ジョン・ジョリー
ジョン・ロウラー・ジョリー(英語: John Lawlor Jolley, 1840年7月14日 - 1926年12月14日)は、アメリカ合衆国の政治家、共和党員。出身はアッパー・カナダのモントリオール(現在のカナダケベック州モントリオール)。アメリカ合衆国下院議員を1期務めた。
ジョン・ジョリー John Jolley | |
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生年月日 | 1840年7月14日 |
出生地 |
英領アッパー・カナダ、モントリオール (現在のカナダ、ケベック州、モントリオール) |
没年月日 | 1926年12月14日 (86歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 サウスダコタ州、クレイ郡、バーミリオン |
出身校 | イーストマン・ビジネス・カレッジ |
所属政党 | 共和党 |
配偶者 | ハリエット・グランジ |
子女 | 3人 |
選挙区 | サウスダコタ州全州選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1891年12月7日 - 1893年3月3日 |
経歴・人物
編集1840年7月14日、ジョリーはイギリス植民地のアッパー・カナダ、モントリオールの街に生まれた[1]。父ジェームズはアイルランドからモントリオールに移住しており、ジョリーはアイルランド系2世にあたる[2]。
モントリオールの小学校を卒業後、馬具職人に弟子入りするが、16歳の時、カナダを離れアメリカに渡った[2]。ニューヨークのイーストマン・ビジネス・カレッジを卒業後[1]、ウィスコンシン州に移住した際、南北戦争が勃発し、ジョリーはウィスコンシン州義勇歩兵連隊第23連隊C中隊に民兵として入隊し、北軍としてビックスバーグ方面作戦やジャクソンの戦いなどに参加した[2]。戦後はダコタ準州バーミリオンに移り、学校教員や土地事務所職員などを務めた後、弁護士事務所を開業した[2]。
ダコタ準州下院議員、準州上院議員、バーミリオン市長を歴任し、1891年に共和党現役の下院議員ジョン・ランキン・ギャンブルが任期途中に亡くなると、その残り任期を引き継ぐ形で連邦下院議員に選出された[1][2]。1892年選挙には出馬せず、政界を引退し、弁護士活動を再開させた。
1926年12月14日、バーミリオンで死去した[1]。
エポニム
編集- ジョリー小学校:サウスダコタ州バーミリオンにある初等教育機関。
関連項目
編集脚注
編集外部リンク
編集- United States Congress. "ジョン・ジョリー (id: J000203)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- ジョン・ジョリー - Find a Grave
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 ジョン・ギャンブル |
サウスダコタ州全州選挙区 シートB選出議員 第3代: 1891年12月7日 - 1893年3月3日 同職:ジョン・ピックラー |
次代 ウィリアム・ルーカス |