ジェイソン・バリテック

アメリカの野球選手 (1972 - )

ジェイソン・アンドリュー・バリテックJason Andrew Varitek, 1972年4月11日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州オークランド郡ロチェスター出身の元プロ野球選手捕手)、野球指導者。。右投両打。愛称はテックTek)。2021年シーズンよりMLBボストン・レッドソックスのゲームプランニングコーディネイターを務める。

ジェイソン・バリテック
Jason Varitek
ボストン・レッドソックス ゲームプランニングコーディネイター #33
現役時代
(2009年6月30日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシガン州オークランド郡ロチェスター
生年月日 (1972-04-11) 1972年4月11日(52歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 捕手
プロ入り 1994年 MLBドラフト1巡目
初出場 1997年9月24日
最終出場 2011年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ボストン・レッドソックス (2021 - )
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1992年
WBC 2006年

経歴

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プロ入り前

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ジョージア工科大学時代には、カレッジベースボール最優秀選手に3度選出されている。

1992年バルセロナオリンピックには、同校のチームメイトであるノマー・ガルシアパーラと共に野球アメリカ合衆国代表に選出された[1]。また、ジョージア工科大学時代、ガルシアパーラの他、ジェイ・ペイトンともチームメイトだった。

1993年MLBドラフト1巡目(全体21位)でミネソタ・ツインズから指名されたが、この時は契約しなかった。

1994年ゴールデンスパイク賞を受賞した。

プロ入りとマリナーズ傘下時代

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1994年のMLBドラフトシアトル・マリナーズから1巡目(全体14位)指名され、1995年4月20日に入団契約を交わした。

レッドソックス時代

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1997年7月31日にヒースクリフ・スローカム英語版とのトレードで、デレク・ロウと共にボストン・レッドソックスへ移籍した。同年9月24日のデトロイト・タイガース戦においてメジャーデビューするが、出場はこの1試合のみにとどまる。

1998年には86試合に出場した。

1999年にレギュラーを獲得し、144試合に出場する。

2004年には自己最高の打率.296、18本塁打、73打点を記録した。また守備面でもペドロ・マルティネスカート・シリングらをリードし、チームの86年ぶりとなるワールドシリーズ優勝に貢献した。オフにFAとなった。チームにはバリテックの他にペドロ・マルティネスやロウなどの主力選手もFAとなったが、球団はバリテックの再契約を最優先させ、4年総額4000万ドルの契約が成立[2]。同時にカール・ヤストレムスキージム・ライスに次ぐチーム3代目キャプテンに任命された。そのためユニフォームにはキャプテンであることを示す "C" のマークが左胸部分に刻まれた。

2005年にはゴールドグラブ賞シルバースラッガー賞を同時受賞し、アメリカンリーグを代表する捕手となった。

2006年は開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表に選出された[3]。しかしレギュラーシーズンでは7月31日にヒザの軟骨損傷[4]で9月3日まで故障者リスト入りとなり、その間チームは11勝22敗と低迷した。

2008年は打率.220、13本塁打、43打点と低迷した。4年契約を満了し、シーズン終了後にFAとなった。

2009年1月30日に1年総額500万ドル(2年目は球団が500万ドルのオプション、バリテックが300万ドルのオプション)で合意したと報じられた[5]

2011年は200万ドル+オプションの1年契約で現役続行した。

2012年3月1日に現役引退を発表した。

引退後

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引退翌年の2012年9月よりレッドソックスのGM特別補佐に就任した。以後2020年までフロント業務に従事し、2021年シーズンからはゲームプランニングコーディネイターとして現場復帰する[6]

選手としての特徴

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投手から力を引き出すことが上手く、守備に就いた時の防御率が他の捕手よりも良かったことで知られる[7]野茂英雄(2001年4月4日、ボルチモア・オリオールズ戦)、デレク・ロウ(2002年4月27日、タンパベイ・デビルレイズ戦)、クレイ・バックホルツ(2007年9月1日、オリオールズ戦)、ジョン・レスター(2008年5月19日、カンザスシティ・ロイヤルズ戦)と、メジャー最多記録となる4度のノーヒットノーランの捕手を務めている[8]

