コインブラ公
概要
編集1415年にポルトガル王ジョアン1世が次男ペドロをコインブラ公に叙したことで創設された。ペドロは王国の摂政を務めたが反逆者と名指しされ、1449年のアルファホベイラの戦いで戦死した。
後にジョアン2世の庶子ジョルジェがコインブラ公に叙されたが、ペドロとジョルジェの息子たちは爵位を継げず、次に叙されるのは19世紀まで下ってマリア2世の五男アウグストだった。
王位請求者ブラガンサ公ドゥアルテ・ヌノの三男エンリケ・ヌノがコインブラ公を儀礼称号として使っていたが、子がいないまま2017年に死去した。
2023年現在、エンリケ・ヌノの長兄・ドゥアルテ・ピオの長女でエンリケ・ヌノの姪にあたるマリア・フランシスカが継いでいる。
コインブラ公の一覧
編集脚注
編集参考文献
編集- "Nobreza de Portugal e do Brasil" – Vol. I, pages 255/272; and Vol. II, pages 531/532. Published by Zairol Lda., Lisbon 1989.