ジャン・パオロ・モンターリ
ジャン・パオロ・モンターリ(Gian Paolo Montali, 1960年1月18日 - )は、イタリアのバレーボール指導者。トラヴェルセートロ出身。
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基本情報 | ||||
国籍 | イタリア | |||
生年月日 | 1960年1月18日(64歳) | |||
出身地 | トラヴェルセートロ | |||
ラテン文字 | Gian Paolo Montali | |||
身長 | ||||
選手情報 | ||||
役職 | 監督 | |||
利き手 | 右 |
来歴
編集パルマのユースチームで指導を始め、1986年に26歳でセリエA・パルマの監督に就任[1]。1989年世界クラブ選手権で初優勝、翌1990年にリーグ優勝へと導く。1991年に監督就任したトレヴィーゾではリーグ優勝2回(1994年、1996年)、コッパ・イタリア優勝(1993年)、CEVカップ優勝2回(1991年、1993年)、1995年欧州チャンピオンズリーグ初優勝をもたらし、1990年代後半から黄金期を築くトレヴィーゾの礎を作った。1996年からギリシャA1リーグ・オリンピアコスの監督を務め、ギリシャ代表監督の指揮も執った。イタリアに戻り監督就任したローマでは、2000年にクラブの初優勝へ導くとともに自身にとって4度目となるセリエAのリーグ優勝を飾った。
2003年から2007年にかけてイタリア代表監督として采配を振り、2003年ワールドカップ銀メダル、2004年アテネオリンピック銀メダル獲得をはじめ、欧州選手権2連覇(2003年、2005年)、ワールドリーグ(2003年3位、2004年準優勝)、ワールドグランドチャンピオンズカップ(2005年3位)など、ナショナルチームにも数々のメダルをもたらす。しかし、2006年世界選手権で2大会連続メダルを逃し、2007年欧州選手権6位と成績低迷したのを受け、同大会でスペインを初優勝へ導いたアンドレア・アナスタージに代表監督の座を譲った[2]。
バレーボール指導者の経歴の他、サッカーのユヴェントスFCで役職を務め[3]、2009年からはASローマの役職を務めた[4]。
指導歴
編集- パッラヴォーロ・パルマ(1986-1990年)
- スキーオ・スポルト(1990-1991年)
- シスレー・トレヴィーゾ(1991-1996年)
- オリンピアコス(1996-1998年)
- バレーボールギリシャ男子代表(1999年)[1]
- ローマ・バレー(1998-2000年)
- アシステル・ミラノ(2000-2003年)
- バレーボールイタリア男子代表(2003-2007年)
脚注
編集- ^ a b セリエAの監督プロフィールより参照
- ^ 北京オリンピックバレーボール世界最終予選 - 対戦チーム イタリア(TBS) Archived 2012年1月29日, at the Wayback Machine.
- ^ “「マッツァーリ・ナポリ」が誕生へ”. livedoorスポーツ (2009年10月6日). 2010年6月6日閲覧。
- ^ STRUTTURA ORGANIZZATIVA - AS Roma SpA Archived 2009年3月9日, at the Wayback Machine.