ティム・ウェイクフィールドナックルボールは苦手としていた。2004年のアメリカンリーグ優勝決定戦第5戦で、ウェイクフィールドが登板した際にバリテックは1イニングのうちに3個のパスボールを記録した。バリテックの現役時代、シーズン中に同投手が登板の際には、バリテックではなく控え捕手のダグ・ミラベリケビン・キャッシュが出場した。バリテックは「子供の頃から速球を中心として投球を組み立てる投手と組むことが多かったので、ウェイキー(ウェイクフィールド)と組むのはとても大変な仕事だね」[9]と語っている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1997 BOS 1 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
1998 86 247 221 31 56 13 0 7 90 33 2 2 4 3 17 1 2 45 8 .253 .309 .407 .716
1999 144 544 483 70 130 39 2 20 233 76 1 2 5 8 46 2 2 85 12 .269 .330 .482 .812
2000 139 519 448 55 111 31 1 10 174 65 1 1 1 4 60 3 6 84 16 .248 .342 .388 .730
2001 51 198 174 19 51 11 1 7 85 25 0 0 1 1 21 3 1 35 6 .293 .371 .489 .860
2002 132 519 467 58 124 27 1 10 183 61 4 3 1 3 41 3 7 95 13 .266 .332 .392 .724
2003 142 521 451 63 123 31 1 25 231 85 3 2 5 7 51 8 7 106 10 .273 .351 .512 .863
2004 137 536 463 67 137 30 1 18 223 73 10 3 0 1 62 9 10 126 11 .296 .390 .482 .872
2005 133 539 470 70 132 30 1 22 230 70 2 0 1 3 62 3 3 117 10 .281 .366 .489 .855
2006 103 416 365 46 87 19 2 12 146 55 1 2 1 2 46 7 2 87 10 .238 .325 .400 .725
2007 131 518 435 57 111 15 3 17 183 68 1 2 0 4 71 9 8 122 9 .255 .367 .421 .788
2008 131 483 423 37 93 20 0 13 152 43 0 1 0 2 52 3 6 122 13 .220 .313 .359 .672
2009 109 425 364 41 76 24 0 14 142 51 0 0 0 4 54 6 3 90 6 .209 .313 .390 .703
2010 39 123 112 18 26 6 0 7 53 16 0 0 0 1 10 2 0 35 1 .232 .293 .473 .766
2011 68 250 222 32 49 10 1 11 94 36 0 0 3 0 21 0 4 67 3 .221 .300 .423 .723
MLB:15年 1546 5839 5099 664 1307 306 14 193 2220 757 25 18 22 43 614 59 61 1216 129 .256 .341 .435 .776

WBCでの打撃成績

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2006[10] アメリカ合衆国 3 8 7 1 2 0 0 1 5 4 0 0 0 1 0 0 1 0 .286 .375 .714

年度別守備成績

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捕手(C)




















1997 BOS 1 1 0 0 0 1.000 0 - - .---
1998 75 367 32 5 3 .988 18 - - .---
1999 140 972 66 11 8 .990 25 - - .---
2000 128 867 46 7 3 .992 14 - - .---
2001 50 425 32 2 2 .996 3 - - .---
2002 127 912 54 4 8 .996 10 81 31 .277
2003 137 854 43 9 8 .990 6 61 23 .274
2004 130 880 49 2 11 .998 5 77 23 .230
2005 130 784 32 8 4 .990 7 65 21 .244
2006 99 647 28 4 3 .994 1 46 13 .220
2007 125 937 39 6 8 .994 4 63 20 .241
2008 131 903 42 4 7 .996 4 56 16 .222
2009 108 856 37 3 4 .997 1 108 16 .129
2010 39 242 13 0 2 1.000 1 34 9 .209
2011 68 519 28 4 1 .993 6 73 12 .141
MLB 1488 10166 541 69 72 .994 105 664 184 .217

表彰

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記録

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背番号

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  • 47(1997年 - 1999年)
  • 33(1999年 - 2011年、2021年 - )

代表歴

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脚注

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  1. ^ 1992 United States Olympic Team Roster USABaseball.com (2008年7月24日) 2015年6月28日閲覧
  2. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、30頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  3. ^ 2006 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年6月28日閲覧
  4. ^ Ian Browne (2006年8月2日). “Injured left knee forces Varitek to DL Sox captain faces surgery, reported 4-to-6 weeks' recovery” (英語). MLB.com. 2009年2月3日閲覧。
  5. ^ Ian Browne (2009年1月30日). “Varitek, Red Sox have a deal Captain will return for 12th full season behind plate for Boston” (英語). MLB.com. 2009年2月3日閲覧。
  6. ^ Rソックス、ベンチコーチに前カブスのベナブル氏”. 日刊スポーツ (2020年11月22日). 2021年4月10日閲覧。
  7. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、51頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6 
  8. ^ Mike Petraglia (2008年5月20日). “No-hitter a record fourth for Varitek Red Sox catcher enters history books with Lester in Boston” (英語). MLB.com. 2009年2月4日閲覧。
  9. ^ 三尾圭 「魔球ナックルを操る男 ティム・ウェイクフィールド レッドソックス」 『月刊スラッガー』2003年8月号、日本スポーツ企画出版社、2003年、雑誌15509-8、29-32頁。
  10. ^ 2006 WBC Player Hitting StatsMLB.com 2023年3月25日閲覧

関連項目

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外部リンク

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