サイゾンビー
サイゾンビー(Sysonby、1902年 - 1906年)は、20世紀初頭にアメリカ合衆国で活躍した競走馬である。おもな勝ち鞍はメトロポリタンハンデキャップ、ローレンスリアライゼーションステークスなど。馬名は書籍によって「サイゾンビー」、「サイソンビー」、「シスオンバイ」、「シゾンビー」などとも表記される。20世紀のアメリカ名馬100選第30位。
サイゾンビー | |
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欧字表記 | Sysonby |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1902年 |
死没 | 1906年6月17日 |
父 | メルトン |
母 | オプタイム |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | ジェームズ・R・キーン |
馬主 | ジェームズ・R・キーン |
調教師 | ジェームズ・ロウ |
競走成績 | |
生涯成績 | 15戦14勝 |
獲得賞金 | 184,438USドル |
競走成績
編集- 1904年(6戦5勝)
- サラトガスペシャルステークス、ジュニアチャンピオンステークス、フラッシュステークス、ブライトンジュニアステークス、3着 - フューチュリティステークス
- 1905年(9戦9勝)
- メトロポリタンハンデキャップ、アニュアルチャンピオンステークス、グレートレパブリックステークス、ローレンスリアライゼーションステークス、タイダルハンデキャップ、センチュリーステークス、ブライトンダービー (12f) 、イロクオイスステークス、コモンウエルスハンデキャップ
主なエピソード
編集- サイゾンビーはイギリスからの持ち込み馬。最初ジェームズ・R・キーンは期待していなかったが、息子フォックスホール・キーンの説得に折れ売却しなかった。馬名は、その息子と共用していた狩猟小屋に因んでいる。
- 1906年、敗血症によりやむなく安楽死の処置がとられた。埋葬時には4000人のファンが訪れたという。骨格は後に掘り出され、アメリカ自然史博物館に展示されている。
血統表
編集サイゾンビーの血統(ストックウェル系(エクリプス系) / Stockwell 父内4x5=9.38%、 Vedette 母内4x5=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 Melton 1882 鹿毛 イギリス |
父の父 Master Kildare1875 栗毛 イギリス |
Lord Ronald | Stockwell | |
Edith | ||||
Silk | Plum Pudding | |||
Judy Go | ||||
父の母 Violet Melrose1875 鹿毛 イギリス |
Scottish Chief | Lord of the Isles | ||
Miss Ann | ||||
Violet | Thormanby | |||
Woodbine | ||||
母 Optime 1896 鹿毛 イギリス |
Orme 1889 鹿毛 イギリス |
Ormonde | Bend Or | |
Lily Agnes | ||||
Angelica | Galopin | |||
St. Angela | ||||
母の母 Speculum Mare1882 イギリス |
Speculum | Vedette | ||
Doralice | ||||
Nydia | Orest | |||
Adelaide F-No.9-h |
外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 JBISサーチ