シニフィアンとシニフィエ
言語学用語
(シニフィエから転送)
シニフィアン(仏: signifiant)とシニフィエ(仏: signifié)は、フェルディナン・ド・ソシュールによってはじめて定義された言語学の用語。また、それらの対のことを、シーニュ(仏: signe)と呼ぶ。
概要
編集シニフィアンは、フランス語で動詞 signifier の現在分詞形で、「指すもの」「意味するもの」「表すもの」という意味を持つ。
それに対して、シニフィエは、同じ動詞の過去分詞形で、「指されるもの」「意味されているもの」「表されているもの」という意味を持つ。
日本語では、シニフィアンを「記号表現」や「能記」[1]、シニフィエを「記号内容」や「所記」などと訳すこともある[2]。「能記」「所記」は岩波書店版『一般言語学講義』の小林英夫による訳業であり、以降広く用いられたが、現在では用いられることは少ない。
日本語 | フランス語 | 英語 | 例 |
シニフィアン (記号表現、能記) |
signifiant | signifier | 「海」という文字や、「うみ」という音声 |
シニフィエ (記号内容、所記) |
signifié | signified | 海のイメージや、海という概念、ないしその意味内容 |
シニフィアンとは、語のもつ感覚的側面のことである。たとえば、海という言葉に関して言えば、「海」という文字や「うみ」という音声のことである。一方、シニフィエとは、このシニフィアンによって意味されたり表されたりする海のイメージや海という概念ないし意味内容のことである。そして、表裏一体となったシニフィアンとシニフィエの対が「シーニュ」(signe)すなわち「記号」である。
-
シーニュ
-
日本語の場合
-
英語の場合
二つの関係
編集シニフィアンとシニフィエの関係(シニフィカシオン signification または記号表意作用)は、
- その関係に必然性はない。(記号の恣意性)
- たとえば、「海」そのものを「海」と書き、「う・み」と発音する必然性はどこにもない。もしそうでなければ、あらゆる言語で海は「う・み」と発音されているはずである。
- 必然性がないにもかかわらず、それが了解される体系のなかでは、必然とされている。
- 日本語を解する人が「海」という字を見たり、「う・み」という音を聞いたりするとき、そこでイメージされるものの根底は基本的に同じである。また、「海」はどうして「う・み」というのか、という質問に答えることは非常に難しい。
ととらえることができる。
シニフィエとレフェラン
編集ゴットロープ・フレーゲの指摘にもあるように、シニフィエにあたる「意味」ないし「概念」は「指示対象」とは必ずしも一致しない。この意味において、「指示対象」はレフェラン(référent)と呼ばれ、シニフィエとは区別される。
脚注
編集参考文献
編集- フェルディナン・ド・ソシュール著、小林英夫訳『言語學原論』岡書院、1928年。全国書誌番号:46024028、NCID BN10391103。
- 本書では「ソッスュール」と表記。改版新訳の初版(1940年刊)以降は岩波書店より刊行。
- フェルディナン・ド・ソシュール著、小林英夫訳『一般言語学講義』岩波書店、1972年。全国書誌番号:75000356、NCID BN00397442。
- 『言語學原論』を改題した新訳改版。
- 丸山圭三郎『ソシュールの思想』岩波書店、1981年。全国書誌番号:81037395、NCID BN00326386。
- 日本語によるソシュール解説として代表的なもの