ステイシー・オーグモン
ステイシー・オーランド・オーグモン(Stacey Orlando Augmon、1968年8月1日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州パサデナ出身の元バスケットボール選手。現指導者。現在はNBAのサクラメント・キングスの選手育成を務めている。
2009年のオーグモン | ||||||||||||
サクラメント・キングス | ||||||||||||
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ポジション | SF | |||||||||||
役職 | 選手育成 | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
愛称 | The Plastic man | |||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
生年月日 | 1968年8月1日(56歳) | |||||||||||
出身地 | カリフォルニア州パサデナ | |||||||||||
身長(現役時) | 203cm (6 ft 8 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 97kg (214 lb) | |||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||
出身 | ネバダ大学ラスベガス校 | |||||||||||
NBAドラフト | 1991年 / 1巡目 / 全体9位[1] | |||||||||||
アトランタ・ホークスから指名 | ||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||
1991-1996 1996-1997 1997-2001 2001-2004 2004-2006 |
アトランタ・ホークス デトロイト・ピストンズ ポートランド・トレイルブレイザーズ シャーロット//ニューオーリンズ・ホーネッツ オーランド・マジック | |||||||||||
指導者経歴 | ||||||||||||
2007-2011 2011-2016 2016-2018 |
デンバー・ナゲッツ (AC) ネバダ大学ラスベガス校 (AC) ミルウォーキー・バックス (AC) | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
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Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 1987-1989 | |||||||||||
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来歴
編集学生時代
編集ネバダ大学ラスベガス校時代はラリー・ジョンソンやグレッグ・アンソニーらと共に同大学のスター選手として活躍し、3年生時の1990年にはNCAAトーナメント優勝の偉業を達成した[1]。
NBA
編集1991年のNBAドラフトでアトランタ・ホークスから全体9位で指名された[2]。ルーキーシーズンの1991-92シーズンは、平均13.3得点を記録し、NBAオールルーキーチームに選出。1993-94シーズンはレニー・ウィルケンズの下、チームはリーグ最高の57勝25敗を記録。オーグモン自身も自己最高の平均14.8得点を記録したが、プレーオフではセミファイナルでインディアナ・ペイサーズに敗れた。
1996年夏、デトロイト・ピストンズに移籍するも、シーズン途中にポートランド・トレイルブレイザーズに移籍。1998-99シーズンはプレーオフのカンファレンスファイナルまで勝ち上がるも、同シーズンに初のNBAチャンピオンに輝いたサンアントニオ・スパーズの前に4戦全敗で屈した。
2001年、シャーロット・ホーネッツに移籍するも、チームは翌年ニューオーリンズに移転。2004年から2シーズンはオーランド・マジックでプレー。2006-07シーズンはプレー出来ず、2007年10月にデンバー・ナゲッツと契約するも、開幕前に解雇され引退した。
コーチ歴
編集デンバー・ナゲッツを解雇され引退したオーグモンは、同チームの選手育成担当コーチを就任し、コーチ業を開始[3]。2011年までナゲッツのコーチを務めた後、同年5月に母校のネバダ大学ラスベガス校のアシスタントコーチを就任。2016-17シーズンからは、ミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチを務めている。
アメリカ代表
編集1988年ソウルオリンピックで、デビッド・ロビンソンらと共にアメリカ代表で出場したが、銅メダルに終わった。