優秀選手賞:2回 (1978, 1979)
出典
編集- ^ “Zdenek Nehoda - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation