アンソニー・ブラバゾン (第8代ミーズ伯爵)
第8代ミーズ伯爵アンソニー・ブラバゾン(英語: Anthony Brabazon, 8th Earl of Meath、1721年2月17日洗礼 – 1790年1月4日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。1763年から1772年までブラバゾン卿の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
編集第7代ミーズ伯爵エドワード・ブラバゾンとマーサ・コリンズ(Martha Collins、1762年4月24日没、サミュエル・コリンズ[2]/ウィリアム・コリンズ[1]の娘)の息子として生まれ、1721年2月17日に洗礼を受けた[1]。
1745年から1760年までウィックロー・カウンティ選挙区の代表として、1761年から1772年までダブリン・カウンティ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]。1772年11月24日に父が死去すると、ミーズ伯爵位を継承、1773年10月24日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。1772年から1790年までウィックロー県首席治安判事とダブリン県首席治安判事を務めた[2]。
家族
編集1758年5月20日、グレース・リー(Grace Leigh、1812年10月23日没、ジョン・リーの娘)と結婚[1]、3男6女をもうけた[2]。
- チャーワース(1760年8月18日 – 1779年12月) - ブラバゾン卿の儀礼称号を使用した
- ウィリアム(1769年 – 1797年) - 第9代ミーズ伯爵
- ジョン・シャンブレ(1772年 – 1851年) - 第10代ミース伯爵
- メアリー(1851年没) - 1781年6月23日、アーサー・ノックス(Arthur Knox)と結婚、子供あり
- マーサ - 1790年、モーリス・キーティング(1835年没)と結婚、子供あり
- ジュリアナ(1848年没)
- セシリア(1849年没)
- キャサリン(1847年12月24日没) - 1799年8月6日、フランシス・ブラウンロー(Francis Brownlow、1847年10月20日没)と結婚、子供あり
- アラベラ(Arabella) - 1803年3月21日、ジョン・スコット(John Scott)と結婚、子供あり
出典
編集- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 283–284.
- ^ a b c "Meath, Earl of (I, 1627)". Cracroft's Peerage (英語). 6 February 2011. 2020年4月1日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 ウィリアム・ホーイ ジョン・アレン |
庶民院議員(ウィックロー・カウンティ選挙区選出) 1745年 – 1760年 同職:ウィリアム・ホーイ 1745年 – 1747年 リチャード・チャペル・ウェーリー 1747年 – 1760年 |
次代 ラルフ・ハワード リチャード・ウィンフィールド閣下 |
先代 エドワード・ブラバゾン閣下 サー・コンプトン・ドムヴィル準男爵 |
庶民院議員(ダブリン・カウンティ選挙区選出) 1761年 – 1772年 同職:サー・コンプトン・ドムヴィル準男爵 1761年 – 1768年 チャールズ・ドムヴィル 1768年 ジョセフ・ディーン 1768年 – 1772年 |
次代 ルーク・ガーディナー ジョセフ・ディーン |
名誉職 | ||
先代 ミーズ伯爵 |
ウィックロー県首席治安判事 1772年 – 1790年 |
空位 次代の在位者 ミーズ伯爵
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ダブリン県首席治安判事 1772年 – 1790年 |
次代 カーハンプトン伯爵 | |
アイルランドの爵位 | ||
先代 エドワード・ブラバゾン |
ミーズ伯爵 1772年 – 1790年 |
次代 ウィリアム・ブラバゾン |