ジャン=フランソワ・タルノフスキ

ジャン=フランソワ・タルノフスキJean-François Tarnowski1948年5月25日 パリ - 2005年3月16日 パリ)は、フランス映画理論家映画批評家脚本家である。

タルノフスキ、1978年4月

来歴・人物

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1948年5月25日、フランス・パリに生まれる。ソルボンヌヴァンセンヌとを卒業後、1971年哲学修士を修める。同年、最初の記事『De la spécificité du cinéma』を『レ・タン・モデルヌ』誌に発表する。

2001年まで、『ポジティフ』、『レクラン・ファンタスティック』、『スタルフィックス』、『ヴァンタン』、『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』、『Psychanalyse à l'Université』、『Simulacres』といった雑誌に寄稿した。同時期に、大学やESRA(École supérieure de réalisation audiovisuelle)、EICAR(École internationale de création audiovisuelle et de réalisation)で演出学(ミザンセーヌ)を教えた。

1987年には、3期目の博士号を『映画の美学と哲学の試論 - 映画芸術の一般理論のために Essais d'esthétique et de philosophie du cinéma - Pour une théorie générale de l'art cinématographique』で取得、それと同時に、フローラン・エミリオ・シリ監督の『スズメバチ』(2002年)の脚本を同監督と共同執筆した。

2005年3月16日、パリで死去。56歳没。友人と教え子たちは彼を「タルノ Tarno」と呼んだ。

その理論

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タルノフスキ、1980年代末

タルノは、ある世代の学生とシネフィルにまったくマークされた。その理論的なアプローチはおもに作品分析の著書『Plan par plan 』に描かれており、彼がそこで示した分析は、シネアストたちがいかにして目に視えない方法で、技術をたよりに感情にたどりつくのかということであった。自発的に映画にあてはまったもうひとつの講義の格子は、精神分析学のものであり、メランコリーへの清潔な偏愛をともなったものである(遺伝であることが知られている一連の映画監督、有名なところではアルフレッド・ヒッチコックフランソワ・トリュフォースティーヴン・スピルバーグにおいて)。

関連事項

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外部リンク

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