スタン (行政区画)
スタン(ロシア語: Стан)はロシアの歴史的行政区分の単位である。時代によりその意味するところは異なる。
変遷
編集スタンは、元来は路上の滞在所、野営地[1]を意味した。初期のキエフ・ルーシのクニャージ(公)は、ダーニ(貢税)の徴収のためにポリュージエ(巡回徴貢)という方式をとったが、この移動中に滞留する地がスタンであった。スタンは後に諸公国やウエズド(公国内の行政区分)の中心地に発展することもあった。各スタンは、河川や既存の集落名をとって命名された[2]。
その後、スタンは行政地域区分の単位として用いられた。例えば、15世紀のブリャンスク郡(ru)コマリチ郷(ru)(郡:ウエズド、郷:ヴォロスチ)は4つのスタンから成っていた。17 - 18世紀には、スタンはヴォロスチと共にウエズドの下位行政区分である場合と[3][注 1]、いくつかのヴォロスチを管轄する行政区分である場合があった。
19世紀初頭より、スタンはウエズド内の警察管轄区分(郡警察分区[1])を指す言葉として用いられた。スタンに対してこの新たな概念を与えた最初の公式文書は、1806年1月のモスクワ軍務知事による法令である[注 2]。大抵の場合、各ウエズド内に2 - 3のスタンが置かれた。このスタン(郡警察分区)はロシア革命期まで用いられた[6]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 和久利誓一ら編 『岩波ロシア語辞典』 岩波書店、1992年。P1868
- ^ Кунцово и древний Сѣтунский стан: историческия воспоминания. — Изд. К. Солдатенкова, 1873-01-01
- ^ a b アレクサンドル・ダニロフ他 『ロシアの歴史(上) 古代から19世紀前半まで』 寒河江光徳他訳、明石書店、2011年。P321
- ^ Губернатор // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- ^ 田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史 2 -18世紀~19世紀-』山川出版社、1994年、P303
- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典(第4版)』 三省堂、1994年。P921
参考文献
編集- Аверьянов К. А. Московские станы и волости XIV – XVI вв. // Древнейшие государства на территории СССР. Материалы и исследования. 1987. М., 1989. С. 114–122.