ラカトシュ・ゲーザ
ラカトシュ・フォン・チークセントシモン・エドラー・ゲーザ(Lakatos von Csíkszentsimon Edler Géza, 1890年4月30日 - 1967年5月21日)は、ハンガリーの軍人、政治家、首相。最終階級は大将。
ラカトシュ・ゲーザ Lakatos Géza | |
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生年月日 | 1890年4月30日 |
出生地 |
オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王国 ブダペスト |
没年月日 | 1967年5月21日(77歳没) |
死没地 | オーストラリア アデレード |
出身校 | ルドヴィカ士官学校 |
称号 | ナイト |
配偶者 | ソミャーシュ・ルイザ |
在任期間 | 1944年8月29日 - 1944年10月16日 |
生涯
編集第一次世界大戦
編集1890年、ブダペストの中流家庭に双子として生まれる[1]。中学校を卒業後、双子の弟カールマーンと共にルドヴィカ士官学校に入学した[1]。
1910年8月18日、ラカトシュ兄弟はルドヴィカ士官学校を卒業。少尉に任官し、共にハンガリー第1歩兵連隊に配属され、1912年からはハンガリー第14歩兵連隊に所属した[1]。1913年にはハンガリー第1歩兵連隊に戻り、1914年8月1日に中尉に昇進した。
第一次世界大戦に従軍するが、9月にカールマーンが戦死。ラカトシュはカールマーンの遺体を回収しようとしたが、発見することは出来なかった。同年、東部戦線で銃弾を受け負傷した[1]。回復後の12月22日からは防諜に従事し、1915年4月から7月までハンガリー第125歩兵旅団参謀を務め、7月14日からはハンガリー第38歩兵旅団参謀を務めた[1]。
1916年12月、ドイツ軍との連絡将校を務め、1917年5月1日に大尉に昇進した[2]。
ホルティ政権
編集軍人
編集第一次大戦終結後、国防大臣ボーム・ヴィルモスの副官を務めた後、1919年9月に警察本部参謀となり、1920年10月まで務めた[2]。
1921年、ブダペスト陸軍士官学校の教官となり、戦争と軍事組織論の講義を担当した[2]。
1923年、陸軍省に配属され1928年5月まで諸部門を転々とし、同年少佐に昇進すると同時にナイトの称号を得た[2][3]。5月7日にプラハ駐在武官に任命され、在任中の1929年5月1日に中佐に昇進した[4]。1934年、ハンガリーに帰国後、11月1日に大佐に昇進し、14日にはハンガリー第13歩兵連隊長に任命された[4]。
1938年5月1日、ハンガリー第1歩兵混成旅団長、1939年1月23日にハンガリー第3歩兵旅団長に任命され、11月1日に少将に昇進した[5]。
1940年3月1日、ハンガリー第2軍参謀長に任命された[5]。1941年8月1日にはハンガリー第8兵団司令官に任命され、11月1日に中将に昇進した[4][5]。
1943年5月1日、ウクライナ占領軍司令官に任命され、キエフに赴任。ウクライナでは橋や道路の補強工事を指示した[6]。8月1日に大将に昇進し、ハンガリー第2軍司令官に任命された[5]。第2軍は消耗が激しく、戦闘を継続出来る状態ではなかったため、1944年3月9日にアドルフ・ヒトラーと会談し、部隊の改善を要請した[7]。しかし、ヒトラーは改善を約束するが実行されず、第2軍はドイツ軍の前線を安定化させるために移動された[7]。
4月1日、ハンガリー第1軍司令官に任命される[5]が、5月5日に国防大臣から帰還命令を受け、26日に司令官職をベレグフィ・カーロイと交代した。
首相
編集ブダペストに帰還後、ホルティ・ミクローシュと会談したラカトシュは、その場で首相就任を打診された。
8月29日、親独派のストーヤイ・デメ首相が解任され後任の首相に就任し、ホルティから連合国との和平交渉を進めることを命令された[8]。ラカトシュは和平交渉を進めると同時に、ストーヤイが行っていたユダヤ人の強制移送を停止させるが、ソビエト連邦が和平交渉を拒否したため交渉は失敗した。
10月15日、ドイツ軍がパンツァーファウスト作戦を発動し、サーラシ・フェレンツ率いる矢十字党のクーデターによって政権は崩壊した。ラカトシュは解任後の21日にナチス・ドイツに引き渡され、終戦までショプロンに軟禁された[3]。
死去
編集1945年4月1日、ドイツ軍撤退後にソ連軍に逮捕され1946年1月29日まで抑留された[9]。解放後の1951年にハンガリー人民共和国政府から居住制限を受け郊外に転居し、後にエールドに移った[9]。
1965年、娘が移住していたオーストラリア・アデレードを訪れ同地に定住し、1967年5月21日に脳出血で死去した[9]。
脚注
編集参考文献
編集- Fellgiebel, Walther-Peer (2000) (German). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939–1945 – Die Inhaber der höchsten Auszeichnung des Zweiten Weltkrieges aller Wehrmachtsteile [The Bearers of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939–1945 — The Owners of the Highest Award of the Second World War of all Wehrmacht Branches]. Friedberg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 978-3-7909-0284-6
- C A Macartney: October Fifteenth – A History of Modern Hungary, 1929–1945, 2 vols, Edinburgh University Press 1956-7.
- Lakatos Géza: Ahogyan én láttam, Budapest, Európa, 1992.
- Géza Lakatos: As I saw it: the tragedy of Hungary, Englewood, N.J. : Universe Publishing, 1993.
- Ignác Romsics: Hungary in the Twentieth Century, Budapest: Corvina, 1999.
- Kovács, Attila Ótott (2006). Die ungarischen Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes. Ranis: Scherzers Militaer-Verl.. ISBN 978-3-938845-02-8
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 ストーヤイ・デメ |
ハンガリー王国首相 1944年 |
次代 サーラシ・フェレンツ |