ジョージ・コヴェントリー (第7代コヴェントリー伯爵)
第7代コヴェントリー伯爵ジョージ・ウィリアム・コヴェントリー(英語: George William Coventry, 7th Earl of Coventry、1758年4月25日 – 1831年3月26日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党所属[1]。
生涯
編集第6代コヴェントリー伯爵ジョージ・ウィリアム・コヴェントリーと1人目の妻マリア(Maria、旧姓ガニング(Gunning)、1732年8月15日洗礼 – 1760年9月30日、ジョン・ガニングの娘)の息子として、1758年4月25日に生まれた[1]。1776年1月5日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]。同1776年にエンサイン(歩兵少尉)として第64歩兵連隊に入隊[1]、1777年1月21日に第17軽竜騎兵連隊の中尉に昇進した[3]。ホレス・ウォルポールによれば、浪費癖があったため父に遺産継承から排除されたという[1]。
1808年11月23日から1831年に死去するまでウスターシャー統監を務めた[4]。1809年9月3日に父が死去すると、コヴェントリー伯爵位を継承した[1]。『ザ・ジェントルマンズ・マガジン』によれば、父が死去した時点で落馬事故により長年の間全盲になっていた[1]。
貴族院ではトーリー党に所属し[1]、1820年にジョージ4世妃キャロライン・オブ・ブランズウィックへの痛みと罰法案に賛成票を投じた[5]。
1831年3月26日にピカデリーのコヴェントリー・ハウス(Coventry House)で死去、息子ジョージ・ウィリアムが爵位を継承した[1]。
家族
編集1777年3月18日、キャサリン・ヘンリー(Catherine Henley、1779年3月9日没、初代ノーティントン伯爵ロバート・ヘンリーの娘)と結婚したが、キャサリンは1779年に産褥死した[1]。2人の間に子供はいなかった[6]。
1783年1月10日、ペギー・ピッチェス(Peggy Pitches、1759年ごろ – 1840年1月15日、サー・エイブラハム・ピッチェスの娘)と再婚[1]、4男5女をもうけた[6]。
- ジョージ・ウィリアム(1784年10月16日 – 1843年5月15日) - 第8代コヴェントリー伯爵[1]
- ジョン(1789年6月30日 – 1852年5月24日[6])
- トマス・ヘンリー(1792年9月18日 – 1869年8月20日) - 生涯未婚[6]
- ウィリアム・ジェームズ(1797年1月1日 – 1877年3月11日) - 1821年7月26日、メアリー・ラング(Mary Laing、1892年12月29日没、ジェームズ・ラングの娘)と結婚、子供あり[6]
- オーガスタ・マリア(1865年11月1日没) - 1806年5月16日、サー・ウィロビー・コットン(1860年5月4日没)と結婚[6]
- ジョージアナ・キャサリン(1858年11月30日没) - 1807年2月17日、M・W・バーンズ(M. W. Barnes)と結婚[6]
- ジェーン・エミリー(1879年2月15日没) - 1828年6月3日、ジェームズ・ゴディング(James Goding)と結婚[6]
- バーバラ(1838年9月4日没) - 1818年7月23日、アレクサンダー・チャールズ・クロフォード(Alexander Charles Craufurd、1838年3月12日没、第2代準男爵サー・ジェームズ・グレガン=クロフォードの息子)と結婚、子供なし[6]
- ソフィア・キャサリン(1875年3月29日没) - 1821年、第8代準男爵サー・ロジャー・グレスリー(1837年没)と結婚。1839年7月16日、第3代準男爵サー・ヘンリー・ド・ヴーと再婚[6]
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 474–475.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 306.
- ^ "No. 11737". The London Gazette (英語). 18 January 1777. p. 1.
- ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
- ^ "Preamble". Parliamentary Debates (Hansard) (英語). House of Lords. 10 November 1820. col. 1744.
- ^ a b c d e f g h i j Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 532–533.
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr George Coventry
- ジョージ・コヴェントリー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ジョージ・コヴェントリーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
名誉職 | ||
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