ジャン=ルイ・ボルロー
ジャン=ルイ・マリー・ボルロー(フランス語: Jean-Louis Marie Borloo、1951年4月7日 - )は、フランスの政治家。国民運動連合(急進党)所属。
ジャン=ルイ・ボルロー Jean-Louis Borloo | |
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ジャン=ルイ・ボルロー(2015) | |
生年月日 | 1951年4月7日(73歳) |
出生地 | フランス、パリ |
出身校 |
パリ第10大学 HEC経営大学院 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | 国民運動連合(急進党) |
配偶者 | ベアトリス・シェーンベルク |
在任期間 | 2004年3月31日 - 2007年5月18日 |
首相 | ドミニク・ガルゾー・ド・ビルパン |
在任期間 | 2007年5月18日 - 6月19日 |
首相 | フランソワ・フィヨン |
在任期間 | 2007年6月19日 - 2010年11月13日 |
首相 | フランソワ・フィヨン |
経歴
編集ベルギーにルーツをもつ公務員の父、オート=コルス県出身の母との間にパリで生まれる。パリ第10大学で歴史学と経済学を学ぶ。1976年、HEC経営大学院でMBAを取得。1980年代弁護士として活動。後にフランスのサッカークラブチーム、ヴァランシエンヌFCの会長となる。1989年、ヴァランシエンヌ市長に当選したのがきっかけとなり、政界入りする。1989年から1992年まで欧州議会議員。
2005年、ドミニク・ド・ヴィルパン内閣の雇用・社会・住宅相に就任する。与党国民運動連合を構成する急進党の共同党首をアンドレ・ロシノーとともに務めている。大臣在任中にボルローは、機会均等、住宅、雇用の保障を3つの柱とする、社会統合のための5カ年計画を発表した。
2007年5月、フランソワ・フィヨン内閣の経済・財政・雇用大臣として入閣。国民議会(下院)選挙で副首相格であったアラン・ジュペが落選したことにともない、後任の環境・持続的発展・計画大臣に横滑りした。2010年11月に退任。
公職 | ||
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先代 アラン・ジュペ |
フランス共和国 環境・持続的開発・計画大臣 2007年 - 2010年 |
次代 ナタリー・コシュースコ=モリゼ |
先代 ティエリー・ブルトン |
フランス共和国 経済・財政・産業大臣 2007年 |
次代 クリスティーヌ・ラガルド |
先代 フランソワ・フィヨン |
フランス共和国 雇用・社会・住宅大臣 2004年 - 2007年 |
次代 グザヴィエ・ベルトラン |