シヌ=サルーム
座標: 北緯14度11分 西経16度15分 / 北緯14.183度 西経16.250度 シヌ=サルーム (Sine-Saloum) はセネガルの地域のひとつで、北をプティット・コート(小海岸)、南をガンビア国境に挟まれている。面積は24,000km2でセネガル全土のおよそ12%に該当し、その人口は1990年代には約106万人だった[1]。
シヌ=サルーム西部の大西洋沿岸部には、サルーム川の河口部に形成された低湿地帯、いわゆるサルーム・デルタ(面積5000km2)が広がっており、その中に含まれるサルーム・デルタ国立公園(760km2)とその周辺の計1460km2程度が、2011年にユネスコの世界遺産リストに登録された[2](詳細はサルーム・デルタ参照)。サルーム川はその流れの緩慢さゆえに、かなり内陸まで海水が遡上する。
かつてはシヌ王国とサルーム王国という2つのセレール人国家が対立していた。1984年にシヌ=サルームはカオラック州とファティック州という2つの州に分けられた。
経済
編集2000年代の主産業は、漁業、製塩、ラッカセイやトウジンビエの栽培などである[1][3]。派生的な産業としては漁船作りが行われている。
河川で多くの島々に分かれている地域などは、輸送面で困難をかかえている。
生態系
編集シヌ=サルームの多くはマングローブの茂る低湿地帯である[3]。河川の上流部はサヘル地帯に隣接しており、砂漠化の影響にさらされている。
1970年代の河水の塩分濃度の上昇は、サヘルが旱魃に見舞われたことを示すもので、要因のひとつとして上流の管理ミスが挙げられている[3]。マングローブ林が消えていっただけでなく、そこで暮らす淡水魚も消えていった。シヌ=サルームの村々は淡水を手に入れることが難しくなった。国際的な支援団体の中には、揚水機の類を寄贈してくれるものもあったが、故障したときには代替部品の入手が困難である。塩分の濃度の上昇は生態系に影響を及ぼし、地域住民の生活様式を変化させている。
航海
編集シヌ=サルームは、ヨーロッパの名うての船乗りたちにも恐れられていた。というのは、特にサンゴマールでは、砂州が移動するからである。余所者にとってのこうした危険は、地域を長い間守り、個性的な村落を保持してきたのである。
脚注
編集- ^ a b Kate Wellard; James G. Copestake (1993). Non-governmental organizations and the state in Africa: rethinking roles in sustainable agricultural development. Psychology Press. pp. 270–272. ISBN 978-0-415-08849-7 29 September 2011閲覧。
- ^ “Saloum Delta”. UNESCO. 2011年9月28日閲覧。
- ^ a b c William J. Mitsch; James G. Gosselink (2007). Wetlands. John Wiley and Sons. p. 92. ISBN 978-0-471-69967-5 28 September 2011閲覧。
関連項目
編集参考文献
編集- M. Klein (1968). Islam and Imperialism in Senegal. Sine-Saloum, 1847-1914. Stanford: Stanford University Press. pp. 285
- Mohamed Mbodj (1978). Un exemple d’économie coloniale, le Sine-Saloum (Sénégal), de 1887 à 1940. Cultures arachidières et mutations sociales. 2. Paris: Université de Paris VII
- Frans J. Schepers (January 1997). Oiseaux d'eau dans le Delta du Sine-Saloum et la Petite Côte, Sénégal. Dakar: WIWO. pp. 240