コールハープル・マラーター王国
- コールハープル・マラーター王国
- Kolhapur Maratha Kingdom
करवीर राज्य -
← 1710年 - 1947年 → (国旗) (国章)
1896年の版図-
公用語 マラーティー語 首都 パンハーラー、コールハープル 現在 インド
コールハープル・マラーター王国(コールハープル・マラーターおうこく、マラーティー語 : करवीर राज्य、英語 : Kolhapur Maratha Kingdom)は、インドのデカン高原、コールハープル地方に存在したヒンドゥー王朝(1710年 - 1947年)。首都はパンハーラー、コールハープル。マラーター王国の分国でもある。1812年以降はコールハープル藩王国となる。
歴史
編集1707年、第4代マラーター王シヴァージー2世はシャーフーにケードの戦いで敗北し、1708年にはシャーフーが第5代マラーター王として即位したことにより、王位を失った。
1710年、シャーフーはシヴァージー2世にコールハープル地方一帯を領地として与えた[1][2]。ここにシヴァージー2世を初代とするマラーター王国の分国が誕生した。
1714年8月2日、シヴァージー2世は弟サンバージー2世に投獄され、サンバージー2世が新たな王となった[1][2]。その後、サンバージー2世はパンハーラーからコールハープルへと遷都した。
1731年4月13日、サンバージー2世はマラーター王国とワールナー条約を締結した[3]。これにより、コールハープルは正式にマラーター王国から分離した。
1760年12月、サンバージー2世は継嗣なくして死亡したが、1762年9月にシヴァージー3世が養子として迎えられた。その治世、1812年10月1日にイギリスと軍事保護条約を締結し、従属下の藩王国となった[4]。
1813年4月、シヴァージー3世は死亡し、息子サンバージー3世が継承するも、1821年7月に死去した[2]。その後、サンバージー3世の息子シヴァージー4世が継承したが、翌1822年1月に死去し[2]、彼の叔父で摂政のシャハージーが継承した[5]。
1838年12月、シャハージーが死亡すると、息子のシヴァージー5世が継承した[5]。だが、1866年8月に彼が死亡するとその王統は途絶え、一族から迎えられたラージャーラーム2世が継承した。
1870年11月、ラージャーラーム2世が死亡すると、再び王統が途絶えたものの、翌年にシヴァージー6世が養子として迎えられ、藩王位を継承した[5]。
1883年12月、シヴァージー6世が死ぬと、翌年に一族からシャーフーが養子として迎えられ、藩王位を継承した[6]。 シャーフーの治世、多数の学校および学生のホステルを設立、気前よく寄付をし、1920 年にシャーフー・ヴェーダ学校を設立した[6]。
1922年5月、シャーフーが死亡すると、息子ラージャーラーム3世が継承した[6]。彼は1911年にジョージ5世の戴冠式とデリー・ダルバールに参加した。
1940年11月、ラージャーラーム3世が死亡すると、再び王統が絶えたが、翌1941年12月に養子に迎えられたシヴァージー7世が継承した[6]。
1946年9月、シヴァージー7世が死亡して王統が途絶えると、1947年3月にパワール家からシャハージー2世が迎えられた[6]。
同年8月15日、インド・パキスタン分離独立時、コールハープル藩王国はインドへと帰属した。
歴代君主
編集- シヴァージー2世(在位:1710年 - 1714年)
- サンバージー2世(在位:1714年 - 1760年)
- シヴァージー3世(在位:1762年 - 1813年)
- サンバージー3世(在位:1813年 - 1821年)
- シヴァージー4世(在位:1821年 - 1822年)
- シャハージー(在位:1822年 - 1838年)
- シヴァージー5世(在位:1838年 - 1866年)
- ラージャーラーム2世(在位:1866年 - 1870年)
- シヴァージー6世(在位:1871年 - 1883年)
- シャーフー(在位:1884年 - 1922年)
- ラージャーラーム3世(在位:1922年 - 1940年)
- シヴァージー7世(在位:1941年 - 1946年)
- シャハージー2世(在位:1947年)