ジョン・ブラバゾン (第10代ミーズ伯爵)
第10代ミーズ伯爵ジョン・シャンブレ・ブラバゾン(英語: John Chambré Brabazon, 10th Earl of Meath KP PC (Ire)、1772年4月9日 – 1851年3月15日)は、アイルランド出身の貴族、政治家。
生涯
編集第8代ミーズ伯爵アンソニー・ブラバゾンとグレース・リー(Grace Leigh、1812年10月23日没、ジョン・リーの娘)の息子として、1772年4月9日に生まれた[1]。
1797年5月26日に兄ウィリアムが死去すると、ミーズ伯爵位を継承した[1]。その後、1797年から1851年までウィックロー県首席治安判事を、1831年から1851年までダブリン統監を務めた[2]。
1821年7月19日に聖パトリック勲章を授与され、1831年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。ウィリアム4世の戴冠式記念叙勲では1831年9月10日に連合王国貴族であるヘレフォードシャーにおけるイートン・ホールのチャーワース男爵に叙された[1]。
1851年3月15日にグレート・マルヴァーンで死去、息子ウィリアムが爵位を継承した[1]。
家族
編集1801年12月31日、メロジーナ・アデレード・ミード(Melosina Adelaide Meade、1866年3月26日没、初代クランウィリアム伯爵ジョン・ミードの娘)と結婚[1]、5男1女をもうけた[2]。
- アンソニー(1802年11月10日 – 1826年2月9日) - アルディー卿の儀礼称号を使用した。生涯未婚
- ウィリアム(1803年 – 1887年) - 第11代ミーズ伯爵
- ジョン(1805年5月29日 – 1870年2月)
- ヘンリー(1807年 – 1880年)
- リチャード(1808年 – 1887年)
- セオドシア(Theodosia、1808年7月15日 – 1876年2月13日) - 1832年6月22日、第3代ゴスフォード伯爵アーチボルド・アチソンと結婚、子供あり
出典
編集- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 283–284.
- ^ a b "Meath, Earl of (I, 1627)". Cracroft's Peerage (英語). 6 February 2011. 2020年4月1日閲覧。
名誉職 | ||
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先代 ミーズ伯爵 |
ウィックロー県首席治安判事 1797年 – 1851年 |
空位 次代の在位者 ウィックロー伯爵
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先代 サー・コンプトン・ドムヴィル準男爵 ダブリン県総督として |
ダブリン統監 1831年 – 1851年 |
次代 ハウス伯爵 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・ブラバゾン |
ミーズ伯爵 1797年 – 1851年 |
次代 ウィリアム・ブラバゾン |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | チャーワース男爵 1831年 – 1851年 |
次代 ウィリアム・ブラバゾン |