シャルル・グレール
シャルル・グレール(Charles Gleyre, 1806年5月2日 - 1874年5月5日)は、スイスで生まれ、フランスで活動した画家。
シャルル・グレール Charles Gleyre | |
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自画像 | |
生誕 |
Marc Gabriel Charles Gleyre 1806年5月2日 スイス ヴォー州シュヴィイ |
死没 |
1874年5月5日(68歳没) フランス共和国 パリ |
国籍 | スイス |
出身校 | エコール・デ・ボザール |
著名な実績 | 絵画 |
流派 | アカデミズム絵画 |
概要
編集1843年、ポール・ドラローシュのアトリエを引き継ぎ、後に有名になるクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー[1]といった若い芸術家たちを生徒として受け入れた。
生涯
編集スイス・ローザンヌ近郊のシュヴィイで生まれた[2]。彼の両親は、彼が8歳か9歳の時に亡くなり、フランスのリヨンでおじに引き取られて育てられ、産業学校に通った[3]。クロード・ボンヌフォンの下で絵を学び始め、パリに出てから、エコール・デ・ボザールに入学し、ルイ・エルサンに師事した。アカデミー・シュイスにも出席し、リチャード・パークス・ボニントンのアトリエで水彩画の技法を学んだ[2]。イタリアに行き、オラース・ヴェルネやルイ=レオポール・ロベールと知り合った[3]。
ヴェルネの推薦により、アメリカ人John Lowell Jrの東地中海への旅に同行し、そこで見た情景を記録している。1834年にイタリアを発ち、ギリシャ、トルコ、そして1835年11月までエジプトに滞在した後、Lowellはインドに向かったが、グレールはエジプトとシリアの旅行を続け、1838年にフランスに帰国した[2]。カイロでは眼病に侵され、レバノンでは高熱に倒れるなど、リヨンに戻った時は病気で弱っていた[3]。
病気から回復してくると、パリに向かい、アトリエを構えた。『浴後のディアナ』、『若いヌビア人』という2点の装飾的パネルが、初期の名作であるが、これらは後年になるまで注目を浴びなかった。実質的にキャリアの第一歩を築いたのは、1840年のサロン・ド・パリに出品した『聖ヨハネの黙示』であった[3]。続いて1843年の『夕暮れ』で第2級メダルを獲得した(後に『失われた幻影』というタイトルで知られるようになった。)[3]。
こうした成功にもかかわらず、グレールは美術界の競争の第一線から退き、静かに自らの芸術の追求を続けた。1845年に『使徒の別れ』を出品した後は、1849年に『酒神バッカスの巫女たちの踊り』を出品したほかはサロンへの出品をしていない。
1843年に、パリで有力だったポール・ドラローシュのアトリエを引き継ぎ、画塾生への教育を行った[2]。この画塾に学んだ生徒には、ジャン=レオン・ジェローム、ジャン=ルイ・アモン、オーギュスト・トゥールムーシュのほか、後の印象派を形成するモネ、ルノワール、シスレー、フレデリック・バジールなどがいる[2]。グレールは、生徒から授業料を徴収せず、アトリエの家賃とモデル代の分担金を受け取るだけであった。教育方針も、自由であった[1]。
1874年、回顧展に向かう途中に急死した。生涯結婚はしていない[3]。
作品
編集シャルル・グレールに学んだ美術家
編集- ジャン=ルイ・アモン (1821–1874)
- エドモン・モラン (1824–1882)
- ジャン=レオン・ジェローム (1824–1904)
- ルイ=フレデリック・シュッツェンベルジェ(1825-1903)
- フランソワ・ボション (1828–1890)
- オーギュスト・トゥールムーシュ (1829–1890)
- ジェームズ・マクニール・ホイッスラー (1834–1903)
- ジョージ・デュ・モーリア (1834–1896)
- エドワード・ポインター (1836–1919)
- ヴァレンタイン・キャメロン・プリンセプ (1838–1904)
- アルフレッド・シスレー (1839–1899)
- ダニエル・リッジウェイ・ナイト (1839–1924)
- リュドヴィック=ナポレオン・ルピック (1839–1919)
- クロード・モネ (1840–1926)
- フレデリック・バジール (1841–1870)
- ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841–1919)
- ジャン=ジュール=アントワーヌ・ルコント・デュ・ヌイ(1843-1923)
- アンリ・ズュベール (1844–1909)
脚注
編集- ^ a b “Marc-Charles-Gabriel Gleyre, 1806-1874”. The Correspondence of James McNeill Whistler. University of Glasgow. 2015年4月5日閲覧。
- ^ a b c d e Stevens, Mary Anne, ed (1984). The Orientalists: European painters in North Africa and the Near East (Exhibition Catalogue). Royal Academy of Arts. pp. 150, 178–9
- ^ a b c d e f Encyclopædia Britannica 1911