スペンサー・ゴア
スペンサー・ゴア(Spencer Gore, 1850年3月10日 - 1906年4月19日)は、イングランドのテニス選手。 ゴアは1877年に開催された第1回ウィンブルドン選手権の男子シングルス優勝者で、グランドスラム最初の優勝者でもあった。
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スペンサー・ゴア | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Spencer William Gore | |||
国籍 | イギリス | |||
出身地 | イングランド・ロンドン | |||
生年月日 | 1850年3月10日 | |||
没年月日 | 1906年4月19日(56歳没) | |||
死没地 | 同・ラムズゲート | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全英 | 優勝(1877) | |||
優勝回数 | 1(英1) | |||
経歴
編集ゴアは測量技師の仕事に就いたが、あらゆるスポーツに優れた技量を持ち、テニスのみならずクリケットでも一流選手だった。1877年に世界最古のテニストーナメントとして、第1回ウィンブルドン選手権が「オールイングランド・クラブ」で開催された時、出場した男子選手は総計21名(申請は22名だったが1名欠場[1])だった。ゴアは4試合を勝ち抜き、決勝戦でウィリアム・マーシャル(William Marshall)を 6-1, 6-2, 6-4 のスコアで退けて(試合時間48分)、伝統の大会の記念すべき初代優勝者となった。翌1878年もウィンブルドンの決勝戦に進出したが、今度はフランク・ハドーに 5-7, 1-6, 7-9 で敗れ、大会2連覇はならなかった。ウィンブルドン選手権における女子シングルス競技は、7年遅れて1884年から開始された。
現在のテニスは、昔の「ジュ・ド・ポーム」(Jeu de paume, テニスの歴史を参照)とは大きく異なるものとして「ローン・テニス」“Lawn Tennis”と呼ばれる。ローン・テニスで使用するための、新しいタイプのラケットが考案され、ゴアたちはこのラケットで競技を行っていた。
ゴアは晩年に過労や家族の問題などのため、比較的早い年齢で健康を害した。ビリヤードに興じた翌日、ゴアは急に倒れ1906年4月19日の朝に56年の生涯を閉じた。
4大大会優勝
編集- ウィンブルドン選手権 男子シングルス:1勝(1877年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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1877年 | ウィンブルドン選手権 | ウィリアム・マーシャル | 6–1, 6–2, 6–4 |
脚注
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、スペンサー・ゴアに関するカテゴリがあります。